子供の頃には好きでよく怪獣 映画を見たものでありました。
てなことを言いますと、当然に「ゴジラ」が浮かんでくる…という方が多いのではと推測しますが、
個人的には「ガメラ」の方が好きだったなあと。


それはともかく「東宝チャンピオンまつり」として公開される怪獣映画では、
ゴジラは完全に「いいもん」でその他の怪獣(モスラは例外ですが)を退治してくれる側になっていて、
そもそもの出自とはずいぶん異なる経過を辿ったと知ったのはずっと後の話。


気にはなっていたものの、ついぞ機会なく今に至っておりましたですが、
このほどようやっと元祖「ゴジラ」で見てみたのでありました。


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元祖「ゴジラ」が制作された1954年とは

第五福竜丸がビキニ環礁での水爆実験で被曝した年でして、
ゴジラの誕生も水爆実験との関わりから起こることになっているとは予備知識でしたけれど、
いざ見てみるとジュラ紀の生物の生き残りとして、水爆実験のはるか以前から
語り継がれている存在ということになったいたのですなあ。


東京湾沖で船舶の遭難事故が相次いで発生しますと、
比較的近い大戸島(伊豆大島のことでしょうか)の古老が伝承を思い出して
「ゴジラ…」と呟くのですから。


ただジュラ紀の生物たる恐竜で二足歩行するティラノサウルスは
「骨格標本から推定される成体の体長は約11 - 13m」(Wikipediaより)ということですから、
体長50mとされたゴジラは遥かに大きいわけで、この巨大化は水爆実験との関係なのかも。


またゴジラの口から放射される霧状のもの(後の作品では光線状に描写されていきますが)は
放射能を含んだ高温の息だともされますので、ここでも水爆の影響は大。


つまりは、その後に登場する数多の怪獣のように
どうしてそんな生物が出てきたのかは全く不明ながら、
そのことは一切問わないのとは違って、
太古の恐竜の生き残り(それ自体あり得ないでしょうけれど)が水爆実験という人為でもって
強力な破壊力を持つ巨大生命体となってしまったとしている辺り、

僅かながらもありそうな話にしようとしているといいますか。


そうしたことにする必要性は言わでもがなですけれど、
自然の脅威という以上に人間の関わった過ちであることを敷衍しているのでしょうね。
結果的にも人間が行った水爆実験によって水爆そのもの、もしくはそれ以上の破壊力のあるものが
生み出されてしまったと。


ゴジラは東京の町で破壊の限りを尽くし一面を火の海にしていきますが、
これは人間目線の見方であって、もしもゴジラくらいの大きさの犬がいたとして
ただ単に街なかでじゃれただけでも、見方によっては破壊であって、

何と凶暴なと見えるかもしれません。


だからこそでしょうけれど、古生物学者の山根博士(志村喬 )は
ゴジラ対策に「殺すことばかり考えている」と批判するのですね。


見ているときには現実から離れすぎた研究者目線とも思えたところながら、
人間が勝手に作り出したものを人間の勝手で片付けようする悲哀と言いますか、
小説「フランケンシュタイン」(映画でなくて)をお読みになった方には想像できるでしょうけれど、
そうしたことを後からじんわり思いましたですよ。


また、ゴジラが生き物であるかどうかは措いて、その破壊力だけに目を向ければ、
水爆実験によって生み出されたもの、つまりはその実験の成果として水爆が作られた、
あるいはそれを上回る爆弾が作り出された…と考えることは容易でありますから、
ゴジラの破壊力=水爆(もしくはそれを上回る爆弾)の破壊力が東京という町に行使された結果を
描き出して見せたとも言えましょうね。


ネタバレは端折って、どうにかこうにかゴジラを撃退することに成功するわけですけれど、
最後の最後になって先の山根博士曰く「ゴジラはまだどこにでもいるような気がする」てな一言が。


これは如何様にも受け取り可能ですけれど、要するにゴジラ的脅威、ゴジラ的破壊力は
そこここにあって、いつ目を覚ますか(行使されるか)分からないという時代の空気そのものでしょう。


太平洋戦争の敗戦から9年、

広島、長崎の原爆投下も東京の大空襲もぜんぜん昔のことじゃない時代、
日本では「戦争はこりごり」と思っているのに、周りでは兵器開発に余念が無いという危機感。
だから日本もそちらの方向で肩を並べて…ということが愚だと受け止められる時代に
警鐘としてゴジラは誕生したのだったのですなあ。


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