ちょいと前のEテレ「らららクラシック」で取り上げられていた作曲家のフランツ・リスト。
ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして「リストマニア」なる追っかけを生むほどで、
それだけに女性遍歴も数知れず、服装からしてどうも黒魔術師のようでもあり…
てな思い込みでいたわけですが、番組を見て「こんな人だったの」と思ったような次第。


てなことを、先に読んだサリエリの生涯 の中で

リストがサリエリ最晩年の弟子として登場してきて思い出し、
この際だからとフランツ・リストの生涯の方も辿っておこうかと考えたわけでありますよ。


リスト (作曲家・人と作品シリーズ)/福田 弥


非常にざっくりですけれど、リストの生涯(1811-1886)は3つに区分できるようですね。
最初がヴィルトゥオーゾ・ピアニストの時代。多くの演奏会をこなすこともあって、
点々と旅から旅への生活であったようです。


当時の演奏家は作曲家でもあったわけで、

リストもまた自らの演奏会で弾く曲を自らたくさん書いている。


もちろん当然にピアノ曲ですが、例えば「超絶技巧練習曲 」なんつうタイトルであったりしますと、
元よりあまりピアノ曲を聴くことの少ない者にとっては

非常にテクニカルな曲ばかりであろうてな印象で、なおのこと敬遠しがちになってしまうという。


ところで、ピアニスト時代のリストが行ったことで

今につながるものが「リサイタル」の創始であるそうな。


以前、演奏会のプログラム のことに触れて、

一晩のコンサートの中にはオケあり、歌あり、ピアノありと

いろんな種類の演奏形態が含まれたりしていることを紹介したですが、そうした時期にあって
リストはソロ・リサイタルと行い、また「リサイタル」という言い方も初めて使われたようで。

…リストはピアノ演奏会のスタイルを確立した。つまり、バッハから当時の作品までをレパートリーとしていたこと、原則として暗譜で演奏したこと、ピアノを客席に向かって右向きに置いたこと、ピアノの蓋を開けて演奏したことなど、それらをリストは一貫して実践したといわれている。

ピアニストが暗譜で弾いたり、ピアノの向きや蓋が開いていたりすることは
およそ何の疑問を持つこともなく「普通のこと」的に受け止めてしまっていましたけれど、
物事には何でも始まりがあるわけで、これらのことはリストが始め、広めたことだったのですなあ。


こうしたピアニストの時代に続いては、

1848年に就任したワイマール宮廷楽長の時代となります。


ピアニストが後に指揮者に転ずるとは今でもある話ながら、
リストの場合は単なる指揮者転向ではなくして、要するに宮仕えを選んだことになるわけですね。


ベートーヴェン 以降必ずしも宮仕えに頼らない音楽家のあり方が出来つつあったでしょうに、
そうした自立でなく宮仕えを選んだリストにはコンプレックスがあったような。


立派な出自でもなく教養もない田舎者といった思いが付きまとってもいたようで、
たとえ宮仕えがもはや時代遅れ的なものであっても、

宮廷楽長とは自らに箔を付けることであろうと。


とまれ、ワイマール宮廷楽長となって宮廷楽団という楽器を手に入れたリストはこの時代、
管弦楽曲を次々生み出すようになっていくのでありますね。


今やリストのオーケストラ曲は
「レ・プレリュード」とピアノ協奏曲くらいしかほとんど演奏される機会がありませんけれど、
この「レ・プレリュード」もその一つとされて、後にはさまざまな作曲家に便利使われることになった

「交響詩」という形式を生み出したのがリストでありました。


そしてその形式が表した音楽は「標題音楽」と呼ばれたりしますが、

この「標題音楽」とは例えばリヒャルト・シュトラウス の交響詩

ティル・オイレンシュピーゲル の愉快ないたずら」のように
予めある物語の出来事を全て音で表すような音楽と受け止められているのではなかろうかと。

デュカスの「魔法使いの弟子」なんかも同様ですね。


そうしたことから、何らの標題(ストーリーやプログラム)を持たずに純然たる音楽自体で
聴く者に訴えかける、働きかける「絶対音楽」と対置されることになる「標題音楽」ですけれど、
どうやらリストはそのような対置の関係にあるもの、描写的な音楽とは全く考えていなかったようで。


音楽で「叙事詩に登場する英雄の普遍的な心情」を表現する場合に、標題とは

聴く者が曲を受け止める助けとはなるものの、曲自体は英雄の行動などを描写するものでなく、

あくまで抽象的な感情の表現であるという点において、絶対音楽と変わるところがないといったふうに。
今後、リストの管弦楽曲を聴く機会があれば、そういうつもりで聴いてみることにいたしましょうね。


さて、最後の区分は1861年、ワイマールを発って後(あちらこちらに行きはするものの)
ローマで過ごす晩年へと続く時代ということになりますけれど、
この時期に作曲の中心は宗教曲となっていき、ひたすらにキリスト者としての生活を送ったのだとか。


もはやこの時期のリストの曲は取り分け耳にする機会の得がたいものであるだけに、
リストがそんなに宗教曲を作っていたのか…というほどにリストの知らない部分になっていました。


ですが、そもリストという人は音楽と宗教の不可分とも言える関係を意識した人であったらしく、

標題音楽の考え方に関してもそうした精神性を抜きに本来は語れないところであるとすれば、
やはり後の標題音楽理解がリストの思いとは噛み合っていないと気付くところもでもあろうかと。


それにしても、作品全てとは言えないものの、ピアノ曲、管弦楽曲、宗教曲それぞれに
作品紹介の中では「傑作!」と記されるものがあるにも関わらず、実際に耳にする機会は
少々の管弦楽曲とある程度のピアノ曲に限られているというのが現実。


これはどう考えても、リストらしい像というのがヴィルトゥオーゾ・ピアニスト時代のものであって、
その時代こそ話題にもしやすいがためということでもありましょうかね。
もそっと先入観を潜めてリストのさまざまな曲に耳を傾けてみたいところではないでしょうか。


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