46万年後(20)
鎖に引かれるまま、青い女神が天地すらあやふやな闇の世界を渡る。未体験の速度であるが故、女神自身はどれほど進んだのか分かっていない。前方にひときわ深い闇が待ち構えているのを察し、反射的に瞼を固く閉じた女神の視界が、ほのかな明るみに包まれたのは間も無くのことだった。 ふいに鎖が緩み、身体がかくんと落ちた。無意識に翼を広げバランスを取っていたのだろう、両足裏が同時に何かに触れる。ヒールがカツンと小気味の良い音を立てた。踵をじんじんと押し返してくるのは「重力」か。ハルバートをリアライズし、最も優れる聴力で周囲を最大警戒する。空気がゆっくりと流れる音が聴こえる以外、驚くほど静かだ。 突如、静寂を引き裂いた甲高い音に、ついにララは大きな猫目を開く。その音は、聴いた者の正気を奪うとされる、バンシーの叫びのようだった。視覚情報で脳内を上書きしていなければ、ララも正気を失っていたかも知れない。 果たしてララは、数メートル下がらなければ全容を知れないほど巨大な門の前にいた。周囲は薄暗いが、闇の世界に比べれば随分と明るい。しかし、明るく感じるのは自身の輝きのせいだ、とすぐに気づく。よくよく見渡せば、周囲に照明の類いは1つもない。輝きを強めてみても、重厚な門扉が眩しいほどに煌めくだけで、門前を左右に通る道の終わりは確認できなかった。「お前は許された…」 男の声だった。 声が合図だったのだろう。それまで門扉全体に広がっていた煌めきがララの前に集まり始め、やがて煌めきはララよりもひと回り大きな翼人を模った。 許された。つまりは入れということか、そう理解したララは「うるせぇよ」と悪態を吐きつつも異形の翼を広げ、伏せ眼がちに煌めく光の中へと足を踏み入れる。 覚悟していた眩さを感じる間もなく、門扉の向こう側に抜けた。通り抜けた感覚としては、ラップフィルム1枚ほど。振り返って厚さを確かめようとするのを、目前に広がる光景が許さなかった。軽口を忘れてしまうほど圧倒的な空間であることに間違いはないが、それよりも遥か先で白々と光る、小さな太陽を思わせる「輝き」が最大の理由である。 最高速で飛びかかりたいのを堪え、深呼吸をひとつ。ララはいつも通りの歩調で輝きの元へ歩き出した。歩を進めるたび、下段に落としたハルバートの穂先がカタカタと鳴った…。「よく来た、ブリュンヒルドの娘よ。 『地球の女神』と呼ぶにふさわしい輝きと翼だ…。素晴らしい。」 あと十数メートルの距離まで近づいたとき、輝く者は推定玉座に座したまま「人らしい」歓迎の仕草をしてみせた。輝きに阻まれディテールを知ることはできないが、確かなことは2つある。 1つ目は声。門扉の光をくぐる前に聞いたものと同じだ。 そして2つ目はサイズ。やけに小さい。立ったとしても2メートル未満だろう。この輝く者が神族なら、これまで戦ってきたどの神族よりも小さく、最小種の半分にも満たない。 何かを言いかけたララを、再び響き渡ったバンシーの叫びが制止する。叫びはすぐ近くからだったのか、異常なほど大きく、クリアに聴こえた。「道案内は気に入っていただけたかな?」 異様な叫びを気にした様子もなく、輝く者はいつの間にか肘掛けのすぐ横に現れた「鎖」を指先で摘んで見せた。「鎖…?」「そう。朕が可視化した。」 鎖はララの胸あたりから玉座の背後へと伸びる。やたら背の高い背もたれ部分とその影に遮られて背後を知ることはできないが、ララは影が揺らめくのを見た気がした。「地球の女神よ、お前は朕を滅しに参ったのか?」「チビのあんたがボスならね…」 ララの言葉が癪に触ったのか、輝く者はほんの一瞬だけ目が眩むほど輝きを強めた後、すぐに光を抑えて自らの姿を現した。