1980年代の前半でしたか、山下和仁というクラシカル系のギタリストの演奏にびっくらこいたことがありました。「ギターは小さなオーケストラ」とは言われるも、大規模な管弦楽曲を自ら編曲してギター一本で再現してしまう。演目はムソルグスキーの『展覧会の絵』だったかストラヴィンスキーの『火の鳥』だったか(なんだ、覚えてないのか…)、ともあれ東京文化会館小ホールのリサイタルに出向いたのですが、クラシック・ギター演奏のリサイタルに足を運んだのは、後にも先にもこの時だけでしたなあ。
と、それから優に40年余りを経て、クラシック・ギターの演奏会に出かけてみたのでありますよ。ま、今回はソロ・リサイタルでなしに、デュオですけれどね。村治佳織と実弟・奏一による姉弟の演奏会です。
同じくギター教師の父親から最初の手ほどきを受けた姉弟だけに、均質な響きでデュオに馴染むのでああるか…などと勝手に想像しておりましたが、二人がクローンでできているわけではなし、ギターに関してはそれぞれ違う個性を育んだのでしたか。トークに曰く、付いた師匠も違う(福田進一と鈴木大介と)、留学先も違う(フランスとアメリカと)、使っているギターの制作者(アメリカ人とドイツ人と)も材質(杉材と松材と)、そしてつま弾くための爪の形も、と。
こんなふうに言われたからではありませんですが、個々のギターからこぼれ出る音色はやはり異なるものがありますな、当然ながら。詳しくない者の単なる印象ですけれど、奏一の方がエッジが立った感じで、時にスチール弦が張ってある?てなふうにも聴こえたり。よりポップス系の曲に馴染むような気がしたですなあ。
一方で、佳織の側からはもそっと、ふわっとした感じの音が聴こえる。粒立ちのくっきりは弟にあるも、ふんわり感はより包み込む雰囲気があるように思った次第です。そんな違いを時に際立たせつつ、時に馴染ませつつ演奏されたのは、映画音楽由来の曲が多く、聴き馴染みのあるメロディーもいろいろと。
まあ、地方公演(一応、会場のある立川は東京都ではありますが、地方のようなもので…)では、集客の関係もあってか、あまり攻めたプログラミングはされないようですので、ほどほどのところですかね(オケの地方公演ではやたらに「新世界より」とか、いわゆる名曲ばかりですものね)。
ということで、ギター曲といえば!的な「アルハンブラの思い出」とか、アンコールで演奏された「禁じられた遊び」とか、悪く言えば耳タコというか、手垢が付いた曲というかもあったわけですが、これらの曲に改めて耳を洗われる思いがしたのはライブならではなのでしょう。
自宅にいて、もはやレコードやらCDやらを取り出して聴こうとも思わなくなった曲ながら、手垢が付こうが耳タコだろうが、要するに名曲として残る由縁に触れた気がしてものでありますよ。キン!とした響きが曲に適っていた奏一ソロによる「エストレリータ」も、曲としては今さら的なるものながら、しみじみとしてしまいましたですよ。
「珠玉の小品集」といいますと昔の廉価版LPのタイトルみたいですが、たまにはいいもんですなあ。オーケストラの地方廻りでも、いっそのこと名曲は名曲として小品集でプログラムを組んでもらえないものかと、思ったものでありますよ。