元来、遅読の傾向にあるのですけれど、
今夏はあまりに外が暑くて出る気にならずといった日々があり、
また観音崎 での一気読みもあって、読書が捗って捗って。
その成果を小出しにしているわけでありますが、
ここで取り上げるのは「女教皇ヨハンナ」という上下巻。
相応の長さではありましたけれど、うまく作ったなぁと思える物語展開に
日頃の遅読もどこへやらでありました。
フランク王国を最大版図に導いたカール大帝の世が終わり、
後を受けたルートヴィヒ1世も亡くなって、大国が分国化されるという落ち着かない時代。
大司教座のあるマインツ近郊に生まれた少女ヨハンナが、数々の艱難辛苦を乗り越えて
気付いてみればローマ教皇になっていた!というお話。
女性でローマ教皇とは?!と眉唾なあまり体のいい作り話と思っていたですが、
どうやらそうとばかりも言ってはいられないようでありますね。
ローマ・カトリック教会が正当と考えている教皇年代誌を紐解けば、
確かに教皇ヨハンナが入り込む余地は全くないようなのですけれど、
うっかりにしても女性を教皇に据えてしまったということは
(当時としてはなおのこと)非常な大問題であって、
あってはならないことと隠蔽を図ったとの考え方もあるようす。
何だってそういうことになってしまったかといえば、ヨハンナは男装していたと。
当時の女性が学問する(もっぱら神学でしょう)なんつうことは
本分(家庭のこと)を疎かにするとして全く顧みられなかった時代ですが、
旺盛な学究心を満たすには男装するしかなかったわけですね。
元より好奇心に溢れたヨハンナは
幼い頃から「なぜ?」という疑問を誰かれなくぶつけずにはおれないタイプ。
台所仕事に洗い物、繕い物といったことにはおよそ目を向けることなく、
聖堂参事会員の父から兄たちだけが教えを受けることが羨ましくて仕方がない。
しかし、砂浜にも光るものがあれば見出す人がいるようで、
司教の個人教授、ドレスタット(オランダ)の教会学校、フルダの修道院(ここから男装)と
ひたすらに学ぶ道を歩み、ローマに出てからは(野心もないのに)やはり認められて
教皇そば近くに仕え、やがては…ということに。
今から考えれば(今でも近い考えの人もいるのではと思いますが)相当に偏狭な考えに
貫かれていたローマ・カトリック教会のようすがまざまざと浮かび上がりますね。
そして、男尊女卑という点ばかりではありませんが、
過去の教えを尊ぶあまりにいっかな軌道修正ができないとすれば
宗教は場合によって人の道を誤らせることにもなろうなあと改めて。
作り話としても相当うまく作り込んでいる(7年のリサーチと執筆期間だそうで)と思いますし、
それに加えて「著者あとがき」にあるように実在した可能性を完全に否定できないとすると、
わくわく感(とは適切でないかもですが)は弥増すところではないかと思うのでありますよ。
ちなみに、本書の著者以前にもヨハンナのことを本にした人がいるようですけれど、
訳者あとがきに曰く「かなり破廉恥な印象を与える」のだとか。
塩野七生「愛の年代記」所載の「女法王ジョヴァンナ」はこの英語版を参照しているとのことでしたので、
出会ったのがこっちの本でよかったなと思いましたですよ。