両親の住まいの最寄り駅は東京メトロ東西線の南砂町駅ですけれど、両親を訪ねるついでに駅から歩いてほどなくのところに立ち寄ってみた次第。東京都生活文化局計量検定所という施設です。
かつては自らの住まいでもあったわけで、南砂町駅界隈はよおく知っているつもりながら、すでに離れて30年以上、そりゃあいろいろと変わるのも当然ですが、かような施設など「あったかな?」という印象。まあ、それもそのはず2014年に港区から移転してきたということで、確かに建物もまだ古びてはおりませんですねえ。
さりながら「なぜここに?」となれば、この中に「計量展示室」というものがあるという案内リーフレットを入手したのは最近ですが、はてどこで手に入れたのだったか…。
上の写真の通り、入口を見る限りでは全くもってビジター・フレンドリーではなさそうな。一歩、建物内に入りますと一応パンダのキャラ(名前は「はかるん」だそうです)と巨大天秤がお出迎えとなりまして、そこここに展示物と思しき秤などが置かれてありますので、見学者がいると想定していることは間違いなさそうな。
さりながら、たどり着いた展示室ロビーも展示室そのものも消灯されておりましたよ。あたりを見回し、貼り紙に従って内線電話をかけ、来意を告げますと「通常、見学は行っておりませんが…」と。ついでとはいえせっかく立ち寄りましたので、「見学自由 内線○○へ連絡してください」という貼り紙を見てかけたことを伝えて少々の粘り。「おまちください」の後しばらくして「鍵を開けに行きます」と。リーフレットまでこしらえて案内しているわりには、所内の職員にさえ情報が行きわたっていないようで、「ああ、お役所…」とつい思ってしまうところでありますなあ。ともあれ、ようやくにして扉の開かれた展示室へいざ。
ところでまずもって「計量検定所って?」ですけれど、案内リーフレットから(ちと長いですが)引いておくといたしましょう。
わたしたちの日々のくらしの中ででは、さまざまなものがはかられています。
例えば、食料品の量や健康管理のための体温、血圧、体重、ガソリンスタンドの給油量、タクシーメーターの走行距離などです。これらをはかる道具を計量器といいます。計量器は、正しくはかれないと困ってしまいますし、正しくはかれる計量器でも正しく使用しないと、正確にはかれません。
東京都計量検定所は、正しい計量が日々のくらしでできるように特定計量器の検定、検査、指導などの取り組みをおこなっています。
文章が平易で「はかる」に漢字が使われていないのは、見学者のメインターゲットが社会科見学の小学生だったりするであるかな…とも思ったところながら、「はかる」という言葉に当てる漢字には「測る」、「計る」、「量る」などあって、何を計測・計量するのかによって使う漢字が異なるためでもあるかと思いなおしたりも。なにやら歴史の授業の中で出てくる「度量衡」という言葉も思い浮かぶところでして、歴史の中では国王やら皇帝やらが国内の単位を統一的に決めることが秩序をもたらす点で、また納税などの点でも重要になるてなことでしたな。ま、同じように現在でも「度量衡」の適切性を担保する役割を担う役所があるということですなあ。
「度量衡」といって、ちなみにこの展示室では、「度」を「長さをはかる計量器」、「量」を「体積をはかる計量器」、「衡」を「重さをはかる計量器」と分類・展示しておりましたよ。で、展示ケースの上に「ああ、紙包みなんておいちゃって。消防署の検査が入ったら、地震のときに落下する危険がありますので、こういうところに物は置かないように!」とご指導入っちゃうよと思いかけるも、「おお、これも長さをはかる展示の一貫であったか」と。だからといって、消防署のお目こぼしがあるとは思えないのですが…(笑)。
さて、余談はともかく「度量衡」それぞれの展示解説の前に、まずは計量の歴史から見てまいることに。そもそもは紀元前4000年のバビロニアに始まるようです。ただし、現存する最古のはかりとされるものは、紀元前3000年頃のものとされる古代エジプトのものだとか。実物はロンドンの博物館にあって、参考写真だけ紹介されていましたけれど、竿の長さが8.5cmほどと小さなものなのですよね。
これで重さを量る際、分銅代わりに使われたというのが右側にある「いなご豆」というもの。紀元前の昔にあっても宝石や貴金属を量るのに「いなご豆(キラト豆)」が用いられ、そこから宝石をはかる単位が「カラット」になったというのですなあ。
古代の文明として中国の方で「度量衡制度の存在を示す技術的遺跡」が見られるのは紀元前1700年頃だそうで。ま、それ以前には全く無かったとは言い切れないのでしょうけれど、なんにつけてもメソポタミアの底力を思いますなあ。そして古代エジプトもまた。この頃から使われたというはかりはその後長く天秤ばかりとして使われ続けるわけですし。
ギリシア神話の、法をつかさどる女神テミスも、天秤ばかりを持った姿で造形化されますですね。まあ、この姿は後付けではあるにせよ、天秤ばかりというのが計量器のシンボルでもあるわけで。
ところでテミスがはかりを持っているというのは、善悪がそれを質量として量れると考えられていたことの表れでしょうか。この展示室でも最後の方に「死後審判思想」なるものの紹介がありまして、そも古代メソポタミアからして「太陽神が天秤をもちいて、人の善悪をはっきり区別する」という考え方があったのだとか。これがエジプトやギリシア・ローマに伝わり、またイスラム教、キリスト教、仏教など宗教にも影響したということなのですなあ。
エジプトの『死者の書』にも天秤が描かれており、キリスト教ではパリのノートルダム大聖堂のファサードにある「最後の審判」の彫刻に天秤が、そして仏教でも地獄・極楽、運命の分かれ道の際、五官王が「業の秤」を持って待ち受けていると。洋の東西を問わず、ある種のイメージが普遍性を持って受け止められるものであったりすると、こうしたことからも想像できたりしますですね。
と、「まずは計量の歴史から…」てなことを言いつつ、古代からいささかも進まないままに話は流れ流れてしまい…。計量のお話は、続いてもそっと触れておきたいと考えておりますですよ。