「…そういえば、自己紹介がまだだったな。 朕の名は『yhwh』…始まりの神とでも言おうか。」 yhwhと名乗ったその者は、ごく普通の「人の形」をしていた。 体格から性別を定めるなら男性、歳は人ならば10代後半から20歳前半だろう。着衣はなく、引き締まったやや褐色の肌を全て露わにしているものの、男性を示す「アイコン」も、頭髪を含めた体毛も一切見られない。唯一の装飾といえば、古代エジプトの壁画で見るような濃いアイメイクくらいか。「全ての強き神々は朕が創った。人間風に言えば、お前の父『芽吹き』の親になる。」「私はおしゃべりしに来たんじゃない。私は…」 三度バンシーの叫びがこだました。「おい、そこの。少し黙っててくれるか。」 yhwhは大げさに振り返って、玉座の後ろ、あるいは上に声をかけ、静かに微笑む。それから、怪訝な顔のララを指差し、言葉を続けた。「ところで、お前は神族を滅してどうする。」「黙れ…」「神は人に仇なす存在、そして母の仇。ゆえに祖である朕を滅する…か? 良い判断だ。朕を滅すれば、すなわち、お前以外の全神族も消える。 しかし、誰に吹き込まれたのか知らんが、言い掛かりも甚だしい。地球は人のものではなかろう?我が物顔で地球を踏みにじっているのは人だ。地球に人は必要か?」「うるせえよ…」「神が浄化すれば地球は正常な姿に戻る。 そうだ、浄化後の地球をお前にやろう。 朕は嬉しいのだよ。お前が生まれ、神族は初めて種となった。何万と子を創ったが、子らはどれも泥人形を創るばかりで繁殖できなかった。 朕の遺伝子を受け継ぎ、地球で生を受けたお前こそ、地球の神にふさわしい。」「…黙れって…」「人は『醜い』と思わんか。お前にも覚えがあるだろう? 多様性などと言って他者や違いを受け入れる素振りを見せておきながら、お前たち亜人にした仕打ちはどうだ。 拒絶…排除…惨殺…、はては余興の肴に笑って嬲り殺し…。お前たちも同じ地球に住まう人なのに、ふざけた多様性は認められなかった。 お前が神になれば人を創りなおし、新たな理想郷を目指すこともできよう。先の創造主が創った欠陥品の人に苦悩する必要はない。」 終始無表情のyhwhだが、この時だけは右口角を少し上げて笑ったように見えた。「…これは失礼。創造主はお前の母だったか。『一応』は朕の娘だが、泥人形どもに与えた神格すら持たぬ慰み玩具…。玩具風情が神を気取った結果がこれだ。困ったものよ。」「ごちゃごちゃうるせえっつってんだろ!黙れよ!」 ララとバンシーの叫びが重なった。「…おい、地球の女神が煩いそうだ。 静かにできるよなあ?静かにしてくれないとお客様に失礼だ。」 今度は明らかに玉座の裏へ言葉を放ったyhwhは、玉座から立ち上がると艶かしい手つきで鎖を持ち上げる。 そのまま空いた手を玉座の背もたれに掛けると、まるで紙を割くかのごとく、易々と背もたれを千切ってみせた。ララの輝きを浴びて、見えなかったディテールが浮き彫りになる。「…なっ!」「なあ、フオリス。いや…今は『ブリュンヒルド』と呼ぶべきか…。 まさか娘のフオリスを使って復活を遂げるとはな。つくづく狡猾な女よ…」 玉座の裏にあったは、胸部から上を磔られた美しきブリュンヒルド。胸より下はもちろんのこと、両腕もない。顔はララの記憶にあるままだが、頭部の左半分は解放状態になっており、そこへ移植された剥き出しのコアには、神聖樹の根と「例の鎖」が深々と突き刺さる。 胸から下の肉体は、絶えず再生を繰り返しているが、再生するそばから、無数の黒い昆虫のような生き物に食われている。