前日リューデスハイムアスマンスハウゼン とライン渓谷の入り口をうろうろして、

ビンゲンから鉄道でマインツのホテル まで戻ってきたですが、

その途中にインゲルハイムという町を通ります。


先に読んだ「女教皇ヨハンナ 」の主人公が生まれたとされるのが、そのインゲルハイム。

ちと立ち寄って探索…とも思ったですが、教会史の上では隠された存在でしょうから、

何らかのゆかりに触れられるわけでもなさそうでしたので、「ここいらかぁ…」と思っただけで

通過したですが。


ライン川はその昔、古代ローマ が版図を拡大していく際の最前線でもあって、

それを越えるともはや蛮族の地とも考えられていたところ。


その後、ローマ帝国 の中にキリスト教 が浸透していったときにもやはり布教拡大の最前線であって、

そうした両方の意味での歴史的古さを感じさせるところが、ライン川沿岸にはありますね。

次に訪ねたヴォルムスもそうした町のひとつと言えそうです。


ですが、一般的には(日本人にとって)ヴォルムスという町の知名度やいかに?となれば、

ブンデスリーガの動向を気にかけておられる方はご存知かも(最近は低調らしい)ですけれど、

それ以外ではどうも…。


だいたい「Worms」でぐぐりますと、

「げげっ!」という画像検索結果なるものが同時に表示されてしまいますし(笑)。


とはいえ、学校での世界史学習ではヴォルムスの名は最低2回、聞くことになりますね。

ひとつは1122年の「ヴォルムス協約」というもの。


ヴォルムス協約そのものは「?」であるにしても、

叙任権闘争とかカノッサの屈辱とかはお聞き及びであろうかと。


教会や修道院はいろいろなところにあるわけですが、

これの司教や修道院長の任命権を世俗領主が持つのか、教会側が持つのか、

これを争ったのが叙任権闘争でありますね。


宗教施設なんだから教会側なんでないの?と思うと、ことはやはりそう簡単ではないようで

「その施設が建てられた土地は誰のもの?領主のものでしょ」となると、

自分ちにある施設を教会側の好き勝手にばかりはさせられない…との理屈も分からなくもない。


こうした争いでいちばん象徴的なのが「カノッサの屈辱」(1077年)なのではなかろうかと。

叙任権を争って時のローマ教皇グレゴリウス7世に破門された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が

雪の降り積もる中、跪いて教皇に赦しを乞うた…つまりは叙任権は教会にありで終結?てなお話。


これですっかり屈したかのように見えたハインリヒ4世ですが、

実のところ収まりはついておらず、再び破門されたりしてますし、

カノッサの屈辱から50年余りも経ってヴォルムス協約が必要になるのも争いは続いていたからですね。


神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と教皇カリクトゥス2世との間で結ばれたこの協約は表向き、

教会の叙任権を認めたものと見えながら、実は何の解決にもなっていない妥協の産物とも。


ここではこれ以上の深入りはしないでおきますけれど、

もうひとつ、ヴォルムスが歴史上クローズアップされるのは1521年の帝国会議でありましょう。


神聖ローマ帝国の帝国会議は何度かヴォルムスで開かれているものの、

1521年の会議がとりわけ有名で…と、その扱った内容に関することは

ヴォルムスの町を巡り始めてから触れることになろうかと。


マインツ中央駅からRE(Regional Express 区間急行とでもいいますか)に乗って、

ヴォルムスまではノンストップで30分ほど(RBという各駅停車だともう少しかかる)で到着。


カールスルーエ行きのREでヴォルムスへ


ヴォルムス中央駅はマインツやヴィースバーデンと比べてもかなり小ぶりな駅ですが、

ローマ帝国時代からの歴史を持ち、神聖ローマ帝国下では帝国自由都市であったという

歴史を背負っているからでしょうか、装飾的にも見栄えのする駅舎でありました。


ヴォルムス中央駅


これからヴォルムスを歩き廻ることへの期待が高まる…

そんな感じがしたものでありますよ。

いざヴォルムスの街中へ。


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