ちょいと神奈川県川崎に出向いたついで、ついつい寄ってしまうのが川崎浮世絵ギャラリーなのですなあ。2024年年明けから始まった展覧会は「新版画の沁みる風景―川瀬巴水から笠松紫浪まで」というものでありましたよ。

 

 

近年はいつの間にか「新版画」が浮上してきておりますな。ひとえに川瀬巴水が注目されたからでもありましょうか。ただ、新版画の担い手作家が川瀬巴水のほかにもたくさんいたのですなあ。そして、その背後には仕掛け人がいた…(と言うと胡散臭げですが)。版元の渡邊庄三郎。江戸期でいうなら蔦重みたいな人でしょうかね。

明治期になると石版画や銅版画、写真術などが台頭したことから(浮世絵版画は)徐々に衰退の道を辿っていきました。

本展のっけの解説パネルにあった、このような時代状況が渡邊庄三郎の背中を押したのでもありましょうね。昨2023年末に総集編が放送されたNHK連続テレビ小説『らんまん』でも、牧野富太郎、でなくて主人公の槙野万太郎が植物図鑑に載せる図版には石版画を採用しておりましたっけ。木版では再現しにくい細密な描写をそのままに複製する点で、石版画に利があったのでしょう。

 

そうは言っても、長い伝統を持つ日本の木版技術に新境地を見出して存続させたい。そんな版元の期待に応えて、独特の抒情世界の現出に挑戦した作家たちがたくさんいたというわけで。その中には、あの伊東深水もいたそうな。でもって、最初は洋画を学び、やがて日本画に転じた川瀬巴水が風景版画を制作するきっかけとなったのが伊東深水の「近江八景」であったとは。

 

伊東深水といえば「美人画」とばかり思う中、風景画であってしかも版画であるか…と思ったりもしたわけですが、それが巴水に繋がるのですなあ。ちなみに深水は鏑木清方の門下として知られますけれど、川瀬巴水もまた清方に師事したと。清方は門人の号に「水」を付けるのが好みだったのですかね。深水は深川生まれだからですけれど、巴水の方はどうなんでしょ。

 

で、本展では伊東深水作品は『富士三景之内 於箱根見晴台写』の一点が展示されて、お隣には巴水の『箱根芦ノ湖』が並べられておりましたよ。当然に見比べるわけで、そこには「どっちが?」という優劣を考えてしまうところながら、敢えて個人的な好みで言うならば巴水に分があるような。肉筆画における深水の描写とは驚くほどに異なるおおらかな表現があるようにも思うものの、それは版画扱いの巧みさに巴水が優っていたということになるのかもです。

 

この『箱根芦ノ湖』を皮切りに巴水の作品(やはり展示数では他の作家より多い)が連なるのですけれど、最初のうちに並んでいる箱根の風景は、どうやら巴水と三菱とのつながりの産物であるようで。今では「小田急 山のホテル」の名称で宿泊施設になっているところにはかつて岩崎小彌太の別邸があったそうな。「別邸時代、岩崎男爵は庭園を整え、桟橋を作って、多くの人を別邸に招き、もてなしました」と、同ホテルHPにありますように、岩崎家の迎賓館的建物のひとつであったようですね。

 

その邸と庭園、借景となる芦ノ湖と富士をとりこんで、巴水に「新版画」を依頼したのは、内外の来賓・来客に記念(いわば絵葉書代わり)として巴水の新版画を進呈していたとか。結果的に、この岩崎のばらまきが川瀬巴水の新版画を国内のみならず、海外にまでも知らしめる効果を生んだようでありますよ。

 

ところでそんな巴水の作品を見ていくうちに、フライヤーに配された『上野清水堂の雪』でもそうですが、和傘を差した女性の姿が散見されることに気付きました。まあ、女性と和傘は浮世絵以来、数多く用いられてきた定番モティーフとも言えましょうから、度々出てくるのは、まあ決まり事、定番といったところかも。

 

さりながら、いくつかは同じ模様の傘(藍色に白い和がひとつ)を描いているのでして。同じ人物(とは限りませんが)が上野、荒川べり、品川と渡り歩くようで、いずれも情感がしみじみと伝わる作品だけにこれらをつなぐ女性の物語を紡ぎだしたくもなるのでありますよ。そのあたり、巴水の術中にはまったということになりましょうかね。

 

そんな数かすの巴水作品にあって、取り分け景観に見入ってしまうのは『森ケ崎の夕陽』でしょうか。今では東京・大田区大森南となって味気ないことこの上ない地名になってますが、昔は海水浴場としても知られたところであると。そのような場所を選んで、巴水は「薄桃色から淡い黄色、水色へと変化」(本展解説)する夕暮れのグラデーションを描き出したのですな。これが実にしみじみとするもので…。

 

とまあ、風景画に秀でた巴水ですので、擬えるのも分からなくはないように「昭和の広重」と呼ばれることもあるという。ですが、巴水本人としては歌川広重よりも小林清親の方が好みにかなっていたのであるとは。清親といえば「光線画」ですけれど、本展を見ながら気付いてみれば「なんとまあ、夜景の多い…」と。お江戸の時代にはそれこそ月明りを頼りにするくらいなものであったところが、明治になって夜の巷の光量は格段に増えたからでもありましょうかね。夜では見通しがいいからというよりも、明暗のコントラストに注目する作家たちが多かったからでもあるような。

 

と、冒頭に「新版画の作家はたくさんいて…」と言っておきながら川瀬巴水の話ばかりになってしまいました。ついで程度になってしまうも、新版画の題材としてはあまり多くはなさそうな花鳥画、動物画の分野で小原古邨の作品、特に『月に花』ですとか『雨中の小鷺』ですとかには「ほお!」と。吉田博『鈴川』の逆さ富士なんかも「いいもの、見たな」の印象が。2024年の展覧会始めは実に清々しいものとなりましたですよ。