虫の勢いが勝ると侵食は首辺りまで到達する。バンシーの叫びは、その際にブリュンヒルドが発する苦痛の叫び。 10年前の、全てが美しかった母の姿が重なる。これならば、朽ち果て屍となっていた方がまだ美しかろう。ララが発した叫喚は、とうてい言葉と呼べる代物ではない。「ふはは。素晴らしい。母親譲りの伸びやかで良い声だ。 見たまえ、美しいだろう?ブリュンヒルドは果てる寸前が一番美しいのだよ。なんせこのyhwhがそう創ったからなあ!」「今すぐ!今すぐ…、下ろせ!ママを下ろせっ!下ろせよおおぉぉ!」 ララが怒りにまかせて斬りかかった。しかしハルバートは、楽しげに笑うyhwhの首を落とす寸前で空を切る。勢い余ったハルバートの刃は玉座の肘掛けを切断する勢いで突き刺さった。 紙一重で切断を免れた鎖が、音を立てて揺れた。「10年前のブリュンヒルドと同じだ。 お前があと少し、あと『ほんの少し』速く動けたなら、この頭を吹き飛ばせただろうに。 残念だったなあ、ブリュンヒルドの娘よ。せめて仲間がいればなあ。」 yhwhは右人差し指で自分の頭を擦りながら、挑発の表情で首から滴る光を舐めた。それから僅かに揺れる鎖へ視線を落とし、言葉を続けた。「おや?もしや、お前の本当の狙いは鎖だったか。これは失礼をした。 鎖から解放されたお前の本気は、こんなものではないのだろう?」「あ?うるせえよ!」 母娘を繋ぐ鎖は、母娘間においてのみ、限定的に双方向の作用を持つ。 yhwhは「なるほど、なるほど」と楽しげに笑った。「どうやらお前は力を制限されていることを自覚していないらしい。全ての力を解放できば、あるいは…。 しかし気をつけたまえ。ブリュンヒルドのコアは神聖樹と融合している。 今の不死性がどこからの賜物か…、考えずとも分かるな?」 コアの半分を奪われてなお、瀕死のブリュンヒルドがみせる異常な再生力は、ララと繋がる鎖に由来する。これは事実である。 一方で、鎖を断てばララがその分の力を取り戻せる、というyhwhの言葉。これは事実ではない。 しかしながら、仇を取るか、母を取るか、この2択のいずれかしかない、と印象づけるには十分な効果があったと言えよう。その上でyhwhは「もしくは!」と声高に言った。「お前自身の鎖で人を縛ったなら、新たな力を得ることもできよう…」 これは事実である。本人は自覚していないが、ララは鎖を通し、母ブリュンヒルドから「命の鎖」を発動する力を継承している。知らなければ発動することない。しかしyhwhの言葉によって能力の存在を知ったいま、発動はララ次第。もしララがただちに発動し、人から力を奪う、と決めれば不足分以上の力を得られるだろう。 命の鎖とは、発動者と生命とを繋ぐ鎖。その効果は発動時の意思で決まる。ブリュンヒルドは太古の昔に発動し、自ら産んだ数々の生命に「力」を与えた。そして10年前の聖戦時に、全ての繋がりを断ち切った。はからずもララとの繋がりだけは残ってしまったのだが…。 言わずもがな、yhwhの真の狙いはララの鎖によって再び人を縛ることである。10年前、yhwhは洗脳したブリュンヒルドの鎖を利用し、人の意識を支配した。「ママ…」 ララはその場にへたり込み、鎖を手に母を見上げた。頭を傾げ、うつむいたままの母は、虚な眼差しで歌を口ずさむ。「どうした?ブリュンヒルドよ。こんな時に子守唄か?ふはははは!」「ママ…ずっと…待ってた…やっと会えた…のに…」 ふるふると鎖を握りしめる手に、ぽたりと雫が落ちた。同時にララの背骨が皮膚を突き破らん勢いで隆起を始める。