昨夏、ハンブルク港 でフェリーに乗ったときに、
終着点の桟橋が「Teufelsbrücke」(悪魔の橋)という名称であったことを書きました。


どうもヨーロッパには「悪魔の橋」と呼ばれる橋がたくさんあるのようで、
一説には古代ローマ時代に造られたとも言われているところから、
古代ローマの建築水準は大したものだったのだなぁ…などと感心もしたですが、

どうやら俗説のような。


ところががっかりするには及ばず、
やっぱり古代ローマは大したものじゃないの!ということが改めて分かったのでありますよ。
ヴェネツィア編、パリ編 、そしてロンドン編 と見て来たDiscovery Channelの「メガ・シティ」、
これのローマ編と、それにローマ絡みの紀行番組をいくつか見たところ、
「そうであったか」と思ったのでありました。


では、古代ローマ建築の何が凄いのかということになりますが、

「テルマエ・ロマエ」 で思い出す公衆浴場なんかも該当しましょうけれど、

有名どころはやはり水道橋ですかね。


遠くから水を引いてくるために、石造のアーチ橋が延々と続いている。
これなんかも場合によっては「悪魔の橋」のひとつに数えられているケースもあるようですけれど、
南仏ニームのポン・デュ・ガールは世界遺産にも登録されていて、取り分け有名であろうかと。


ですが、そればかりではないのですなぁ。

そのひとつが道路建設、「全ての道はローマに通ず」でありますからねえ。


ローマから南へ総延長500kmに及んで、ギリシアへの玄関口となるブリンディシまで続く道として
アッピア街道がありますですが、レスピーギ「ローマの松」の一情景にも出て来る、これまた有名どころ。


石畳というと聞こえはいいですが、

今から考えると「むしろ歩きにくいんでないの?」と思えるふうに
大きな石が隙間のあいた状態で敷かれている状態が今でも残っているという。


古代というだけにずいぶんと大ざっぱな舗装(摩耗などの経年劣化を考慮しても)だなと

考えたりしたですが、どうやら古代ローマの人びとが作り上げたのは

この表に見える石畳の部分だけではないのだそうな。


結構掘り下げた上で、何層かに渡り、性質の違う石やらコンクリートやらを敷き重ね、
最後の最後に今でも表面に見える石畳を敷いたというのですね。


アッピア街道は単に道というでなく、
「ローマの松」の情景描写を思い出せば「なるほど!」であるように軍用道路であった。
後々の戦車や大砲ほどに重くはないにしても、投石機なんかはあって、

それなりの重さがあったとすれば、道路にはそれに耐えるだけの頑丈さが必要だったでしょうから。


と今、さらっとコンクリートと言いましたけれど、
「古代ローマにコンクリートはねえだろうよ?!」と思ったところがさにあらず。

ローマの地中には市を取り巻く火山の噴火によってできた火山性堆積物の層があって、
そこからポッツォラーナというセメントのような性質(水と石灰を加えると固まる)のものが
採れたというのですね。


ローマン・コンクリートとも言われる、この頑丈な建材を活かして、大きな建築物が造られた。
例えばコロッセオの土台なんかにもたっぷり用いられているようですし、
パンテオンの円蓋部分は「無鉄筋」コンクリートとしては世界最大級であるそうな。


コロッセオが造られたのは1世紀、
パンテオンは元は紀元前ながら今に残るのは2世紀前半に再建されたものだそうですけれど、
その頃の日本は弥生式土器の時代になりましょうか。


日本の古墳 時代の建造物も大したものだと思いますし、比べて卑下することもないですが、
それでも古代ローマの建造物、それを造る技術水準にはやはり「ほお~」と思いますですなあ。