茅野市の康耀堂美術館 を覗いてみたことに触れて、
日本画が云々とまた個人的な印象だけであれこれ書き連ねてしまいましたですが、
さして詳しいわけでもないのに…という思いもこれあり、
ではここで改めて日本画を見に行こうと思ったのでありますよ。


こうしたときにちょうどタイミングよろしく出光美術館@丸の内では
「江戸の狩野派-優美への革新」なる展覧会をやってくれているものですから、
おそらくは「日本画と言ったら!」という場合
の代表選手のひとりかと思われる狩野派の作品を

目の当たりにしてきた次第であります。


「江戸の狩野派」展@出光美術館


室町幕府の御用絵師となった狩野正信(1434-1530)に始まり

戦乱の世にも時の権力者の庇護を受けていった狩野派ですけれど、
江戸幕府が成立すると江戸に移って幕府の御用絵師となる「江戸狩野」と
都に残って創作活動を続けた「京狩野」とに分かれるものの、
幕末まで連綿と受け継がれていったという、絵も巧ければ世渡りも上手と思われる一団。


展覧会は、その内の「江戸狩野」に焦点を当てていたものとなっておりました。

江戸狩野の始祖となるのは狩野探幽(1602-74)でありまして、

御用絵師に登用されたのが16才であったとは、確かな画才であったのでしょうなぁ。


会場内にあった解説の受け売りになりますが、探幽の特徴としましては、

長谷川等伯などの前の世代から受け継いで独自に発展させた「余白」の使い方。

この「余白を活かした優美・瀟洒な絵画様式」は当時革新をもたらすものであったのだとか。


例えばですが、狩野元信(正信の子で元祖狩野派の2代目)の作と伝わる「花鳥図屏風」と

探幽の「叭々鳥・小禽図屏風」とが並べて展示されているのを見ますと、

元信との描き込みの差はかなり歴然としたものであって、探幽は確かに余白が多い。


ですけれど、その余白は単なる白ではなくして空気感が「ある」のですよね。

川岸の朧、断片的な松から見てとれる(想像されるというべきかもですが)ところですし、

遠景に奥へ奥へと深山は続いているのだなぁと思わせてくれます。

空気遠近法ではないわけですが、心理的な遠近感が得られますですね。

こうなると、果たして「余白」と呼ぶのが適当なのかとも思ったりするわけです。


でもって、江戸狩野は探幽の後、

尚信、安信、益信、常信(探幽自身、出家前の名前は守信)らによって引き継がれていきますが、

尚信の個性を大きく評価する向きもあるところながら、今回の展示作では

やはり探幽に目が向くことになろうかと。


展示作のあれこれには鳥の描き込まれた作品が多くありましたけれど、

「ああ、まさに鳥が飛んでおる!」という感を得たのが探幽作品であったからでもありましょうか。


取り分け最初に展示されていた探幽の晩年作、「波濤群燕図」(1670年)は

極端に縦長の画面に20数羽の燕がそれぞれに飛び戯れているさまを描いたもので、

これだけの燕の数となればその配置、バランスが難しかろうと思うわけですが、

個々の燕に個性があって見飽きることがないという。


ところで、同じく鳥を題材にしたものとして、本展フライヤーにも使われている

安信作の「松竹に群鶴図屏風」(フライヤーは部分)がありますけれど、

後に近代以降「粉本主義」との非難を浴びた狩野派らしい作品。


これの元絵は相国寺所蔵の漢画ということで、まず探幽作の「飛鶴図」を見、

さらに安信作(鶴は左右反転して描かれてます)を見、

そして泉屋博古館 (東京・六本木の分館です)で養信作(「鳴鶴図」)も最近見ましたですが、

どうも鶴そのものの描写では元絵(参考図版で展示)に敵っていないような…。


手本を模写することで一定技量の習得を目的としながらも、

真似に終始するあまり独創性が失われたとされる粉本主義には、

いい面もよろしくない面もやはりあるのでしょうね。


展覧会に足を運んで、こうした知恵をつけてもらいつつ、

日本画の世界にも少しずつ分け入っていくことも、また楽しからずやでありますね。