yhwhは傍らで静かに笑う。「ママ… ママ…!ママ! いやだ!!いやだああああっ!!!」 叫びと共に、うなだれたララの背中を突き破って無数の鎖が現れた。 鎖は鎌首を上げた蛇の群れのように、同じ方向へ鋭い先を向ける。もう高らかに笑うyhwhの声は、ララの叫びにかき消されて聞こえてこない。 対照的な2人をただ見つめるだけのブリュンヒルドは茫然と歌い続け、やがて鎖はララの背中から1つの方向へ光線の如く放たれた! しかし全ての鎖は、少し離れたところで「何か」に突き刺さり、ピタリと動きを止めた。「やれやれ。あまり娘をイジメないでくれ」 鎖を受け止めたのは、穴だらけの船長服をちょうどに羽織る、男の背中。 男の姿を見たyhwhは、目を見開き、明らかに動揺を隠せないでいる。「お、お前は!芽吹きの…! 確かに滅した…、いるはずがない!」 yhwhはこれまで生きてきた永遠にも等しい時間の中で、初めて自分が狼狽していると気づき、奥歯を強く噛んだ。 yhwhは左腿を叩き、男に向かって歩き出す。床に伏せるララを道に転がる石へそうするように、ごく自然に蹴飛ばし、男の背中に突き刺さる鎖をむんずとひとまとめに掴む。怒りの表情で鎖を勢いよく引き抜くと、跡形もなく焼き消した。 ララは泣き腫らした顔で、yhwhの膝裏越しに見える男へ、初めて見る父へ、必死に手を伸ばす。「大丈夫だ、ララ… お前は1人じゃない。」 男はララに優しく微笑みかけると、船長服を頭上へ放り投げた。ひらひらと舞い落ちる船長服に男の姿が隠れた刹那、耳慣れない電子音が鳴った。「そう…1人じゃない!でござる!」 船長服を横一文字に切り裂いて飛び出してきたのは、ララのもう1人の母、マルセーラ。忍者言葉を使うが、その姿はどこからどう見ても魔女である。 アクセレレータの力を借り、神に勝る速度で迫る。船長服をちょうどに着こなす男の姿は、どこにもない。「貴様!どこから現れた!」 喉元めがけて伸びるクナイを間一髪、右手で掴んだyhwhは、理解不能な状況を叫んだ。ギリギリとクナイを押し込むマルセーラとはこう着状態にある。「自称、ラスボスちんは意外と無知でござるな。 さくら殿に『縁』を与えられた者は、死しても『中途半端な世界』に留まれる、でござるよ。 そして、さくら殿の歌は、必ず冥道を開く!」「冥道…? は、狭間の世界…!?そんな馬鹿な!」「バカっていうやつがバカ!でござる。 ところで、近距離なら今の拙者はララより速いでござるよ?ティンティンくんにぜんぶ躱せるかな?にんにん。」 こう着状態にあったクナイを捨て、どこから取り出したのか2本目のクナイを両手に、マルセーラが連続で斬りつける。誇張なくララを遥かに凌駕するスピードである。 しかしyhwhの反応も速い。必殺の間合いから繰り出される稲妻の如き連刃が全て空を切る。「良い動きだ。しかし所詮は下等生物よ!」「だと思った…。 とりあえず…地球人を舐めるな、でござる。」 一直線に突出するクナイを半身で躱したyhwhの視界から、突如マルセーラが消えた。ダッキングの要領で沈み込んだマルセーラの背後から、黒い閃光が一直線に伸びる。「地球人を、舐めるなああああ!」 地球最強の黒毛種ヴァンパイア、ベルセルクこと、神河リオンが吠えた。 リオンはマルセーラを飛び越し、乙女姿のまま拳を一閃。拳は完全に虚を突かれたyhwhの顔面を捉える。ベルセルクの爪でなくとも威力は十分だったと見え、yhwhはブリュンヒルドの磔られた壁際まで吹き飛ばされた。 リオンの一撃により、yhwhの顔は左頬から顎にかけてを大きく歪む。