先日ミューザ川崎へ出かけたついでに立ち寄った東海道かわさき宿交流館の、さらについでとしましては毎度のごとく川崎浮世絵ギャラリーも覗いたのでありますよ。開催中であったのは「新版画—風景画の変遷 松亭・巴水・紫浪・光逸・江逸」という展覧会でありました。

 

 

立ち寄る「ついで」の順位が後回しだったのは、確か同じ会場で比較的近い時期に新版画の展覧会を見たよなあと思ったからでして。振り返ってみれば、やはり昨2024年1月に「新版画の沁みる風景―川瀬巴水から笠松紫浪まで」と、類似性の高い展示を見ておりましたですよ。

 

そのときには、新版画の成り立ちに始まりから見ていって、今をときめく?!巴水の画面に大いに惹かれるところがあったわけですが、状況が変わるとというか、時間が経ってみるとというか、感じ方、受け止め方も変わるものは不思議というべきか、当然というべきなのか…。

 

今回の展示でも、明治になって台頭した石版画、銅版画、写真術に押されて江戸期以来の木版技術が衰退することを憂えた版元の渡邊庄三郎が、絵師、彫師、摺師、そして版元の四業協業の「新版画」を提唱するところから展示解説は始まります。その動きに高橋松亭、橋口五葉、伊東深水といった画家たちが呼応するわけですが、五葉は書籍の装幀などで知られ、深水は言わずとしてた美人画で有名、一方で松亭は?と思えば、松本楓湖の弟子であると。

 

つい先日に山梨県立博物館で見かけた恵林寺所蔵の「武田勝頼像」を描いたのが松本楓湖だったもので、武将の図像などを多く描いているだけに弟子の松亭はずいぶんと違う方向に舵を切ったものであるなと思ったり。

 

ともあれ、その後にようよう川瀬巴水らの登場で「新版画」は活況を呈していくわけですが、松亭の展示作が明治末から大正期に、そして巴水の作品が昭和初期に制作されたところからしても、江戸の浮世絵と新版画との間にはもうひと段階あったということになりましょう。代表的なのは「光線画」で知られる小林清親とか。

 

こうした流れに思いを至しつつ、参考として出展されていた歌川広重の保永堂版「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」と小林清親の数作、さらにその後の新版画作品とを順々に見ていきますと、光による明暗やら色遣いやら、洋画を知らなかった頃には戻れないという状況があったろうなあと思うところです。

 

描写自体もよりリアルになっていって、それが開化後の新しさを表すものとなってもおりましょうが、そうではないところにある情緒感という点で、江戸期の作品には余白があったようなと感じたりもしたものです。

 

そんな思いが湧いてきてみますと、前回展で「おお!」と思った巴水の作品から妙にかっちりくっきりした印象が起こってしまいまして、むしろ広重の蒲原にしみじみ見入ってしまったりしたものでありますよ。

 

展覧会フライヤーの右下に配された石渡江逸(やはり昭和初期に活躍)の「生麦の夕」でも、かっちり感の印象は伝わるところであろうかと。ただ、これはこれでおそらくその後のイラストなどの描かれ方にも大いに影響を与えていったろうなあと思ったものなのでありました。

 


 

てなところで、例によって父親の通院介助に出向きますので、明日(4/15)はお休みを頂戴いたします。では、また明後日(4/16)に。