先日、ハイドンのトランペット協奏曲がラジオから流れてきましたときに、
音楽史の中でバロック に代わる古典派の時代がさも唐突にハイドンから始まり、
モーツァルトベートーヴェン と連なるような話がされるわけですけれど、
ハイドンがやおら「おらぁ、バロックはやめた。古典派だけんね」

てな宣言の下に一線を画したわけでなし、年代的にはバロックから古典派と言われる様式への

過渡期にいたんだろうな…と思ったわけです。


ハイドンは1732年生まれで1809年に没してますけれど、
時代としてはハイドンが18歳頃まで大バッハが生きており、27歳頃までヘンデルが生きており、
長生きしたテレマンに至ってはハイドン35歳まで生きていた…ということは、
バロック音楽はいまだ次々と生み出され続けていたはずではなかろうかと。


ですが、バロックと古典派の端境期にハイドンがいると思いましたのは

また別の側面でありまして、たまたま流れてきた曲がトランペット協奏曲であった

ということなんですね。


一昨年亡くなったモーリス・アンドレというトランペット奏者の演奏は

一世を風靡するものでしたですが、ディスコグラフィーを見ると、

バロック期の作曲家の名前がずらり。

今考えてみると、編曲物も多かったのだろうと思いますけれど、
どうしてもトランペット協奏曲はバロック期にひと花咲かせた分野なのかなと思ってました。


ハイドンがトランペット協奏曲を作って以降、

モーツァルトがホルン協奏曲を作っているものの、その後の作曲家たちの手になる協奏曲は

もっぱらピアノ協奏曲であり、ヴァイオリン協奏曲 であったわけで、
管楽器、取り分け金管楽器用のコンチェルト(トランペットも含めてですが)は

時代遅れになったのか…てなふうに受け止めていたわけです。


それだけにトランペット協奏曲を残したハイドンはバロックとの端境期にある作曲家か…と繋がり、
トランペットという楽器も古い楽器なのだろうと漠然と思ったりしたのですね。


ところがところが、金管楽器で最も古い形態と思しきトロンボーンにように
管の伸び縮みで音程を変えるものではないのがトランペット。


基本的に自然倍音が出せるものでしかなかったのが、
ハイドンと同時期のアントン・ヴァイディンガーという人が鍵盤トランペットなるものを発明して、
半音階を奏でられるようになったことから、ハイドンはそれ用の協奏曲を書いた

という話があるそうな。


「鍵盤トランペット」と聞いたときにはピアニカの胴体にラッパのついた形、
あたかもうなぎと犬を足して2で割りうなぎ犬ができあがったみたいな

ヘンテコな印象しかなかったですが、
どうやら管にいくつか穴を開けて、それを塞ぐキーが付けられたもの、
つまりは木管楽器のようなキー操作でもって音程を変えるものであったようですね。


このメカニズムによって確かに半音までを吹き分けることができるようになったとはいえ、
木管楽器ほどにはうまく機能せず、キーを閉じた状態(自然倍音ですね)と

キーを開けた状態での音質に違いがありすぎて、ほとんど一般化することがなかった。


今、セルゲイ・ナカリャコフやティモフェイ・ドクシツェルといった奏者たちが

超絶技巧を聴かせてくれるのも19世紀に入って

ヴァルヴによって音の通り道の長さを変えるシステムが出来たからこそ。
そう考えると、トランペットとはむしろ新しい楽器ということになってきますですねえ。


ですから、ハイドンのトランペット協奏曲というのは
たまたまヴァイディンガーという人がいたからできた突然変異的な曲であって、
考えてみるとハイドンに続くモーツァルトやベートーヴェンなどでも

稀に軍隊ラッパみたいな使い方はしても、

あんまりトランペットが特長的な使い方をされることなないようにも思われます。


現代に近づけば近づくほど作曲家はいろいろな楽器を用いて、
楽曲もそれを演奏するオーケストラも巨大化していきますけれど、
どんどん楽器の勝手がよくなって「こんなにちゃんと音の出せる楽器なら使ってやろう」と

考えた結果でもありましょうかね。


単にいろんな音を作曲家が欲したから…くらいに思ってましたが、
どうもそれだけではない側面があるようでありますですね。