「好きこそものの上手なれ」とも申しますが、また一方で
「好きなことを仕事にできればとは言っても、仕事となれば楽しいことばかりじゃないし…」
という受け止め方もありますですね。
個人的には後者の考えに近しいかもしれません。「仕事は仕事、遊びは遊び」と。


ですが身近なところで、小さい頃から電車が好きで、中学・高校になっても変わることがなく、
結果として鉄道会社で仕事をしている…なんつう例に接すると、どうやら毎日楽しくも充実していたりするような。


まあ、先の考え方のどちらがどうのというよりも、

長くそして熱く「好き」という思いが持続する対象がなかったというのが、
個人的実状ということになりましょうか。


ところで、小さい頃は「怪獣」が好きでしたねえ。
こないだの怪獣展を覗いてみて思い出したのですけれど、おえかき帳はそれこそ怪獣の絵ばかり。
ただ、おえかき帳というからには幼稚園からせいぜい小学校低学年。

ですから「怪獣好き」というのも、それほど長い期間ではなかったのかもしれませんですね。


先日「マニア」と「おタク」といった言葉を引き合いに出しましたけれど、
考えてみるに、そもそもそうした素質はないのだなということを思うわけです。


しかしながら、対象が「怪獣」であってもずっと好きでいるという人もやはりいるのですよね。
図書館で見つけた「ずっと怪獣が好きだった」という実にストレートなタイトルの本の著者、

品田冬樹さんはまさにそうした人なのでありましょう。


ずっと怪獣が好きだった/品田 冬樹


さすがに「ゴジラ」の第1作(1954年作品)は後追いながら、その後は「怪獣映画」を見続けて、
高校生の頃に一端、怪獣映画製作が途絶えることになったと知って途方にくれてしまうような人。


で、この方の仕事はといえば「造型師」というようですが、
再開ゴジラシリーズではまさにそのゴジラや敵対する怪獣の「着ぐるみ」を作っておられるそうな。
(ちなみに撮影現場では元来「ぬいぐるみ」と呼ぶのだそうです)


とまれ、そうした経歴をお持ちの方がなぜ怪獣映画に入れ込むのかという点ですが、
ひとつには「ミニチュア都市破壊のカタルシス」であるようですね。


昨年だったか東京都現代美術館の「特撮」展では

撮影用のミニチュア都市はこんな感じかと組まれたセットを見ましたけれど、
実に実にリアルな都市景観の再現であるわけです。


言葉として「破壊の快感」のようなものは確かにあろうとは思うものの、
リアルに再現された町が一瞬にして焼き払われるところを見て「カタルシス」を覚えるということには
無理があるのではなかろうかと思ったり。


取り分け地震大国と言われてしまう日本で、

例えば阪神淡路大震災や東日本大震災といったものを経験しては、それを映像で見ていただけの側としても、

同じように作りものとはいえ破壊される街並みがやはり何らかの映像を通して届けられるとき、
感じるのはカタルシスではないような。


てな書き方をすると本に対する批判めいてしまいますので「ゴジラ」の話に戻しますが、
「ゴジラ」第1作は先程も触れたとおり1954年の作品で、つまりは敗戦後9年目に作られているわけですね。


本書の惹句に「ゴジラはなぜ日本で作られたか」というのがありますけれど、
「ゴジラ」というのは「都市を破壊し尽くしてしまうような何かしらの脅威」の具現化と言ったらいいでしょうか。


広島、長崎は原爆で、東京を始めほとんどの大都市は度重なる空襲で焼け野原になった日本で、
思い出したくないような破壊されるという惨状を思い起こして、
そうした惨状を招くことに繋がりかねない危機を見過ごしにはいけないのではないかということを訴えている。


背景としては、米ソを中心にした核爆弾の開発競争があったでしょう。

はっきり「これ」とは言えないものの、あの惨状を繰返しかねない何かを「ゴジラ」として描き出した。

だからこそ、ゴジラは水爆大怪獣と言われますし、

その大きさで都市を易々破壊するだけでなく、放射能熱線を武器としている。
要するに、プロパガンダ映画なわけですね。


そうした点で「ゴジラ」の与えた印象というのは圧倒的なものがあったはずですけれど、
観客としては当然に大人が意識されていたことには注目しておきたいような。


それが圧倒的知名度を誇る東宝の看板役者となった「ゴジラ」というキャラクターだけを活かして、

子供も取り込んだ大衆化路線の作品、つまりはたキングギドラと対決したり、息子が出てきたり、

はたまた「シェ~」をしたり…てなふうになっていきましたけれど、
個人的にはですがたぶん年令を重ねていく中でだんだん離れていったのと、

たまたまにもせよ同時期なのかも。


そんなふうではあっても「ずっと怪獣が好きだった」と言い続けられる著者のような方には
また違う何かを思うところがあるのでしょう。

ひとつに「破壊のカタルシス」と言いましたが、それだけではない何かが。


ということでまたまたまとまらなくなってますが、
機会があったら個人的にはより身近と思えるウルトラ怪獣の方で考えてみたいと思うところでありますよ。