鐘楼 やヒストリウム のあるマルクト広場 から土産物屋などの並ぶ石畳道を歩くことわずか、
ブルッヘ中心部のもうひとつの広場であるブルフ広場に到着します。
ブルフは「Burg」ですのでドイツ語的に「ブルク」と言いたいところですが、ここはフランデレン読みで。
マルクト広場が観光地然としていたのに比べると、
こちらはちと厳かというのか浮ついていないというのか。
もちろん観光の見所はありますので観光客がいないわけではないのですけれど。
ところで、このブルフ広場はブルッヘ発祥の地的な場所なのだとか。
そして今では想像しにくいですが、この広場のあたりはかつて北海の波に洗われる、
まさに海沿いの土地であったそうなのですなあ。
先にヒストリウムの展示解説にあった地図でもすでにブルッヘは河川港の状況で、
海に面してとは思えなくなってますが、どんどんと海から砂が運ばれてブルッヘを内陸へと
押しこんでしまい、それがブルッヘの斜陽をもたらす要因でもあるという。
とまれ、そのようなブルッヘのブルフ広場も由緒ある建物が並んでいるのですが、
ひときわ目を引くのが上の写真にあるブルッヘ市庁舎でもあろうかと。
14世紀後半から15世紀初頭にかけて建てられたものであるそうです。
壁面の装飾と見えるものはその全てがブルッヘにゆかりある人物の彫像ということで、
部分的にクローズアップしてみますと、こんな具合です。
下の左側はフェリペ2世の娘イザベル、夫のアルブレヒトと共にネーデルラント総督となった人、
右側はアントウェルペンのルーベンスを外交官としても使ったフェリペ4世…というように、
ひとりひとりの像を見ていくとここでも歴史がたどれてしまうようになっているのですなあ。
(どうもフェリペ4世はベラスケス の絵で見慣れた顔つきとは結びつきませんが…)
と、とりあえず中に入ってみます。
フェルメールでよく見かける市松模様の床になったホールから階段を上っていきますと
そこに広がるのがゴシックホール。質朴から絢爛への一瞬の転換でありますよ。
壁面にはぐるりと、ブルッヘの歴史を物語る絵画が飾られています。
例えば、このような場面です。
絵に示されているとおり1190年のこと。ブルッヘにとって初めてとなる特許状が
フランドル伯フィリップ・ダルザスから与えられたという歴史的出来事を表しているそうな。
ブルッヘの自治権はここから拡大していったのでありましょう。
こちらは1433年の出来事。
といっても、描かれているのはまだ若いヤン・ファン・エイク とその奥さんが右側に。
睦まじいご夫妻だったのでありましょう、犬がそばに描かれていますね。
そして、左側には市参事会員の人たち、絵の注文にでもやってきたのでしょうか。
とまれ、ブルッヘの歴史を語る絵巻の中に、ヤン・ファン・エイクのこんな場面が描きこまれる。
それほどに影響力があって、歴史的でもある人物という評価なのでありしょうなあ。
ちなみに左端のイーゼルにあって部分的に見えているのは「ファン・デル・パーレの聖母子 」、
ヤン・ファン・エイクの傑作のひとつがこれから仕上げられようとしているのが
歴史的場面たる由縁かもしれません。
と、いったふうに見て回るのも興味深いブルッヘ市庁舎。
ゴシックホールのほかにも展示室がありますし、
ブルッヘの歴史を予備知識として臨むと興味倍増となること必至の場所なのでありました。








