…ということで、ドイツはテューリンゲン州の町アイゼナハにやってまいりました。
ゲーテ街道としてはここから先が佳境というべき、最初の町となりましょうか。
現在のICE(特急列車)ならばフランクフルト中央駅から2時間半くらい、
ライプツィヒ中央駅からならば1時間15分程度のところになります。
実際の旅程ではハレ1泊の後に出たエアフルトに泊っておりましたので、
RB(ローカル線の普通列車)で40分ほどでしたけれど、
それはともかくとして駅名表示にも見られますように、
アイゼナハはJ.S.バッハ生誕の地として夙に有名な町でありますね。
さほど大きな町でないことは地図を見ても想像できようかと思いますが、
バッハゆかりであると共に世界遺産・ヴァルトブルク城(写真左端の山の上)があることで
観光客もそこそこおりましたですな。
とまれ、このアイゼナハの町でバッハは1685年3月21日に生まれます。
もっとも相次いで両親を亡くしたため、10歳にして町を離れることに。
近郊オールドルフの町の教会でオルガニストとなっていた長兄ヨハン・クリストフの元に
身を寄せるのですから、確かに生誕の地ではあるも活躍の地ではないのですけれど。
ただその後の大バッハ形成には幼い頃の経験は大きく関わったかもしれませんですね。
町で少年バッハはゲオルク教会のラテン語学校(教会学校)に通っていたと。
こちらがアイゼナハのマルクト広場に面したゲオルク教会。
訪ねたときにはあいにくお昼休み(?)でしたので、後で寄ろうと思いつつ、
暑さに取り紛れて帰路にうっかり通り過ぎてしまったのは何とも残念な…。
とまれ、この学校でバッハは聖歌隊の一員として美声を披露していたそうですし、
(後にこれが幸いしてリューネブルク で給費学生となり学業を続けられることになったとか)
当然にしてルター派への信仰も深く心に刻まれたのではないでしょうか。
もちろん宗教改革の以前の話になりますが、マルティン・ルター自身、
ここの教会学校に通っていたということですから、そうとうな所縁があるといえそうです。
で、音楽と信仰はバッハの二本柱でしょうけれど、音楽の方に関しては
学校の関係以上にすでにして家庭環境の影響が大なるものでありましょうね。
何しろ父親や先に触れた長兄が音楽家だったばかりでなく、
バッハの一族からは音楽家がざっくざく出ていたのですから。
ちなみにバッハ(Bach)と言うと日本語的には「小川さん」という苗字でもあろうかと
思いこんでいたですが、どうやらパン屋を意味するBäckerに由来するらしいですなあ。
と、そんなバッハの生誕地たるアイゼナハ、
銅像のひとつもあろうと思うのが自然なわけですけれど、
これを見て何とも脱力したような次第でして…。
台座には確かに「JOH.SEB.BACH」とあるにもかかわらず、
うわものがインビジブルで(笑)。取り外してお掃除に出していたりするのでしょうかね。
(ゲオルク教会の中にも像があるらしいのですが、何しろ入っていないもので…)。
とりあえず無いものは無いので気を取り直して、このインビジブル像の面した
フラオエンプランなる広場の一角にあるバッハハウス・アイゼナハを訪ねることに。
つうことで、次回はバッハの博物館のお話になります。