歪んだ部分は煙を吐き、再生の兆しを見せているが、yhwhはワナワナと震える。「こんなことが… 朕が、このyhwhが…下等生物に… あってはならない…。この屈辱…この屈辱… この、この…この…」「『この下等生物のゴミクズどもがぁぁ!皆殺しでは済まさんぞぉ!貴様らには銀河で最も惨い死を味合わせてやろうぞぉぉお!』……そう思ったでしょう?」 カラカラと鈍い音を立てて、yhwhの周囲を半透明の棺が取り囲む。「な、なんだ…、これは…?」「アイアンメイデン…。あなたは自ら名乗った。」 薄暗い空間にあって、なお艶やかな黒髪が舞う、霧島リカ。彼女も麗しき乙女姿でリオンの隣に立つ。 リカが宿す銀毛種ヴァンパイア、デモネスの能力はアイアンメイデン。アイアンメイデンは、棺で囲った相手を裁く審判。相手が示すより先に、リカが相手の真意を見抜けば、9つの刃で絶命の一撃を与える。この裁きは、例え神であろうとも免れることはできない。「面白い能力だ。しかし、ダメージなどいくら受けようとすぐに再生…」 そこまで言ったところで、yhwhは動きを止めた。yhwhの右腕がボトリと音を立てて落ちた。「キャハ♪知ってるー☆ だー、かー、らー、アイアンメイデン、フィーチャリング、めろめろキス☆」 この場に不釣あいな、明るい声が響いた。リカとリオンの間で、嬉しそうに飛び跳ねる色もまた不釣合いだ。無駄に揺れるピンクの女、井伊知子。水属性の黒毛種ヴァンパイア、ルサールカをその身に宿す。 いかなる物質をも溶かす、ルサールカの「死の接吻」がyhwhを追撃した。「ヴァンパイア風情がこしゃくな真似を…。 だからどうした!遊戯で朕を討とうとは、片腹痛いわ!」 yhwhはアイアンメイデンを強引に引き剥がすと、全身から再生の煙を吐き、立ち上がった。憤怒の権化となったyhwhが歩き出した途端、ガタリと前のめりに、顔面から突っ伏した。再生したての顔面を強打した、「床」が不気味に蠢く。「虫ども!なぜ朕を食らう!」 ブリュンヒルドに群がっていたはずの虫が、今度はyhwhの両脚を食らう。ちょうど脛辺りで、yhwhの再生力と侵食が拮抗しているようである。「ラッテンツィンガー。地球生まれのヴァンパイアはトリッキーだよ? 虫ちゃんに、ティンティンは美味しいぞ!って教えてあげた。うしし。」 小柄な人影が手首のゴールドアクセサリーをシャランと小気味良く鳴らす。2度死んだミニマム乙女、二階堂レイナ。左手で口を隠して楽しそうに笑う。 元は双子の姉、二階堂マリナと共にミュータントヴァンパイア、ヴィーストテイマーを宿していた。聖戦における死の間際、マリナから受け取った「ヴィーストM」の転生を願ったレイナは、死後新たな能力「ラッテンツィンガー」を獲得する。ラッテンツィンガーは、ある種の生命体を意のままに操る。シンプルながら使いこなせば強力な武器となる。「ララ…、行こう」 マルセーラはしゃがみ込み、ララをキツく抱きしめた。それから、決壊したララの涙を優しく拭い、代わりにララそっくりの、自分の大きな猫目を滲ませた。 ララは、桜色の唇をへの字に曲げ、無言のままコクンとうなずく。 「拙者と一緒に。真正面から終わらせよう!」 ララはハルバートを手に、「母」と走り出した。 黄金の翼と溢れ出る涙を輝かせ、薄暗い中を一直線に駆ける。並走するマルセーラの携える「純白のランス」が、ララの輝きを受けてキラキラと尾を引いている。 片膝の体勢まで復活していたyhwhは、ランスを見た途端、目を見開き、再び太陽の輝きを纏った。 咆哮を上げ、太陽の中へ吸い込まれて行く、ララとマルセーラ。 全身全霊を賭けた一突きが、そして一振りが、yhwhの首をはねた。 