ひと頃は音楽ジャンルのひとつに間違いなく「映画音楽」というのがありましたですなあ。昔はよく聴いていたラジオのFM放送でも「今日は、映画音楽の特集です」てな番組がありましたしね。

 

かつて映画は公開されている期間にロードショー館で見るか、名画座に回ってきたところで出向くか、はたまたしばらくたってTVの「月曜ロードショー」とか「日曜洋画劇場」とかいう番組におりてくるかしたものに接するか、見る機会がとても限定的なもので、それだけに映画を見ること自体、日常よりもちょっと贅沢な楽しみとしてわくわくを増幅させていたような。

 

ですので、映画を振り返るにあたって簡単にもう一度見るということが叶わない(何度も映画館に行けば別ですが)となれば、映画を反芻する術としてサウンドトラック盤というレコードが有用であったと思うのですよね。先に触れたラジオ番組で放送されたのはおよそそれぞれの映画のメイン・テーマであったり主題歌(劇中歌の場合も)だったりするわけですが、サントラ盤は映画の中でシーンの進行とともに使われていたさまざまな音楽が収録されていて、順に聴いていくことで映画のシーンを脳裡にまざまざと蘇らせる効果があったとも。

 

近ごろでは映画を繰り返し見ることの敷居が相当に低くなっていますので、音楽で反芻する以前に映画そのものを何度も見ればいいということになるのか、サウンドトラック盤といったものの存在価値が低下しているのかも。だから映画の(テーマ曲とか主題歌とかでない)音楽にあまり耳を傾けなくなって、そういうつなぎの音楽はさして重きをおかれないようになってきているような気がしないでもないところでして。

 

とまあ、例によってまた昔懐かし語りになってますが、やおらこのような思い巡らしになりましたのは、東京・京橋の国立映画アーカイブで開催中の企画展『日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち』を見て来たからでありました。

 

日本において映画産業が隆盛を極めた1950年代から1960年代にかけて、映画界はさまざまな芸術分野のエキスパートたちに協力を仰ぎ、作品を続々と送り出していました。その最たるものの一つが音楽です。とりわけ、日本で当時活躍した作曲家たちの多くが映画界と手を結び、その繁栄を力強く支えました。作曲家たちにとっても、映画のために音楽を書き下ろす仕事は自らの創作意欲を実践に移すための貴重な機会でもありました。彼らによって映画のために書かれた諸作品は、演奏会用作品とはまた一味違った魅力に溢れています。

本展の冒頭にはこんなふうに紹介がありましたですが、映画音楽に手腕を発揮した作曲家たち、ここにはいわゆるクラシック音楽畑の作曲家たちが数多く含まれていたのですなあ。例えば、團伊玖磨、芥川也寸志、黛敏郎、松村禎三、矢代秋雄、林光、武満徹などなどなど。

 

 

中でも取り分け前三者はTVの音楽番組の司会や超長期連載のエッセイなどを通じて、彼らの作品そのものには縁がなくとも極めて高い知名度を誇っていたわけで、もちろんクラシック作品の作曲においても「3人の会」を結成して積極的に自作の発表を行っていたような人たち、これが皆映画音楽にかなりその才を注ぎ込んでいたのですな。しかも「3人の会」の結成背景には「映画の仕事のため滞在していた京都で三人が偶然出会ったこと」があったのであるとは。

 

 

もちろんこの三人以外にも映画に寄せる音楽の仕事に携わった作曲家は数多く、だからこそこんな作曲家別の映画音楽アンソロジーのレコードが出ていたくらいなのですなあ。伊福部昭は言わずと知れた映画『ゴジラ』の音楽担当でありますね。

 

とまあ、そんな状況はあたかも綺羅星のごとし、であったわけですが、大作曲家たちといえどもなかなかに本業で食っていくのが難しい時代、映画の音楽そのものの魅力、意義を感じていなかったとはいいませんけれど、いわば音楽職人として製作現場に関わっていたような。團伊玖磨は自伝『青空の音を聴いた』の中で実に正直な(?)ことを言ってますな。

映画音楽の作曲は、何よりも大きなオーケストラが使える事が嬉しく、勉強にもなった。そして、報酬の良さは、その他の時間を、収入の伴わない自分の作品、オペラや交響曲やその他の曲を書く時間を僕に与えた。

代表作である歌劇『夕鶴』は映画の仕事が生んだ報酬と時間の賜物なのかもしれませんですね。一方、芥川也寸志は著書『音楽の旅』に忙しさに追われる現場のようすを綴っています。

テレビに押されるまでは映画界は活況を呈し、量産に次ぐ量産という状態であったから、どこの会社でも撮影が完了すると大急ぎで仕上げて封切っていった。したがって、編集がすんでから録音までの作曲期間はせいぜい一日か二日。たいてい徹夜につぐ徹夜ということになった。

このあたり、團伊玖磨と芥川也寸志の映画音楽作品の量産具合に違いがあることも関わっているのでしょうけれど、ここまでに触れてきた日本の作曲家の中で、映画音楽が取り分け印象に残っているのは芥川也寸志でしょうかね。『砂の器』、『八甲田山』、『八つ墓村』といった作品が印象深いのはとにかく必死で(?)映画館に通っていた時代と重なるからかも。

 

ただ、1978年に始まった回日本アカデミー賞の第1回最優秀音楽賞を、『八甲田山』と『八つ墓村』の両作品をもって芥川が受賞しているようですので、まあ、印象深いのも宜なるかなと(それにしても、日本アカデミー賞とやらはこの頃からあったのでしたか…)。

 

ともあれ、こうした印象の深さというのは何もテーマ曲ばかりのイメージではありませんで、全編を覆う曲の数々、そして映像との相乗効果とでもいいますかね。幸いにも、この二作品の場面場面の音楽はYoutubeに挙がっていますので、振り返ることが容易でありますね。そうであっても、やっぱり便利が全て良いこととも思いませんが、それは大量生産・大量消費の流れにどっぷりつかっている感があるからかも。ま、それは余談ですけれど…。