…それでは、J.S.バッハ生誕の地アイゼナハ にあるバッハハウスへと入ってまいります。


Bachhaus-Eisenach

15世紀中頃に建てられ、17世紀初めに改築されたという正面に見える建物、
これを1906年に新バッハ協会が買い取って博物館にしたということでありますよ。


新バッハ協会はシューマンリスト も創立メンバーに加わった集まりの後継団体ですけれど、
建築年代からして確かに大バッハが生まれたころの空気にも触れた建物であるだけに、
これをバッハ記念の博物館にしたいというのは理解できるところですなあ。


19世紀末ごろまでは「この家でバッハが生まれたのだ」という説が確かにあったそうな。
昔の納税記録を調べるという研究の成果として、バッハの父親が家を買ったという事実と同時に、
それがこの博物館の場所から100mほど離れたであった(建物は現存しない)ことが
分ってしまっているようですけれど。


とまれ、現在のバッハハウスはかつてバッハの生家とされた古い建物と
その右隣りにある現代的な新館とで構成されておりまして、
新館側に入口が設けられておりました。


古い建物の方はもっぱらバッハにまつわる解説とともに、
バッハの生まれた当時の一般的な農家のようすを伝えるように仕立てられておりますな。






ちなみに裏庭に回って建物を見ますと、
あたかも無理やり2階にエアコンの室外機を取り付けたかのようなでっぱりが。



まあ、想像には難く無いですが、案の定トイレでしたなあ。
こうまでしてなんで2階に?とは思うも、当時1階は納屋や牛小屋、馬小屋であって、
持ち主家族の居住空間は2階であったということでありますよ。


バッハの書斎=作曲部屋を再現

再現空間には「バッハの書斎」らしき設えも。
繰り返しになりますが、バッハ自身はアイゼナハに10歳までしかいませんでしたので、
書斎も何も…とは思いますけれど、後にライプツィヒのトーマス教会カントールになった頃は
こんな感じのところで作曲に励んでいたのであるかな…という具合です。



写真では左手に小さな鍵盤が見えていますけれど、解説に曰く
「バッハは自分の机の上で、まず楽器を使わずに作曲しました」と。
後から音を確かめたりはしても、最初は頭の中の音を五線譜に写していったのですなあ。
ほぉ~。




2階部分で繋がった新館の方へ移動しますと、おやおやこれまたずいぶんと斬新な空間が。
バッハは「変革者でありクリエーターだった」とか「音楽の伝道師だった」とか
「想像力に溢れた完全主義者だった」などのキーワードに適う曲をゆらゆらする籠の中で聴けたり、
楽曲解説に併せて該当曲を聴けたりする仕組みになっておりましたですよ。
時間の許す限り、いくらでも居続け可能な場所とみてよさそうです。


一方で、入館時のチケット半券には「Live music performance」の開始時刻が印字され、
その時間に楽器展示ホール(古い建物の1階)に行けば、古楽器の生演奏が聴けるという。




左のオルガンは右手側面の下の方に大きめのペダルがありますけれど、
演奏するには誰かしらがせっせと押して空気を送り込まなければなりませんから
なかなかに大変です(その場の演奏では視聴者参加番組状態で協力を求めていました)。


と、てなふうな感じでバッハハウスをひと巡りしたわけですが、
ちょうど開催中であったバッハの肖像の謎に迫る(?)展示のことに、
ちと触れておきたいものですから、その辺は次回にということで。