道南函館紀行」として先日の旅のお話をつらつら書き綴っておりますけれど、その余談ということで。

 

折しも(いかにも昭和の人たちらしく)演歌好きの両親の元に出かけてきたから…というわけでもありませんが、函館といって思い出すものの中にはどうしたって北島三郎の『函館の女』があろうかと思うところです。Wikipediaによれば1965年に発売されたシングルは140万枚もの売り上げを記録するヒット曲だったわけですし、発売当初は知らなくても、1970年代以降も長らく「♪はぁるばる来たぜ、さけ茶漬け~」なんつうCMソングが流れていたりもしましたしね。

 

そんな長くじわじわとした刷り込み効果の故か、以前に函館を訪ねて湯の川温泉あたりに面した海岸に出たときには思わず、海に向かって歌ってしまいましたねえ。逆巻く波を前にして(笑)。ま、今回は天候のせいもあり、海岸にでることはありませんでしたけれど。

 

というところで、これまでまったく気にも留めていなかった『函館の女』の歌詞を改めて振り返って反芻してみますと、どうにも謎めいた内容であったことに気付かされたのでありますよ。北島三郎の豪快な唄いっぷりにすっかり眩惑?されていたのかもしれません。

 

基本的には別れた女性を追いかけて函館まで探しに来た男性という設定ですな。ですがこの男性、実はストーカー気質だったりするのかもという気がしてきたのでありますよ。有名な歌い出しは「はるばる来たぜ、函館へ」とついに来た感を全面に出して自己満足の極みになってますが、別れた女性はむしろ「後は追うな」と言い残しているにもかかわらず、「うしろ姿で泣いてた」と想像して(うしろ姿なので本当に泣いていたかどうかは分からないはず)これを未練ありと捉えたのでしょうなあ。そうなると「逢いたくてとてもがまんができなかったよ」となるとは、相当に一方的。やばいんでね?と思えてきたりするわけです。

 

だいたい1960年代の歌ですから、良し悪しは全く別として当時の男女観がそのまま反映されておりましょうね。昔はよく言われた「いやよいやよも好きのうち」みたいな男性主体の考え方が如実に籠っていて、行動する男性像が描き出されておりますな。

 

そも「後を追うな」と言った女性が函館にいることをどうやって知ったのでしょうか。調べに調べる粘着質があったりするのかも。もしも「後は追うな」と言いつつも自ら行先を函館と告げていたのならば、それは未練とも考えられるはしますけれど、結局函館まで来ても「どこにいるのかこの町の」と所在不明。函館とまでは突き止め、探り訪ねて松風町あたりも当たってみますが「君の噂も消え果てて」おり、あたかも『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」的なすれ違いを思うところながら、全くもって「アンタあの娘の何んなのさ」と言いたくもなりそうな。

 

ちなみに函館の松風町は、ガイドブックでは駅近のグルメスポットとして「大門横丁」などが紹介されている場所ですけれど、「大門」という言葉からも想像されるとおり、古くは遊郭があった場所なのですよね(「大門」は吉原では「おおもん」ですが、こちらでは「だいもん」)。のちに1934年(昭和9年)の函館大火で大門そのものは焼け落ちるも、後々まで歓楽街として受け継がれた…てな土地柄です。

 

こうなると女性の方は何としても姿を隠したい、どうも怯えて逃げ回っているのでは?と勘ぐってしまいそうなくらい、女性の側にはいささかも再会したいサインが見受けられないのですなあ。それにもかかわらず「迎えに来たぜ、函館へ」とは、もしも連れ帰したら行く先はかつての吉原?てなふうにも…。

 

とまあ、ずいぶんと想像をたくましくしますとこの歌がすっかりダークサイドに陥っていくわけでして、最後に「一目だけでも逢いたかったよ」となるのは、結局のところ女性は見つからなかった…という、逆説的にハッピーエンドの歌なのであったかと思ったり。

 

おそらくも何も140万枚の大ヒットとなった中、この歌をこんな背景として聴いた人はいなかったのでしょう、きっと。個人的にもかような思い巡らしはするんじゃなかったとも思っておるところでありますよ(苦笑)。

 

おっと、函館の(松風町ではなくして)末広町(かつて函館の中心地であった元町の近く)には北島三郎記念館があるということですが、あいにくと昨2021年9月から長期休館になっているようす。訪ねることができておれば、もそっとこの歌の謎?に迫れたかもしれませんですねえ。