しかし頭が胴から離れるや、内から湧き出る光が爆発のような衝撃を伴って2人を襲った。ララを護ろうと覆いかぶさるマルセーラ。ララはそれと突き飛ばし、さらに前で両手を広げ、盾となった。結果、マルセーラはすり抜けてきた衝撃に腹を抉られ、ララは両腕と右脚が砕け散った。ララの大きな亀裂は顔まで達する。 むろんyhwhの胴体も衝撃で吹き飛び、消滅した。「お母さん!あいつはまだ生きてる!逃げられる前にコアを破壊して!」 悲鳴のようなララの声が響いた。 はねられ高く上がったyhwhの首は宙に浮かぶ。激しい損傷のせいだろうか。一時停止と再生を繰り返すような、ぎこちない動きながら、その眼だけはしっかりと一堂を睨みつけている。「ゴ、ゴゴゴ、ゴミ…ゴミクズの ぶぶぶぶ、分際で… よ、よよ、よく…よ、よくも…!よくも…」「精霊王たちよ!拙者の声を聞けーっ!」 yhwhの言葉を遮って、マルセーラが叫んだ。直後、自らの血で床に描いた4つの円がそれぞれ赤、青、黄、緑の眩い光を放ち、対応する各色の精霊王たちが現れた。 マルセーラは、契約した精霊を召喚するミュータントヴァンパイア、ウィッチを宿す。といっても駆け出しのウィッチであり、言わずもがな、マルセーラはどの精霊王とも契約を果たしていない。「拙者はダメなウィッチだけど! 来世の命も!その先の命も! 拙者の命を全部あげるからっ! 今回だけで良いからっ! みんなのためにっ! 地球のためにっ! クソッタレの聖霊王たちー! 拙者に力を貸せーぇぇぇぇえっ!!!!!」 血を吐くマルセーラの絶叫に、サラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームの4大精霊王たちは何も言わずに手を取り合い円陣を組むと、円陣の中央でお互いの最大奥義をぶつけ合った。そうして出来上がったのは、バスケットボール大の何色とも言えない、しかし果てしなく神々しい光球。それから4大聖霊王たちは、光球を円陣の頭上に掲げた。 サラマンダーの視線がマルセーラに語りかける。これを撃つはお前だ、と。マルセーラが光球を受け取ると、4大精霊王たちはマルセーラの身体に吸い込まれていった。 光球を胸に抱き、マルセーラは持てる全ての力を注いだ。マルセーラ特有の橙の輝きが光球へと流れ込む。光球がドクンと脈を打った。マルセーラが続けて輝くと、またドクンと脈を打つ。 やがてマルセーラの輝きが辛うじて自分を縁取るだけになったころ、光球は全力疾走後の心臓のように激しく脈動を繰り返していた。 この間はyhwhにも再生の猶予を与えたことになるが、未だ胸部と左肘までを再生するにとどまる。「少尉どの!」 脈打つ光球を右手で高く掲げ、マルセーラがリオンを呼んだ。「いまは中尉だ!ぴよぴよ三等兵!」 駆けながら真の姿ベルセルクに変じたリオンは、マルセーラの意図に応じる。リオンは全力の黒い輝きを纏い、ベルセルクの馬鹿げた力で光球を殴った! 形容し難い音を立てて、目を開けていられないほどの反発衝撃が弾けた。マルセーラは衝撃に煽られ、薄暗い空間へと転がる。しかし光球はすぐに打ち出されず、まるでベルセルクと力比べをしているかのようにブルブルと震えるばかり。リオンは奥歯を噛み、必死の形相で血の吹き出す拳を押し込んだ。「私たちも一緒に!」 霧島リカの号令が飛んだ。リカ、知子、レイナの3人は真の姿に変じ、それぞれ最大火力の攻撃を光球にぶつける。すると光球は、徐々に拳に押され、歪な形へと変わり始めた。 しかしまだ発射には至らない。 そこへ、薄暗い闇の中から1本のクナイが飛来する。