マレーシアのマラッカといえば、この赤い建物群ではなかろうかと。マラッカの中心地の中心、オランダ広場にたどり着きました。一般にサーモンピンクとも言われる外壁の塗装ですが、どうも光線の具合なのか、真っ赤に見えましたなあ。

 

 

ともあれ、この鮮やかな色合いの元々がマレーシア政観HPに紹介されているのですが、知ってしまうと「そうなの?」という気にもなる話でして。

建設当時のオランダ占領時代、これらの建物はすべて灰色でした。ところがその後、イギリス植民地時代に労働者たちが嚙んでいたビンロウの色で建物の外壁のあちこちが赤く汚れしまい、その汚れを隠すために、現在のサーモンピンク色に塗り替えた、といわれています。

オランダつながりでピエト・モンドリアンやら、はたまた『ミッフィー』のディック・ブルーナやら、明るくはっきりとした色遣いのイメージで、かってに結び付けていたところのあるオランダ広場、元は灰色、その後に赤い汚れを隠すために赤で塗りつぶしたとは、実用一点張りの対処だったのでしたか…。

 

ちなみに右手に奥へ長く続いている建物が、「1650年、当時のオランダの総督邸として建てられたもの」で「見えている東南アジア最古のオランダ建築の建物ということです。一般にカタカナ書きで「スタダイス」と紹介されて、かねがね妙な語感であるな…と眉間に皺状態だったのですが、改めて「Stadthuys」という綴りを見れば、「おお、オランダ語っぽい!」と。

 

以前アムステルダムに出かけたりした際に少々かじったオランダ語を思い返すと、同じ語義を現代のオランダ語で言うなれば(おそらく)「Stadhuis」になるんではなかろうかと思いますが、要するに意味は市庁舎ということで。しかしまあ、スタットハイスがスタダイスになってしまいますかぁとも。

 

 

オランダ広場を取り巻く建物でもうひとつのランドマークになっているのが、このマラッカキリスト教会でありましょう。オランダがマラッカ支配をポルトガルにとって代わって100年に教会建築が計画されて、出来上がったのが正面ファサードにあるとおり、1753年であるようで。

 

ポルトガルが造っていたのならば、正面には光採りの大きな窓にステンドグラスが入って…といった、神の栄光を見た目に表した作りになっていたかもですが、そこはそれ、プロテスタント国のオランダだけに、実にさらりとした正面になってます。その後をひき継いだのが英国ですから、またさっぱりした教会をそのまま受け継いだのでもありましょうかね。

 

 

ちなみに教会の左隣にもうひとつ、同色で塗られた建物がありまして、やはりオランダ政庁の機関が入っていたようす。という具合に、オランダ広場と言われるのもむべなるかなという場所ですけれど、建物の手前に噴水があるのをご覧いただけましょうか。

 

これには「Victoria Regina 1837-1901」と記されたプレートが付いていることからも分かりますように、ヴィクトリア女王のメモリアルなのですよね。すなわち英国統治時代に造られたものと。

 

てなことで、オランダ、英国の統治の名残りに接したところで、お次はポルトガルの名残りを眺めてみることになるのでありますよ。それには、少々坂を登らねば…。