一昨日に聴いてきた読響演奏会ではファリャのバレエ音楽『三角帽子』全曲が演奏されましたけれど、これにはちょちょいとメゾソプラノが入るのですよね。メゾというだけで、ビゼーの『カルメン』を思い出したりもしますように、少々翳のあるメゾの声音は実に印象的。元来、「メゾ・ソプラノが耳に馴染む…」てなことも書いたりしてメゾ指向ぶりを表明?しておるわけですが、『三角帽子』ではいささか出番が少ない(その少ない出番でも歌手を連れてくるのは大変でしょう、全曲演奏の機会の少なさにもつながりましょうか)ものですから、少々食い足りないようにも(笑)。

 

ま、それを予想してというわけではありませんけれど、その演奏会の翌日(つまりは昨日)には改めてメゾソプラノをたっぷりと。「林美智子メゾソプラノ・リサイタル」を清瀬けやきホールで聴いてきたのでありますよ。

 

 

メゾの歌い手としてはあまり声楽に馴染みのない者でも知っている林さん、プロフィール写真は今回のフライヤーに配されたものをよおく見かけるところながら、もはや幾分昔の姿…ということになりましょうか。今や堂々として、すっかり体を楽器化しておられる(声楽の方が体を楽器にするさまは想像のつく方も多いことでしょう)。そこから繰り出されるたっぷりとした声量は、収容508人という中規模なホールに響き渡っていたのでありますよ。

 

第一部が日本の歌曲を集め、休憩を挟んだ第二部は外国曲の歌曲やオペラのアリアなどを中心に。プログラムに並ぶ曲の中には、花のあるソプラノで歌われることの多い曲もままあるも、『カルメン』のハバネラはもとより、ドヴォルザークの『わが母の教えたまいし歌』やガーシュウィンの『サマータイム』といったあたり、翳りのある曲調のものはメゾソプラノが活きてくる気がしたものでありますよ。映画音楽からヘンリー・マンシーニの『ムーン・リバー』は、元々映画『ティファニーで朝食を』の中でホリーを演じたオードリー・ヘプバーンが自らハスキーな歌声で聴かせた曲だけに、これまた馴染むものであったような。

 

という具合にたっぷりとメゾソプラノの歌声に浸ってきたわけですけれど、ここから先はちと余談でして。全ての演目を終えた後、鳴りやまない拍手にアンコールが…となるのは毎度のこと。で、歌のリサイタルなだけに、最後に皆さん、一緒に歌いませんか?となるのも、まあ、あることでしょうなあ。取り分け、演者の言う通りにこれまでコロナでそうした機会も失われてきたけれど、そろそろいいのかも…とは。

 

で、問題は…というほどに大きな話ではないのですけれど、みんなで歌いましょうとして持ち掛けられたのが唱歌『ふるさと』であると。問題どころか、何の不思議もない選曲ではないのと、たぶん多くの方はお感じのことでありましょう。実際、会場内は『ふるさと』の大合唱(実際には斉唱ですね)に包まれたのですから。

 

と、ここで極めて個人的に思うところながら、この唱歌をみなさん、どんな思いで歌っておられたのでしょうなあ。♪うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川…というのが日本の原風景、ああ懐かしやといった思いでしょうか。おそらくは子供の頃、実際に山でうさぎを追い、川で小鮒を釣ったという経験を持ってらっしゃる方もおいでだろうとは想像しますけれど、それってかなり少数派ではなかろうかと。東京生まれ、東京育ちの僻目であるにしても、そもそも「忘れがたきふるさと」など存在しない人というのは、自分だけではないような気がするのですよね。

 

何もそんなに大仰に構えることもないではないか…とはその通りで、この唱歌自体がどうのこうの言うつもりは無いのですけれど、何かにつけ、日本人ならこれでしょう的に取り上げられ、歌われる(歌うように誘導される)そのありように「なんだかなあ…」という思いを抱いてしまうのですよねえ。ま、何言ってんだか…と思われる方もおいでとは想像しますが、誰にも当たり前にふるさとがあって、誰でもふるさとは懐かしくて、そのふるさとは日本の原風景であって…みたようなことが唱歌『ふるさと』に集約されていると誰もが感じるわけではないということはあるわけで…。

 

ともあれ、本来のプログラムとしては十分に堪能したメゾソプラノのリサイタルであったことは間違いないですけれどね。