投げたのはもちろんマルセーラだ。クナイはリオンの拳のすぐ上に深々と突き刺さる。 ついに光球は放たれた!「小賢しい真似を! 地球ごときの力に屈するyhwhではないわ!」 4精霊王の幻影に包まれ猛烈な勢いで迫る光球を、yhwhは再生したて左手で受け止めた。皮が剥がれ、肉が削げようとも、光球をガンとして押し止めるyhwh。その眼光の力は全く衰えていない。「まだだ! 最後の必殺技がある!でござる!」 そう言って、マルセーラは大きく息を吸い込んだ。「ドラキュラーー!ラスボス神みつけたー! こいつを倒してくれたらー、明日から1週間、拙者がヒカリっちを預かってあげるー!」 「る」の余韻が消えるのと同時に、遠くで謎の大爆発が起こった。 分厚い側壁をぶち破り現れた、怒れる羊の角を10本生やした赤い竜。「小鼠!今の言葉、しかと聞いたからな!」 竜の勢いに、白い歯を見せてニンマリと笑うマルセーラ。「神よ!合間見る時を待ちわびたぞ! 我は神を滅する者!いざ参る!」 竜は、ドラキュラは、高く飛び上がったと思うと急転直下。急降下の最中に紅蓮色の竜人へと姿を変える。「精霊ども!小鼠ほか! お前たちの『想い』は… お前たちの『覚悟』はその程度か! 我の鼻息にも劣るわ! 腹をくくれ!己を信じよ! 神殺しを遂げたくば、星を護りたくば、己の全てを賭けよ! 全身全霊でえええ! 我が拳を打ち返せえええ!!!」 竜人ドラキュラが地獄の業火を纏った。 ほぼ銀河最強の一撃が振り下ろされる。鼓舞された光球は勢いを増し、それを支える乙女たちも一段と輝きを増した。 上下両方からyhwhを挟む2つの超圧力。yhwhは太陽の輝きを爆発させた。 やがて2つの力は、ゆっくりとその間を狭め始める。 近づくにつれ、力は中心へと渦巻く。上下が互いに逆向きの渦であるが故、yhwhを中心に隔てる空間は、それぞれが別世界なのではないか、と錯覚するほどだ。 渦の中心が重なった。 静かだった。重なった点以外はどこもかしこも真っ白で、しんとして、夜が明ける寸前の雪原のよう。 そして「点」が弾ける。今度は上下が逆になった渦巻きが外へ外へと拡がる。静かな雪原は一転、渦巻く吹雪と化す。 全てが過ぎた後、点に残ったのは、黒い珠。「我と互角とは、天晴れ。しかし…」 今度は右腕を失ったドラキュラがヒラリと舞い降りる。「お、終わったの?」 ララの問いかけに、首を横に振るドラキュラ。黒い珠を見上げる一同。「ふははは、ふははははは!ひぃぃぃぃぃっひひひひ!」 こだましたのはyhwhの声。「yhwh!?じゃあ、あれはやつのコア!」「残念だったなぁ。 ここは神の座。貴様らごとき下等生物が、朕を滅ぼせるわけがなかろう。 貴様らの敗因は、神の座を決戦に選んだこと! ここは朕の絶対領域。神以外の何者も朕を滅することは不可能。 そう、神以外はなあ! 貴様らの中で唯一、神の血を引くのはブリュンヒルドの娘。だが、その娘にもう力は残っていまい。 もし、神の座でなかったら…。くくく。 もし、娘の攻撃が最後だったら…。ひぃひひひ。 もし、ブリュ…」 饒舌に喋る珠を、一筋の輝く閃光が貫いた。仄暗い空間を割いたのは純白のランス。「玩具で…、悪かったわね…」 一同が振り返った先には、再生を終え、自らの足で立つ、ブリュンヒルドの姿。「ママ!」「さくら殿!」 それぞれが口々にさくらの名を呼び、駆け寄る。「10年前に言ったでしょ。 あんたを貫くまで、私は何度でも生き返るって…。」 神は滅んだ。トドメは、偽りの女神ブリュンヒルドの一撃。 歓喜の一同。 そして… yhwhは座した状態で目覚めた。