マラッカタワーの空中散歩ののちは街歩きに…と言いながら、ちと話は後戻り。申し遅れましたですがマラッカタワーの展望台は高さ80mにまで上がるのでして、そこからは360度、周囲を見渡せる。到着時にはなかなかの高層ホテルと思った宿泊先のホリディインメラカをもたちどころに見下ろす形なるのですなあ。これ、こんな具合に。

 

 

と、ここで気に掛かるのはホテルの裏側、海沿いに連なる緑地帯といちばん左端に建築途上とも思われる建造物があること。建物の方は分かりづらいでしょうから、もそっとカメラを左へ振ってクローズアップしてみるといたしましょうね。

 

 

右側の奥に上階が張りぼてのような状態になっているのが当該建造物でありますよ。周囲の海沿いの緑地帯というのは、先にもマラッカ川が運んだ土砂が遠浅の海岸線を作り出していると触れたこととも絡んで、砂州の発展形かとも思ったですが、これも実は埋め立てが途中で放棄された感じでしょうか。

 

ほったらかしの埋立地、ほったらかしの建造物…。どうやら「マラッカ・ゲートウェイ」と呼ばれるプロジェクトのなれの果てであるようで。人工島を造成し、そこに大型の商業施設、観光施設を設けることで、世界遺産とされる歴史的建造物などと合わせ、マラッカを一大観光拠点にしようという目論見のようでしたが、中国国営資本が大きく関わるプロジェクトはさまざまな憶測を呼んでいたとか(一説には中国の軍事拠点に使われてしまうのではないかとも…)。

 

事業規模は円貨換算で1兆円とも2兆6千億円とも言われる巨大プロジェクトも、こうなってしまいますとねえ…。あれこれ検索した中には、一昨年(2023年)9月段階で「開発再開へ」と報じる記事(シンガポールのビジネス情報サイト「AsiaX」)が目に留まったりしたものの、何かしらが進行中との気配は全くありませんでしたですよ(ちなみに完成予想図は「https://melakagateway.com/」にあり)。

 

もしかするとマラッカ・ゲートウェイ・プロジェクトに頓挫のレッテルを貼ってしまうのはまだ早いのかもですが、どうにも夢の址にしか見えない景観を目の当たりして、思い出したことがもうひとつの一大プロジェクトのことでして。マラッカ海峡に関わるものながら、海峡に入る北の入口付近、マレー半島の付け根部分で実際にはタイの南部にあたるクラ地峡に運河を造ってしまおうという話なのでして。

 

先のマレーシア行きで旅の供として読んでいた『マラッカ物語』の冒頭には著者・鶴見良行がそもそもこの地域に関心を寄せた背景として、クラ地峡の運河計画を紹介したのでありましたよ。狭く浅いマラッカ海峡を通らずに船舶通航を可能にするため、ここに運河を設けては…といった話は古くからあったようで、スエズ運河を造ったレセップスも関わったことがあると。

 

さりながら、鶴見が紹介していたのは1973年に持ち上がった計画のことでして、日米仏タイの4ヵ国が検討の遡上に乗せていたということですが、日本も一枚嚙んでいたこの計画では、地峡を開削するのに水爆を使う想定が含まれてもいたというのですなあ。実験段階で1953年の第五福竜丸の被曝事故などなどがあり、1963年には部分的核実験禁止条約が米英ソで調印されて、使いどころの無い兵器(もちろん使われてはたまったものではありませんが)になってきていた水爆を平和的に利用しようという目論見であったと。運河開削の検討には水爆開発の研究者も加わったというあたり、ぞっとするとしか言いようがないものではなかろうかと思いますですね。

 

クラ地峡のあたりにも住まっている人はいるわけですし、周辺(といっても(かなり広範囲かと)への残留放射線を考えたら、ありえない話だと思うんですが、これに被爆国・日本も一枚噛んでいたのであるとは…(絶句)。

 

まあ、全く異なる二つのプロジェクトを並べて「壮大なる夢の址」と括るのは適当な表現ではないでしょうけれど、いずれにしても日本に閉じこもって生きているてなふうばかりで済まない国際社会にあっては、あれやこれやと考えてしまうことになったものなのでありましたですよ。