酷暑続きでしばらくご無沙汰になっておりましたクラシック音楽の演奏会@秋川キララホールに出かけてきたのでありますよ。8月あたまにシャルパンティエのミサ曲を聴いて以来ですので、ゆうにひと月は経ってしまい…。

 

ま、今回は演奏会といっても、レクチャー&コンサート『ラフマニノフとブラームスを学ぶ』というものでして、前半レクチャー(実際のところは演奏者たちによるトークの趣でしたですが)、後半演奏という内容で。

 

 

それにしても、ラフマニノフとブラームスを組み合わせて「学ぶ」とは?と思いましたところ、10月初旬に同ホールでもって東京交響楽団の演奏会が予定されており、それが『ラフマニノフとブラームスを聴く』としてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とブラームスの交響曲第1番というプログラムであって、要するに「番宣か?!」と。両作曲家を結ぶ何かしらをレクチャーで解きほぐしてくれる…といった話では、全く無いのでありました…。

 

演奏を担当したのは弦楽四重奏団のクァルテット・エクセルシオですので、前半トークの中でブラームスのハンガリー舞曲第5番とラフマニノフのヴォカリーズ(それぞれ編曲版)で取り上げてたほか、後半のメインプロとしては、ラフマニノフの弦楽四重奏曲第1番(未完)とブラームスの弦楽四重奏曲第1番を聴くことができましたので、これはこれで良しということに。

 

それにしても、ラフマニノフの弦楽四重奏曲とは?!ですけれど、あいにくと会場配付のプログラムには楽曲紹介が全くありませんでしたなあ。そこで後付けでネット検索にも頼ることになりましたが、ラフマニノフが弦楽四重奏曲を手掛けたのはモスクワ音楽院在学中のことであったと。作曲技法修練の一環であるのか、「こういう曲も書けなくてはいけんよ」と課題にでも出されたのですかね。

 

ですが、未完と言われるとおりにロマンスとスケルツォ(一般的な曲構成からすると、第2、第3楽章にあたりましょうか)が残されたのみで終わってしまったようですな。若書きの断片ということになりましょうかね。

 

でも、演奏されたところを聴いてみれば、なかなかにいい曲のような。レクチャー段階で、ラフマニノフらしい印象というよりはチャイコフスキーを思い出させる…的な紹介がありましたですが、なるほどねえと思うところです。希代のメロディーメーカーであったチャイコフスキーの衣鉢を継ぐのは「おれだもんね」という気概が感じられそうでもありましたよ。

 

とはいえ、これに続いてブラームスの弦楽四重奏曲が演奏されますと、いやはやなんとも厚みと奥行きが全く違う。ラフマニノフの曲が若書きであると一層強調されてしまうような印象もありましたですねえ。同じく先人の衣鉢を継ぐといってもブラームスが意識したのはベートーヴェンであって、意識するのが強過ぎる余り、交響曲第1番の作曲には20年余りの歳月を要したとは夙に知られるところですが、弦楽四重奏曲第1番の方も8年近くを費やしたそうな。

 

ただ、時間をかけた弦楽四重奏曲が完成できたことで3年ほど後、ようやっと交響曲第1番を完成と言える至る弾みがついたかもしれません。何しろ両者はよく似た空気をまとっておるなと、一聴して感じたもので。

 

てな流れで行くとラフマニノフの曲が可哀想になりますけれど、今や必ずしも作曲技法へのこだわりをもって音楽を聴くばかりではないですので、美しいメロディーだけをとってももそっと聴かれても、つまりは演奏されてもいいような気がしましたですねえ。

 

ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』はシンフォニック・ジャズの礎を築いたといわれる一方で、その作曲技法のほどを指して、結局のところ、オケとピアノが交互に登場してくるだけと言われてしまったりするわりには、演奏される機会がとても多いといった例もありますしね。

 

そうは言っても、弦楽四重奏団のレパートリーと定番化していくことはなかろうと思いますので、アンコールピースとしてもそっと聴かれるようになったりしないかなあとは思ったものでありますよ。