ということで、ハンブルク滞在の最終日となりました。
翌日は午前中少々の時間はあるというものの、丸一日をフル活用できるのはこの日だけ。
そこで、悩みに悩んだ挙句、ひとつの決断を!
とは大げさですが、今回ハンブルクにいる内の一日を利用でして、
リューネブルガー・ハイデを歩き回ってこようとの目論見があったものですから。
丁度エリカの花が咲き乱れておるであろうという時期なだけに、
それこそ英語やドイツ語のサイトをたぁくさん見て検討しておったわけでして。
ところが何度か触れておりますように、旅の途中からめっきりしんどくなってきた
ひざの具合はこの最終段階に至るも、快方には向かわず…。
そりゃあ、だましだましにもせよ、これまでご覧のとおりに動き回ってしまってますし。
で、こりゃあとても野っぱらを何時間も歩くてなことは難しい…との判断やむなきに至り、
急きょ方針展開して臨むことにしたのありましたですよ。嗚呼、残念。
そこで、(途中、チリハウス のあたりをぶらりとしたこと後になりますが)
向かったのはハンブルク港でありました。
先に内アルスター湖から乗った運河クルーズ が少々思惑違いだったこともあり、
今度はハンブルク港を行き交う公共交通機関としてのフェリーに乗ってみようというわけですね。
それなら、あんまり歩かないし。
地下鉄に乗って辿りついたのは、Landungsbrückenという駅。
直訳的に考えれば、上陸用桟橋の複数形てなことになりましょうか。
ただ、やおら立派な石造時計塔がお出迎えしてくれたりするところを見ると、
元々は結構立派な船などの乗降にも使われたのやもしれませんですね。
で、建物の向こう側に抜ければ、目の前はもうハンブルク港です。
といっても、何度か言っておりますようにここは河川港ですから、
海ではなくしてエルベ川なのですけれど。
てなこと言いつつ、すでにフェリーに乗り込んでいる構図でありますが、
乗船時は「おお、あそこに来とる、来とる!」と一目散だったものですから、
写真をとったりする暇もなく乗り込んでしまったという。
これは降りた後の写真なので、話の進行と場所が合致しませんけれど、
ともかく思ったよりも断然大きい。
コペンハーゲンの水上バス
なんて小さかったですからねえ。
これだけ大きめの船を使って沿岸のあちらこちらを結ばなければならないのは
理由がありまして、要するに橋が架かっていないのでありますよ。
何しろ港ですから、大きな船もバンバン入ってくるのでしょう。
大きいと言っても、せいぜい人と自転車を運ぶの精一杯ですから、
見る見るうちに離れて行く岸壁の建物(上の写真の左側くらいのところ)、
この真下に「Alter Elbtunnel」(古いエルベ・トンネル)というのが通っているそうな。
これが1911年にできたレトロもので歩行者も通行できるということなので、
ひざの心配がなければ、こちらにも行きたかったんですが…。
ほどなくして見えてくる潜水艦は旧ソ連製とのこと。
「U434」をの名称からすると、これも「Uボート」なのでしょうね。
原子力でないものとしては最大級の大きさで、
今は内部を見学できる観光施設になってるそうですけれど、さぞかし油臭いでしょうなあ。
さらにもそっと行きますと、ユニークな形をした建物が見えてきました。
どうやら右手から屋上へと繋がる傾斜面は歩いて登ることができるようで
(オスロのオペラ・ハウス
みたいですが)結構登り降りの人がありましたですね。
こうした細かい情報はおよそ日本の旅行ガイドには載ってませんが、
外国人(って、ここでは自分もですが)の方々はこまい情報をよく知ってますですねえ。
港も外れに来たのか、貨物用のガントリー・クレーンがまばらになってきますと、
反対側の街並みもすっかり郊外の佇まいになってきます。
そろそろ乗り換え地点になるわけですが、
実は何となく適当なフェリーに乗り込んだわけではないのでして、
一応ちゃあんと目的地を想定しており、
そのためにはまた別のフェリーに乗り換えが必要なのでありますよ。
進行方向、遥か先まで見事に橋がありませんけれど、
このままずいずい進んで行けば、北海に出るという。
リューベックからの海の出口がバルト海だったのに、ここでは北海。
この違いがハンザ同盟でリューベック
とハンブルクが盟友となる
理由のひとつでもあるわけです。
ところで、上の写真で船がこちらに向かってくるのが小さく、小さくみえましょうか。
どうやらこれが乗り換える先のフェリーと踏んだところ、果たして正解。
こちらが先に到着していた桟橋の前方に回り込んでやってきました。
この青いフェリーに乗り換えですが、ちなみに最初乗った方が62番、
これから乗る青いのが64番のフェリーでありました。
ところで、この64番の目的地たる桟橋は「Teufelsbrücke」(悪魔の橋)という
穏やかでない名前が付いておりましたが、ヨーロッパには「悪魔の橋」と呼ばれる橋が
実はたくさんあるのだそうで。
古代ローマ時代に造られた大きな石造アーチ橋などを見た中世ヨーロッパの人々が、
自分たちにはそんな技術はない(古代ローマは大した建築水準だったということですね)ことから
「あんなすごい橋を誰が造ったんだ?」「悪魔に違いない!」てなことが命名由来とのこと。
ただこうしたエピソードを知ったのは、旅から帰ってきたあとだったので、
64番を降りて「悪魔の橋」を探すでなくすすっと通り過ぎてしまったのは今でも残念だなと。
とまれ、上陸して向かった目的地というのがイエーニッシュ公園。
すっかり郊外に来ていて、手元のどの地図ももはやエリア外。
おそるおそる目的地と思しき方向へ進んで行ったのでありました。