先日聴いた「アラウンド・モーツァルト 」というタイトルの演奏会では、
アントニオ・サリエリの小品が取り上げられていましたけれど、
原作の芝居はもとより映画「アマデウス」で一躍その名を知られることとなったサリエリは
どうにも映画の中での姿そのままに受け止められる印象が強かったのではなかろうかと。


ですが、だいたいサリエリがモーツァルト を毒殺したという話は

信憑性が薄い…てなふうにも聞いていたわけで、

となればサリエリ側からその生涯を追ったような本はないのだろうかと、
この際ですから図書館の蔵書検索をしてみたところ、ありました、ありました。


サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長/水谷 彰良


「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」という一冊。
イタリア語的には本書のように「サリエーリ」とするのが妥当なのかもしれませんけれど、
ここでは(引用部分を除いて)一般に使われている「サリエリ」と言っておこうかと。


アントニオ・サリエリは1750年生まれ…ということは、モーツァルトの6歳年長なだけであって、
映画から想像するような差はないということになりますね。
有望新人にやっかむ存在というのを際立たせたかったのでありましょうか。


とまれ、14歳にして孤児になってしまうサリエリ。

不幸な少年期と思うところながら、神の恩寵はサリエリにありとでも言いますか、

音楽の才能を認められて手を差し伸べる者があり、
ヴェネツィア 、そしてウィーン へと移って音楽修業に邁進することになります。


19歳で書いたオペラは早速翌年にはブルク劇場で初演に掛けられ、
その後は続々と新作オペラを発表しながら、ウィーンの宮廷のと関わりを深めていき、
37歳にして宮廷楽長に登り詰めるのでありますなあ。


オペラ好きの皇帝ヨーゼフ2世からは大きな信頼と期待を寄せられていたようですが、
それは1787年にサリエリがパリからの依頼に応えて新作オペラの公演に出張っていたときに
ヨーゼフ2世がパリのメルシー・ダルジャントー伯(「ベルばら」に出てきますな)へ宛てた

書簡の内容からも窺い知ることができますね。

余は、サリエーリの苦労が報いられ、オペラ座の監督者たちからその功績が認められるべくそなたが取り計らうよう強く求めたい。彼は確かな才能に恵まれた男で、詩人(ボーマルシェ)が彼の天才を発揮させるべく台本を与えているのだから。

この手紙の前年には、

皇帝の命によってサリエリとモーツァルトのオペラ対決があったりもしましたけれど、
(サリエリの演目は「はじめに音楽、次に言葉」、モーツァルトの方は「劇場支配人」)
それでも先の手紙に見るように皇帝はサリエリの才をいささかも疑わず、

やがて宮廷楽長にしているわけです。
つうことは、映画に見る凡庸な作曲家とはこれまた大きな誇張というになりますな。


サリエリにはたくさんの弟子がいたそうですが、
ベートーヴェン もイタリア・オペラの様式を学ぶならとサリエリの門を叩いたとなれば、
やはり確かな音楽の教師でもあったと言えるのではなかろうかと。


また、モーツァルト亡き後に「レクイエム 」を補筆したジュスマイヤーも
しばらくして弟子入りしたとなってきますと、音楽教育の確かさもさりながら、
やはりモーツァルトの死にサリエリの関与があったとは考えにくくなってくるところです。


実際、モーツァルトの死後しばらくはサリエリの陰謀みたいな話は全く出てきておらず、
むしろ30年ほど経過した頃になって唐突に浮上した流言でもあったようなのですね。


片やサリエリを貶める、片やモーツァルトを持ち上げる。
どうやらこれはセットであったようでもあります。というのも、本書にはこんな紹介がありまして。

モーツァルトは生前ウィーンで価値を認められなかったのに、19世紀に入ると俄然神格化が始まっていた.。

となれば、モーツァルト称揚のだしにサリエリが使われてしまったような

そんな気がしてこようかと思うのでありますよ。


モーツァルトの作品番号に名を残すケッヘルを扱った

モーツァルトを『造った』男 」という本を以前読みましたけれど、そこには

オーストリアの大ドイツ主義とプロイセン の小ドイツ主義との対立構造の中で、
オーストリアの偉大な才能としてモーツァルトが「造られた」ことが触れられていました。


ですが、本書での話によれば

もそっと早い時期からモーツァルトを持ち上げる傾向にあったことになりますね。


宮廷を始めとしたウィーンの音楽界では長らくイタリア・オペラ人気が続いていましたけれど、
ヨーゼフ2世からしてドイツ語によるオペラを期待したような愛国心と言いますか、
そうしたものがむくむくと湧き上がりつつあったところが、

世の中でのイタリア・オペラ人気は高まる一方。


そこにロッシーニ が登場してウィーン中を湧かすに及んで、苦々しく思う側では怒り心頭てな具合。

そこで坊主憎けりゃ袈裟までではありませんが、

ウィーンにおいて栄達を遂げたイタリア人作曲家として真っ先に思い浮かぶサリエリが

餌食にされて口さがない流言飛語が巻き起こり、人の口に戸は立てられないですから

ヨーロッパじゅうに広まってしまった。


1832年にはロシアでプーシキン が「モーツァルトとサリエリ」なる劇詩を発表し、
それがやがてピーター・シェーファーの戯曲に、映画化にと繋がっていくという。


当然にそれが災いしてなのでしょう、サリエリの作品はことごとく忘れられていき、
ようやっと少しずつ演奏されたり、録音されたりするようになってきているようでありますね。


本書の副題には「モーツァルトに消された宮廷楽長」とあり、これはこれでキャッチーですけれど、
かつてはモーツァルトの作品自体が埋もれかけていたわけで、これもどう転んでいたか分からない。
あえて言うならサリエリは「時代に消された宮廷楽長」とでも言ったらいいのかもしれません。


先日の「アラウンド・モーツァルト」で演奏されたサリエリの曲は
演奏会全体の調和の中ではどうかな…と思っただけで、

作品そのものをどうこう言ってるわけではありませんので、別途の機会があればまた、

宮廷楽長サリエリの作品を聴いてみたいものだと思うのでありました。


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