劇場公開時に見たいなと思ったものの、
すっかりそのままになっていた映画「女王フアナ」をようやっと見ることに。
(ま、そのままになってしまっている映画なぞ、山のようにあるのですけれど…笑)


女王フアナ [DVD]/ジュリアーノ・ジェンマ


映画としては「ううむ…」という仕立てだったやに思いますけれど、
世界史の流れの間隙を埋めるといった点ではいささかの効能無きにしもあらずでしょうか。


未だ統一されてはいなかったスペインで、
カスティーリャの女王イサベルとアラゴンの王子フェルナンド(後のアラゴン王)との間に
1479年に生まれた王女がフアナでありました。


1496年、当時の王侯貴族の間では当たり前のように政略絡みの結婚で
ブルゴーニュ公フィリップに嫁いでフランドルに行きますが、あれよあれよのうちに
スペイン側の王位継承者が病に倒れたりしていき、1504年、フアナに王冠が廻ってくるという青天の霹靂。
棚からぼた餅と喜んだのは夫のフィリップであったかもしれませんですねえ。


ブルゴーニュ公国はドイツとフランスの間に割り込む回廊のような

ロタリンギア(ロタールの王国)の復興を夢見て、いっときはフランス王国をも手玉に取り

「ヨーロッパにブルゴーニュ公国あり!」てな羽振りを見せておりましたですね。


さりながら、その栄華もシャルル突進公の戦死によって斜陽へと向かう。

突進公の娘マリーとその夫である神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が受け継ぐも、
内紛やらのごたごたで昔日の面影は薄れていき、

二人の子であるフィリップはブルゴーニュ公とは名ばかりのフランドルの領主となっていたような。


フィリップとしては、フアナの父母が夫妻でアラゴンとカスティーリャの二国を統治したように
自分もスペインで王様になれると踏んだのでありましょう。

フアナと一緒にスペインに乗り込むも、突然の病でもって1506年にフィリップは無くなってしまう。


一方、フアナの方はかねて「フアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)」と言われるほどに
精神的な安定を欠いており、国の統治が危ぶまれたことから幽閉されてしまうことになるのですよ。


映画ではこの辺り「フィリップ・ル・ボー(フィリップ端麗公)」とも言われる美男子であった夫に対して
激越な調子で嫉妬に狂いまくるさまが描かれて、家臣が政治向きの話をもちかけても
当のフアナは夫に付け文をよこした相手を探り出すのに頭はいっぱい、次から次へと女官たちに
文字を書かせては筆跡を見比べており、家臣の話に耳を傾けるようすはいささかもなく…という、
なんだかそれだけの話になってしまっているような。


とまれ、共同統治者と思われたブルゴーニュ公は亡くなり、

女王フアナは幽閉状態となって登場してくるのが彼らの息子であるカルロスで、

1516年にカルロス1世として即位することに。時に16歳ですか。


3年後、祖父である神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の死を受けて、
カルロスは皇帝位も受け継いで神聖ローマ皇帝カール5世となるわけですが、
世界史の上でカール5世の時代はハプスブルク家の絶頂期とも言われますね。

ヨーロッパのみならず、世界に跨る大帝国と。


「戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」

この言葉ははハプスブルク家の家訓とも言われたりしますけれど、

戦わずして領土拡大していく様が見て取れるようです。


が、それも祖父マクシミリアン1世の頃まででカール5世の治世は戦いの連続になるのですなあ。
フランスと戦い、オスマン・トルコと戦い、宗教改革勢力と戦いなどという具合。
宗教改革との関連では昨年夏に訪ねたヴォルムス で行われた帝国議会で
マルティン・ルター と対峙したことが思い出されますなあ。


カール5世の守ろうとした大帝国は結局のところ、

1558年にカールが没するとスペイン国王には息子のフェリペ2世が、
神聖ローマ皇帝には弟のフェルディナント1世が継いで分立することになってしまう。


ちなみにカール(カルロス)の母フアナは幽閉されたまま1555年まで、
つまりはカールの治世の末期まで生き長らえていて、

自らは廃位を受け入れたつもりは毛頭無かったそうなのですが、
息子が経験したような激動の時代にフアナがスペイン女王としてあったなら、

どのような歴史になっておったでありましょうや…と想像しても詮無いことではありますが。


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