先日は新宿で世界天才会議 に出くわしたり、芝居 を観たりとしたわけですけれど、

も一つ(天才会議の話なんぞよりも)書き留めておこうと思ったものがあったのでして。


損保ジャパン日本興亜美術館 で始まった展覧会、

「生誕140年 吉田博展-山と水の風景-」というものでありますよ。


「生誕140年 吉田博展 山と水の風景」@損保ジャパン日本興亜美術館


画家・吉田博の名は、
2009年に三鷹市美術ギャラリー で開催された

「世界をめぐる吉田家4代の画家たち」展(4代で画家7名というファミリーなのですな)を見て

記憶にはあったですが、その後に見かける機会もなく過ごしておりました。


ですが、先ごろ訪ねた横浜美術館のコレクション展 で久しぶりに吉田作品を見かけ、

「自然を映す」というテーマになるほど相応しい作品でもあるかと思ったのですね。

そんなところで始まった新宿の展覧会、せっかくですので出かけてみたというわけです。


先に三鷹市美術ギャラリーで展覧会を見た際に

およそ意識するところまで到達しなかったのですが、

吉田博という人は何という反骨の画家であることかと、今回思い知ったようなわけで。


明治9年(1876年)生まれの吉田博。画家を志すわけですが、

同じ時期に画家志望の洋行といえばともかくフランスへという状況でしたろう。

そのようなときに吉田はこんなふうに考えるですな。


「自分より下手な連中が政府の給費生としてフランスへ出かけて行く。

 ならば、自分の行先はアメリカだぁ!」てな具合。

もちろん給費生ではありませんので、わずかな金と描きためた絵だけを持って。


しかしまあ、強運でもあるのでしょうね。

初めての渡米で絵がデトロイト美術館館長の目にとまり、

それならと展示即売をしてみれば飛ぶように絵が売れたというのですから。


絵の技術は磨かれていないながらも天性のものがあったでしょうけれど、

どうやら日本の風物景観が描かれた作品にはアメリカの人にとって

「エキゾチック・ジャパン」に見えたのでもありましょう。


とまれ、そんなふうにして名が知られるようになった吉田博、

いささかコンプレックスに思えなくもないですが、

日本に戻ってからはフランス帰りの洋画界の重鎮、黒田清輝 と何かと対立するのですな。

主流だから良しなんつうことは吉田には全くないわけですね。


そんな吉田が木版画に打ち込むようになっていくのもまた反骨精神でありましょうか。

何度も米国を訪ねるうちに、どうも彼の地では浮世絵と名のつくものなら

何でも有難がっておるということに気付くのですな。


外資獲得で浮世絵を輸出品としたときに、どうやら名作も凡作もひっくるめて送り出され、

質がどうあれ物珍しさから珍重されたものでもあろうかと。

それが日本文化とされては吉田は黙っておれなかったようで。


「本物の日本の木版をみせちゃる」ぐらいの勢いだったのでしょう、

一般的な浮世絵は十数度、色を塗り重ねているところを吉田の木版画は

三十回以上も塗り重ね、作品によっては100回近く色を重ねっていったのだそうでありますよ。


そうしたことが上のフライヤーの左側に見えるような、

清涼な山岳風景となって結実したのでありますなあ。


この滾る熱さの画家・吉田博の描き出した山々の風景は

見ているものに高原の風を運んでくるようでもありますね。

熱さと涼しさ、吉田博の木版画は夏に楽しむを良しとすべきなのかも。


本展ならずとも、どこかしらの美術館で出会えるかもしれません。

独特な色合いを持つ透明感に包まれた山の景色の版画であれば、

吉田博の作品だったりするかもでありますよ。


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