先に出かけた村治佳織&村治奏一ギター・デュオ・コンサートでは映画音楽がわりと取り上げられていたと言いましたですが、その中に誰しも耳にしたことがあるであろう名曲のひとつとして演奏されたのが映画『ニュー・シネマ・パラダイス』からのメロディーの数々。いやあ、これも染み入りましたなあ。

 

で、「そういえば、見てなかった…」と思い出した映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を見てみることに。言わずと知れた『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽を担当し、2020年に没した作曲家エンニオ・モリコーネの生涯に触れたドキュメンタリーでして、全編2時間37分、こちらも魅せられましたですよ。

 

 

そも個人的にエンニオ・モリコーネの音楽を意識したのはやっぱりマカロニ・ウエスタン。クリント・イーストウッドをスターに押し上げた『荒野の用心棒』(1964年作品ですので、TVのロードショー番組で初見)でありましょう。同じくイートウッド主演、セルジオ・レオーネ監督によって続けて作られた『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』もまたモリコーネの音楽が印象的で。

 

今回見たドキュメンタリーの中では、『夕陽のガンマン』を映画館で見たブルース・スプリングスティーン(1965年の映画なので、スプリングスティーンが15~16歳頃かと)が、見終わってすぐにサントラ盤を買いに走った…てなことを語っておりました。マカロニ・ウエスタンは映像としてハリウッド西部劇とは趣きを異にすると同時に、音楽の面においてもということになりましょう。

 

かようにマカロニ・ウエスタンは映画音楽作家モリコーネの出世作でもあるところながら、『荒野の用心棒』の音楽を担当した際、ダン・サヴィオなる変名を用いていたとは気付いておらなかったですなあ。実名を出さないというか、出したくなかったあたりで、モリコーネの音楽的な背景を知ることになるのでありますよ。

 

エンニオの父親は場末のバンド(?)でトランペットを吹いていたようですけれど、その父親から「トランペット奏者になれ」と、エンニオは地元ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に送り込まれることに。父親としては職人の手に職ではありませんが、何かしらの技能を身に付けておれば、将来食いっぱぐれが無いという親心だったのしょう。当の本人は医者になりたかったようですけれど、父親の横やりのおかげで後の人たちが大いに彼の音楽の恩恵を受けることに。ま、結果論ですが。

 

ただ、音楽の方向に導いた父親はあまり芸術的な指向性があったわけではないようで、やがて音楽院で作曲のクラスも受講するようになったエンニオは、父親に隠れて作曲課題をこなしていたようで。何せ20世紀半ばの音楽世界は、いわゆるこてこての前衛音楽がさまざまに試されている時代でしたでしょうから、父親が気付けば「そんなもの、飯のタネにならない」と一蹴されたのではなかろうかと。

 

さりながら師匠の薫陶を受け、当時からよく知られたドイツ・ダルムシュタットの現代音楽講習会に派遣されたりもしたエンニオは、例えばジョン・ケージがただただノイズの集積とも受け取れる演奏?を「音楽作品」として披露していたようなことに強く影響を受けるのでありますよ。初期のマカロニ・ウエスタンでエンニオが数々の変わった楽器を用いたりするのは、その発露でもありましょうかね。

 

とはいえ、前衛音楽、実験音楽のような作品を書くという芸術的行為は、やっぱりそのまま日々の糧には繋がらないのも事実であって、エンニオの活動はレコード業界、テレビ、そして映画という商業路線に広がっていくことになります。が、同じ頃に純粋音楽?の作曲を志していた仲間たちの中からは「商業音楽を書くことは、アカデミックな音楽家にとって売春に等しい」てな言葉が聴かれたりも。エンニオ自身にも、そうした思いが無かったわけではないところへもってきて、痛烈な批判となったことは言うまでない。

 

ではありますが、これまた結果ですけれど、同時代の作曲家の作品を知る人はおらずとも、エンニオ・モリコーネの作品は世代を問わず、「ああ、あの曲」と知られる作品が数多。ともすると、映画は知らないけれど、曲は知っているということさえあるのですよね。音楽の質がどうのということは措いておいたとしても、世界中の多くの人の記憶に残る曲を書いたのは、間違いなくエンニオの方。晩年になって先の売春発言をした作曲家も、エンニオの功績への見方を改めることになるのでありますよ。

 

しばらく前に国立映画アーカイブの企画展『日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち』を見たときに、当時の日本の若手作曲家たちがやはり(食うための術ともして)映画音楽に携わっていたことに気付かされたわけですが、ローマの音楽院仲間ほどの商業音楽敵視は無かったのではないかと。それだけ、欧州の伝統に根差した(と当事者たちは信じて疑わない)アカデミズムの牙城が強固、というか頑なだったのでもあろうかと。

 

むしろ映画に付ける音楽を軽い添え物としか考えていなかったものを、映像と音楽の相乗効果とそれによる音楽の自立性、ステイタスを上げることに貢献したのがエンニオ・モリコーネなのでしょう。マカロニ・ウエスタンの曲を懐かしく聴くもよし、『ニュー・シネマ・パラダイス』のようなメロディアスな曲に浸るもまたよし。ですが、例えば『殺人捜査』などの作品から映像と音楽の緊密な結びつきを探るのもまたまたよしでしょう。ただし、古い映画なだけに視聴方法があるのかどうかは分かりませんけれど…。