Google mapから遠慮がちに借りてきたものですから、小さ過ぎて見づらいとは思いますが…。

 

 

マラッカの地図の部分でして、中央上にあるのが丘の上にあるセントポール教会跡になります。で、下から左上に弧を描くようにあるのは丘の麓を巡る道、ここをデコデコに飾ったトライショーが盛んに行き来をしているのですが、この道沿いにずらりとミュージアムを称する施設が並んでいるのでありますよ。地図では赤丸をつけてみましたが、やっぱり小さく過ぎてよく分かりませんですね(苦笑)。

  • The Malay and Islamic World Museum
  • Bastion House (Museum)
  • Muzium RakyatKite Museum
  • UMNO Museum
  • Malacca Museum Corporation
  • Muzium Islam Melaka
  • Muzium Seni Bina Malaysia

抜き出してみますといかに博物館だらけであるか、想像できようかと思いますが、実際にここを歩いてみるとミュージアムの看板はもっと多かったような気がしたものでありますよ。

 

とかく観光地には間違って入り込むと「こんなもん?」と後悔するような博物館、ミュージアムを称する施設があったりするものでして、一概には言えないにもせよ、この通りに並ぶものは大方、そんな類であるように思えたものです。

 

残り少なくなったマラッカ滞在時間でどこかしら覗いてみようかいねとも思ったですが、これらのミニ?博物館はパスすることにして、結局は未見の大所に入り込むことに。上の地図では右端に「ここですよ」マークの付いている、その名も独立宣言記念館(Memorial Pengisytiharan Kemerdekaan)です。

 

 

ここに至る直前に立ち寄った鄭和文化館でカメラが電池切れになった…と申しましたので、こちらの建物が外観は前日のうちに撮ったもの…と少々の御断りを。つまり、ここから先は残念ながら写真無しということになりますです、はい。

英国領時代に建てられたコロニアル建築物。当時は社交クラブとして使われていました。現在は歴史資料館になっていて、古い紙幣や歴史的な写真が展示されています。初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマンは、イギリスから独立する条約を持ち帰り、この建物の前で独立を発表。翌年の1957年、マラヤ連邦として独立を果たしました。(マレーシア政観HP)

さらり、歴史資料館として「古い紙幣や歴史的な写真が展示」とされていますけれど、マレーシアの歴史、取り分け英国の統治を脱してマラヤ連邦が独立し、その後にボルネオ島の州をも含めたマレーシアとなるも、シンガポールが分離独立することになる…といった流れがつぶさに見られるようになっておりましたよ。もはや近現代史の領域ですので、当時の新聞やら写真やらで出来事を紹介する形でもって。

 

ところで、かつてマラッカ海峡を挟んで対岸のスマトラ島も同一文化圏にあったわけですが、そちら側はオランダ領、半島側は英国領という歴史の違いもあってか、前者はインドネシア、後者はマレーシアとして現在に至っていることは以前にも触れましたですが、政体の違いからも別の国という意識はすでに確立しているのでありましょうかね。インドネシアが大統領を中心とした中央集権で運営されているのに対して、マレーシアでは連邦制で13州それぞれに君主がいる(君主の中から選挙で国王が選ばれる)ということでは、かなり違いますよね。

 

13州のうち7州までが君主の呼称を「スルタン」としているように、イスラム教の宗教的な地域統治者の伝統を引き継いでいるのでしょう。各州はそれぞれのスルタンの宮廷があり、それぞれに固有の文化がある。そのことをよおく教えてくれるのが、独立宣言記念館のほど近く、サンチャゴ砦の裏手にあるマラッカ・スルタンパレスであるかと。こちらもまた博物館になっています。

15世紀のマラッカ王国の王宮を復元した木造建築物。内部は文化博物館になっていて、当時の王族の寝室、謁見の間を再現したジオラマ、当時のスルタンの衣装や武器、石碑などが展示されています。(マレーシア政観HP)

こちらを覗いて、例えば各州の王侯の衣装を見比べるだけでも、それぞれに個性があるのですよねえ。まあ、国土面積で言えば日本とさほど違わない(日本の方が少々大きい)わけで、地域ごとに文化的な個性があったりするのは変わらないというべきなのでしょうけれど。

 

スルタンパレスで見た個性の違いを写真でご覧にいれられないのが誠に残念ではありますが、マラッカ観光の最後の最後になって、独立宣言記念館とスルタンパレスに触れ、マレーシアという国のことに、遅まきながら触れることになりました。というところで、そろそろクアラルンプールへと戻ることに。このときは未だ腰痛の不安が過ぎ去ったわけではありませんでしたので、またまた「Grab(グラブ)」利用で楽して移動したものでありました。