さて、大阪歴史紀行といいながら直接的には歴史と関わるものではない事柄が時折出てくる、

そのひとつとして大阪市立美術館を訪ねたというお話でありまして。

 

あべのハルカスに見下ろされながらたどり着いた美術館は閉館30分前。

コレクション展のみを30分一本勝負で見て回ろうとまあ、そういう算段でありました。

 

 

しかしまあ、コレクション展だけとは言え、展示テーマは6つもあって見て回るのも大忙し。

目に留まるという一期一会を思って、展示室内を歩き回ったわけなのですね。

まず最初は「屏風祭り2019」というテーマのコーナーです。

 

比較的「狩野派」の作品が多かったですが、東京で見るのとは違ってこちらは主に「京狩野」ですな。

一番最初にありました「四季山水図屏風」などを見ますと、

狩野派が伝統を踏まえて連綿と繋がっていたことに思いを致すところでもあろうかと。

 

ところで、京狩野の中には投獄の憂き目にあった人物もいたとは、前に本で読んだ気がしますが、

それがとばっちりであったような説明を見て、そうであったかとも。

 

徳川将軍とともに?江戸に移った狩野探幽らと別れて、京に残った狩野山楽。

そしてその娘婿である狩野山雪があとを継ぎますけれど、

山楽には伊織という実子もおり、やはり絵師として狩野山益(三益)とも呼ばれたそうな。

 

ですが、この伊織さん、婿とは違って「ええとこのぼん」状態であったか、

どうも借金トラブルを起こしては義理の兄を悩ませることになっていたようで。

Wikipediaにも最近の研究成果として、山雪が投獄されたのは

伊織の金銭トラブルに巻き込まれたからとあり、完全にとばっちりであるわけですなあ。

 

と、余談が長くなりましたが、屏風絵のコーナーでは黄檗宗の僧であるという鶴亭が残した

「墨梅図押絵貼屏風」に「水墨は抽象につながるよねえ」てなことを思いつつ、

次のコーナー「画中人 中国の人物画」へと。

 

ここではいずれも清朝時代のふたつの作品に目をとめました。

胡璋(鉄梅)による「木蘭従軍図軸」と閔貞の「蝦蟇仙人図軸」というものでして、

特に後者…といっても絵画的などうこうではなくして、描かれている蝦蟇仙人のことにちと食いついて。

 

「蝦蟇仙人」という名は耳にしたことがありましたけれど、姿かたちが思い浮かぶでなく、

改めて描かれた姿に接しますと、いわゆるロシアのユロージヴィのような存在でもあるかなと思った次第です。

 

だんだと駆け足っぽいさまが書きようにも表れている気がしますけれど、次のコーナーは仏教工芸の世界。

きわめてざっくり言ってしまいますと、煌びやかさ、精緻さといった品物をもってして民衆を煙に巻くのは

どの宗教でも同じなんだろうなあ…という感想を持った次第。

こうなると、美術鑑賞とは違う目線になってしまってますけどね。

 

ここで触れたのは3つの展示コーナーでしたですが、もちろん6つを一巡りはして、

閉館時刻を告げるアナウンスにどんどんと人がいなくなっていく中、ねばりに粘った30分ではありました。

外に出たときには、ああ、大阪の日が暮れていく…といった具合。これで大阪探訪二日目の終わりですなあ。