「京橋
」の話をしたところで、そもそも京橋に出向いた目的を
東京国立近代美術館フィルムセンター
を訪ねるとしていたわけですが、
すっかりその話が遅くなってしまい…。
そもフィルムセンターでのお目当ては「生誕110年 映画俳優 志村喬」という企画展示にあるも、
既に8月から始まっているこの展示に、当初は「志村喬の展示かぁ…」と
およそそそられてはいなかったのですね。
確かに「七人の侍」率いる勘兵衛の存在感には感銘を受けたものですが、
さほど黒澤映画
を見ていない者にはあまりぴんとくるでもなく…。
ところが、たまたまその黒澤映画の一本「醜聞 スキャンダル」を見る機会がありまして、
これにはびっくり仰天。
本来の主役は三船敏郎と山口淑子であって、志村喬は脇であるはずなのですが。
偶然のニアミスみたいな写真を元にあたかも恋人であるかのごとく書きたてる雑誌に業を煮やして、
当事者である画家(三船敏郎)と声楽家(山口淑子)は訴訟を起こすことに。
そこに訴訟の弁護を引き受けようと登場するのが志村喬扮するダメダメ弁護士なのですな。
最初に飄々とした印象を醸すあたりも志村の演技巧者ぶりが窺えるわけですが、
後にだんだんとダメダメぶりが分かってくるにつれて、
その感情移入した演技がもうたいへんなことになってくるのでありますよ。
あの「七人の侍」の勘兵衛とは似ても似つかぬその役どころを迫真のというのか、
入魂のといいますか、そうした演技で見せられますと「この人はいったい…」てな気もしてくる。
そこで思い出したのが、フィルムセンターの企画展示であった…と、こういうわけでありまして。
展示の冒頭に本展の趣旨が掲示されておりましたですが、そこでは志村喬をして
「二枚目でも三枚目でもない、人間味と朴訥さ、そして風格を備えた演技者」といい、
400本以上の映画(黒澤作品では21本)に出演したことが紹介されておりました。
これだけの映画に出ている俳優なればそのなりの興味を持って見に来る人がいると
この展示を企画された方々は思ったのでありましょうか。
となると、個人的には最初あまりそそられてなかったり、
逆に見に行く人がどれほどいるんだろうと思ったのは大きな勘違いとなりそうですが、
展示の中で志村夫人の回想を見たときに「やっぱりぃ?」と思ってしまいましたですよ。
「はたして、志村の主演映画で館がいっぱいになるのだろうか」
これは、日比谷映画劇場(現在の日比谷シャンテの場所にあった大型映画館)の座席で
映画「生きる」の上映を待ち受ける志村夫人が抱いた思いとのこと。
先の引用にもあるように「二枚目でも三枚目でもない」俳優の主演作だけに
ご夫人であっても心配だったのでありましょう。
結果的には始まりの「主演 志村喬」と一人だけでクレジットされるのを見て
ご夫人は感動し、誇りに思ったようでありますよ。
言うまでもなく映画「生きる」は不朽の名作に位置付けられてますですね。めでたし、めでたし。
(そんな作品を見ていなかったりするから、個人的にこの展示に関心が薄かったのでしょうなあ)
ところで面白いなと思いましたのは、
黒澤明監督が「醜聞 スキャンダル」の評として語ったと紹介されていたこと。
「思わぬ人物が主人公よりも生々と活動を始めて、その人物に引きずり廻されてしまった」
映画を見ると「まさにその通り!」と思うところですが、
監督自身もそんなふうに受け止めていたのですなあ。
もっともこうしたことがあって、
「醜聞」(1950年)の後に「生きる」(1952年)が作られたのでもあろうかと。
もちろん展示では志村喬の生い立ち、人となり、そして作品に関するあれこれがありましたですが、
ここまでくるとやはり気になるのは作品そのもの、というか志村の演技。
ということで、この際ですからまた別の映画を見たあとに
志村喬展のことを書こうと思った(から書くのが遅くなった)わけでして、
黒澤映画ではこの作品以降、「志村喬は三船敏郎と共に看板俳優となった」とされる
「酔いどれ天使」(1948年)を見てみたのでありました。
DVDカバーの写真は三船敏郎でして、決して野沢那智ではない(笑)のですが、
結核病みのヤクザを演じてどんどんやつれていくにつれ、演技としては凄絶なものになるも、
どんどん野沢那智化していっているようにも…。
という戯言はともかく、この写真でも明らかなように
三船敏郎押しになっている「酔いどれ天使」と見えながらその実、
「酔いどれ天使」の異名は志村喬演じる医者なのですなあ。
「天使」というよりは「酔いどれ」が勝っている、なにしろ医療用純アルコールを
お茶で割って飲んだりする真田なのですが、戦後という世相もあってか、
ヤクザに仕切られた掃き溜めのような町(象徴としてセットのど真ん中に泥沼がある)で
飲んだくれ、すぐに誰彼なくどやしつけたりしつつも人びとの病気の世話をしているのですね。
(「掃き溜めに鶴」の鶴役は、セーラー服の可憐な少女として登場する久我美子でしょう)
そんな世話焼きの真田と結核にかかったヤクザの松永(三船敏郎)との対峙は
なかなか見ものであるわけですが、これはやっぱり志村の映画なのでありましょう。
これを見る前に「醜聞」の演技があって「生きる」ができたように思っていたわけですが、
いやあ志村の演技者ぶりはそれ以前から。
まだまだ見るべき作品はありそうだと改めて思った次第でありますよ。


