当日の泊りは高知駅に近いホテルでしたので、北川村の中岡慎太郎館 を後にして
高知市内へと向かったですが、結構時間がかかってしまい…。
ホテルに入る前にもうひとつだけと立ち寄ったのが高知県立牧野植物園でありました。


高知県立牧野植物園の園内案内図

高知市郊外にある五台山という山の上にあって、これが結構広さがあるのですよね。
じっくり見て周るには閉園時刻までほとんど時間がありませんでしたが取り敢えず。


まず門から入るとそこは…

入口の門から入りますと、植物園というより森の中へ入っていくような気が。
もちろん人手の加わったものでしょうけれど、なんともいい感じに出来てますですね。


あたかも深山幽谷の気配

この鬱蒼感を抜け出ますと、牧野富太郎記念館本館にたどりつくわけですが、
そも牧野植物園の「牧野」は高知出身の植物学者・牧野富太郎から採られているわけで。


記念館本館の中には展示解説などもありましたので、牧野富太郎のことをちとおさらい。
展示とリーフレットの解説を織り交ぜてということで。

牧野富太郎は、文久二年(1862年)に土佐佐川の商家に生まれ、土佐の豊かな自然を師とし友として、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を身につけていきました。

ここで注目すべきは「独学で」というところでありますね。
いわゆる学歴としては小学校中退だというのですから。


この人ほど「好きこそのものの上手なれ」に当たるケースがそうはないのでなと思うのでして、
外国の植物の本を読もうとすれば外国語を習得するてなことを始め、

植物好きが発端となってさまざまな知識を自力で付けていったとなれば、

小学校中退だからどうとは言えなくなってきます。

1884年、22歳で上京し、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、植物分類学の研究に打ち込むようになります。1889年には、自ら創刊に携わった「植物学雑誌」に、新種「ヤマトグサ」を発表。日本人として国内で初めて新種に学名をつけました。

いくら植物好きでもそう簡単に東大の研究室に出入りできるようにはなりますまい。
学校教育とは無縁でも、自ら興味の赴くままに身に着けたさまざまな素養が

備わっておればこそだったのでしょう。


しかしながら、そうはいっても小学校中退は付いてまわってしまうのか、
そんな存在が日本人で初めて学名を付けるという成果を挙げてしまうのですから、
研究室ではやがて疎まれるようにもなっていったような。

富太郎が94年の生涯を通じて収集した標本は約40万枚、命名または学名を変更した植物は約2,500種といわれ、日本植物分類学の基礎を築いた一人として知られています。

こうした業績を残す裏側では植物採集で山野を駆け回る地道な努力が必要だったわけですが、
妻と十三人の子供(!)をほっぽらかしにして採集に出かけ、研究に打ち込む富太郎を
陰で支え続けた奥さんの内助の功は、昔のこととはいえ、頭が下がるばかりではなかろうかと。
ですが、そうでありながら富太郎自身は著書の中でこんなことを書いているのですなあ。

私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます。…私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものはじつのところそこに何にもありません。つまり生まれながらに好きであったのです。
牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)/平凡社

ここまであっけらかんと植物好きを披歴されては、奥さんとしては

まさに14人目の大きな子供を抱えている覚悟であったのかもしれませんですね。


と、牧野富太郎の人となりばかり長くなってしまいましたですが、
記念館本館を抜けた先の芝生の広場には色とりどりの花々が植えられていましたですよ。



こうした園地の先には記念館展示館という建物があり、
富太郎の業績などが一層細かく示されているのでありました。
その中で、富太郎がさまざまな文献を渉猟していたのだなと想像させる話をひとつ。


子供でも楽しめるようPC操作で解説が見られるコーナーで「ほお」と思ったものですけれど、
書著「植物知識」の該当部分から引用してみようかと。

日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間違いをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白楽天の詩集に、わずかにその詩が載のっているにすぎないものである。元来、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出生した花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者は能くその如何を知っているのである。

植物好きが元で白楽天の詩集にまで当たってみる富太郎ですが、
ただ「紫陽花」なる中国の不明の植物がなぜに日本の「アジサイ」と同一視されることになったのか、
その辺への記述は無いようで。


とまあ、そんな展示の方にばかり気を取られているうちに植物園である場所の本来を
巡り歩く時間もなく閉館となってしまったのでありました。
ま、牧野富太郎その人の興味深さに触れることができましたので、

無駄足にはなりませんでしたですよ。