ということで、マラッカにおけるポルトガルの名残りを求めて、スタダイス裏手にある丘へと登っていきます。山というほどでなく、文字通りに丘なのですけれど、思いのほか登り感のあるところでしたなあ(腰の具合が万全でなかったせいでもありましょうけれど…)。

 

 

で、程なく到達する頂上で迎えるのはフランシスコ・ザビエルの像でありますよ。日本のキリシタンの痕跡をたどり歩いている…というわけではないものの、近しいところでは長崎に行っても、鹿児島に行っても、そして石巻に行ってもザビエルの名前を見かけていただけに、「ここでもまたお目にかかりましたなあ…」てなもので。

 

 

ところでこのザビエル像、右手が失われている?長らく風雨に曝された結果、ぽろりと…といったふうにも想像するところながら、それだけでは済まない(宗教がかった?)逸話があるようです。マレーシア政観HPには、こんな紹介がありますですよ。

ザビエル像の右手が無いのは、かつて埋葬された彼の遺体がローマ法王の元に届いたとき、右手が無いことが判明。同じ時期、このマラッカのザビエル像に雷が落ち、右手を直撃。粉々に飛び散ったそうです。

これには(よくあるように)諸説あるようでして、元々ローマ法王のもとへ送られたのはザビエルの右手だけで、マラッカでは右手の無い遺骸に擬えて像を造った…とかいう話も。雷が直接右手に落ちた…というのも、奇跡がかってますので、実は近くの大木に雷が落ちて倒れかかり、右手を直撃ということだったとか、いろいろですなあ。

 

ともあれ、マラッカ海峡を望む地に立つザビエル像は遥かな西方、ローマを眺めやってでもいるのか…と思うところながら、ちと視線は下向きでしたな。でもって、像の後ろ側にある古びた外壁を持つ遺構がかつてのセントポール教会であると。1521年にポルトガルによって建てられたカトリック教会です。

 

 

見るも無残な廃墟となっているのは、結局ポルトガルに代わってこの地を支配したオランダがプロテスタント国だったからだそうで。宗派対立はこんなところでも起こっているわけで、カトリック教会など撃ち捨てておけ!ということであったらしいですな。

 

 

天井の落ちた堂内には墓碑が並んでいかにもな雰囲気…と思うところが、この墓碑、よく見るとなんとはなし「オランダ語でないの?」と。後知恵になりますが、カトリック教会が打ち捨てられた後、この見晴らしの良い場所はオランダ支配下でプロテスタント墓地とされたとか。

 

さらに後、イスラム教国として独立したマレーシア(当時はマラヤ連邦)政府では平然とキリスト教徒の墓地を撤去して再開発を計画したところ、せめて墓碑だけでも古いカトリック教会堂の中に移して保存しましょうと手を差し伸べたのがカトリック信者たちであったとか。宗教には時と場合によって対立もあり、寛容もあり、ということになりましょうかね。

 

さて、お次はこの丘を反対側に下って、もそっとポルトガル残照を見ておくことにいたしましょうね。