ブルッヘのブルフ広場に面して市庁舎 の左どなり、

公文書館の一部を自由ブルージュ博物館として公開しているということです。

(ここでも博物館名は一般的記載にならっておくことにいたします)


自由ブルージュ博物館は元裁判所

建物のてっぺんには天秤を携え、目隠しをしたテミスの像 が置かれているのが

かつては裁判所として使われた建物であったこと物語っておりますなあ。


自由ブルージュ博物館のてっぺんにはテミスの像

ところでこの建物の中ですが、

公文書館でもあるだけに史料展示がいろいろあったりしたものの、

ついついさらっと通り過ぎてしまいまして。


と、言いますのも目玉というのが

奥の評議員室とやらにある「カール5世の暖炉」というものなのでありますよ。

非常にデコラティブでありますね。彫刻やら象嵌やらで豪華な装飾を施すのは

ルネサンス様式の特徴でもあるようで。


カール5世の暖炉@自由ブルージュ博物館


ここでカール5世 とは言うまでもなく神聖ローマ皇帝ですけれど、

ブルッヘ市がこのように豪華なモニュメントを作って皇帝を讃えようと決めたのは1528年。

折しもフランソワ1世との戦いが続いていた時期になりまして、東西の両国が争っているとなれば

困るのは間に挟まれた地域の人たちですなあ。ブルッヘ市も例外ではありませんですね。


結局、どちらかに付くという旗色を明らかにしなくてはと考えた結果が

この暖炉を献じることに決めたということになるようです。


暖炉の中央の置かれたカール5世像


皇帝の胸元に見える首飾りは金羊毛騎士団の印。

金羊毛騎士団はブルッヘゆかりのブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン(善良公)が立ち上げ、

その後はハプスブルク家 のマクシミリアンが領地ともども引き継いで、

カール5世の手に至るわけですから、こうしたゆかりがあったということになりましょうかね。

翻って考えれば、フランス嫌いは昔からでフランスに付くとは考えにくい土地柄でもあったと。


皇帝マクシミリアン1世と皇妃マリー・ド・ブルゴーニュ

ちなみに暖炉に向かってカール5世の左側には

祖父母にあたるマクシミリアン1世とマリー・ド・ブルゴーニュの像が、

反対側(写真にはありませんが)母方祖父母のカトリック両王(フェルディナントとイサベル)が

配されているとなれば、ある時期の世界史のオールスターキャストのようでもありますね。


今では古い街並みの残る観光地というだけのブルッヘですけれど、

歴史の転換点に鍵を握る立場で臨んだようなこともあったのだよねと、

そんな思いを馳せることにもなる暖炉見物なのでありました。


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