読響の演奏会を聴いてきたのですけれど、

毎日毎日猛暑が続く中にあって、「スカッと」度合いの高いアメリカ音楽尽くしのプログラムでありました。


曲目は、バーンスタインの「キャンディード」序曲、アイヴス「ニュー・イングランドの3つの場所」、

ガーシュイン「パリのアメリカ人」、そしてまた「バーンスタインに返ってシンフォニック・ダンス」というもの。

いささか晦渋なアイヴスを除けばポピュラー名曲集のようで

予想通りにスカッとした抜けがありましたですよ。


読売日本交響楽団 第157回東京芸術劇場マチネーシリーズ


こうした曲を読響も実に鳴りっぷりよく演奏して、

「たまにはこういうのもいいよね」と思わせるに十分でしたけれど、

「パリのアメリカ人」はもそっとくだけたふうでも良かったのではと。

もそっと分かりやすくいうなら、「猫っぽさ」が欲しいところだなと、

言ってみたところで反って分かりにくいかもですが(笑)。


反面、バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」(ウエストサイド・ストーリーからの組曲)は、

ラテン音楽ふうののりのり感と、プレーヤーもステージ上で指パッチンをしたり、

「マンボ!」とシャウトする(させられる?)ところがあったりと、自ずと遊び心も演奏に乗っかった分、

ライブとしてのお楽しみ度が高くなってましたですよ。


ところで、はなから「アメリカ音楽」という言葉を使ってますけれど、

どうしてもそれがクラシックっぽい音楽を指すというよりは、

例えばジャズとかポップスとかそっち系のイメージの方が強いような気が。

対比として「ドイツ音楽」と言った場合にはおそらくイメージはクラシックになろうかと思うところながら。


で、こうしたことを考えてみると、今回のプログラムで見ても(またまたアイヴスを除いてですが)

ガーシュインの曲はシンフォニック・ジャズと言われるように、シンフォニックな「ジャズ」ですし、

バーンスタインの二曲はいずれも出自はミュージカルということになるなぁと思うわけです。


かつてアメリカは「人種の坩堝」と言われたりしましたが、

(その後には「人種のサラダ・ボウル」という言い方もありましたですね)

音楽にしても「融合」から生み出される新鮮さというのがアメリカ音楽なのかなと

つらつら考える中で思い至ったりするのでありますよ。


ちなみに、そうした「融合」ということで思い出されますのは、

ちょうど今回のプログラムにあったガーシュインの「パリのアメリカ人」の映画化でしょうか。


この曲はガーシュインがパリを訪れた際の印象を音で描写したもので、

途中で鳴らされる車のクラクションには、ガーシュイン自ら持ち帰った「パリもの」が当初使われたそうな。

こだわりですねえ。


ですが、予めイメージされたストーリーがあって、それを音楽化したわけではないのですが、

そのストーリーのない音楽からのインスピレーションでストーリーを作ってしまい、

映画に仕立てたのがジーン・ケリー主演の映画「巴里のアメリカ人」でありました。


巴里(パリ)のアメリカ人 [DVD]/ジーン・ケリー


タイトル曲はもちろんのこと、

中にはガーシュインの歌曲なども散りばめて(「I got rhythm」がいいです!)

面白く作られていたと思うのですよね(深い話とか、そういうものではありませんが)。

こうした作品の作り出され方もアメリカらしいとも思えたりするところだなと思ったですが、

かつては…と言った方が適切ですかね。


ところで、「シンフォニック・ダンス」の中に出てくる、

ということは「ウエストサイド・ストーリー」の中の一曲ですが、

「somewhere」の出だしを聴いて「お!宇宙戦艦ヤマトじゃん」と思ったのは、

極めて個人的な受け止め方だったのでありましょうねえ…。