しかし四肢と胴、そして首に、計6本の漆黒の槍が深々と突き刺さる。槍はララがリアライズしたものだ。「こ、これは…? なぜ朕は?…夢!?」「1回死んだ気分はどう?」 混乱するyhwhに、青い女神が静かに言った。「ブリュンヒルドの娘!?どういうことだ!」「…最初からずっと幻覚だよ。」「げん…かく…?」「そ。私のことを見た瞬間からずっと、あんたはただ、そこに座ってただけ。」「そんな馬鹿なことが!朕はyhwhぞ!」「そんなクソみたいな名前、誰も知らねえよ。 あんたが言うには一応、私も『神』らしいからさ。そのランスは、全部本気でぶっ刺しといた。簡単には抜けないよ。 てかあんた、ほんと、うるさい!」 7本目の槍をリアライズし、yhwhの口に突き刺す。そうしてyhwhの言葉を封じたララは、呟きのように語り始めた。「それにしても、あんたよく喋るね。おかげでよく分かったよ。 普通にやったんじゃ、この場所であんたを『討てない』ってことが。 あんたがどれだけクソ野郎で、臆病で、何を恐れ、何に怯えているのかも分かった。 あんたのコアがどこにあるのかもね。 知ってる? 死んだ『人』は2度と生き返らないの。こればっかりは神の力でも無理。 だけど、狭間の世界は存在してる。なんのため? あそこにいる限り永遠に『本当の死』を迎えられないなんて、恐ろしいよね。 死ねれば転生だっけ?神はそういうのできるんでしょ? 狭間の世界ってさ…、あんたみたいなチート野郎が、唯一力を失う場所…、なんじゃない? 宇宙の均衡を守るために、大いなる意志がそう創った… だから狭間の世界に干渉できてしまう、神となったブリュンヒルドの、ママの力が怖かったんでしょ?玩具って蔑んだ相手が、本当は恐ろしくて仕方なかったんでしょ? 幻覚を見るほどに…。 そしてあんたは、討たれることが恐ろしいんじゃない。どうせ生まれ変わるだろうし。 本当に恐ろしいのは…、魂を『送られる』こと。 私さ、この右手がずっと不思議だったんだ。なんで私の右手は、触った生命を消せるんだろうって。消えたものはどこに行くんだろうって。…やっと分かったよ…」 そう言ってララは、何の変哲もない自分の右手を見つめる。「この右手は、あんたを『送る』ために授かった。」 黄金の翼を広げたララは玉座の前で右手を改めて見つめる。玉座には頭部のないyhwhの骸。「あっけない…」 yhwhの骸を蹴落とし、玉座へ浅く腰掛けるララがポツリと言った。「何が『朕』だ、クソ野郎… ペラペラペラペラうるせえよ…」 ララは知ってしまった。母もまた、yhwhが創造した神の1人だと…。 本来なら消滅しているはず母は、自分と繋がることでまだ生を得ている。狭間の世界に魂を送られたyhwhにとって、あちらに干渉できる母が生きていることは、一転して「復活の希望」となる。 yhwhの仕掛けた最後のトラップ。 ララは胸から伸びる鎖を右手で強く握りしめた。この鎖が命を繋ぐものならば、すなわち生命そのもの、と解釈することもできる。彼女が望めば、きっとこの鎖も「送る」ことができよう。「ラ……ラ…ァ……? ママ……が……わらせ……ら… ず…と……まも…………から…… ずっ…と……いっ……ょ……か……ら」 消え入りそうな、それでいて美しいブリュンヒルドの声が、静けさに染み渡った。 磔られた母の腕が、何もない空をひしと抱きしめる。 虫から解放されたブリュンヒルドの肉体は再生の途にある。しかし神聖樹と接続されてしまった影響は大きい。特に精神面は現状より回復することはないだろう。つまりブリュンヒンドの意識は未だ混濁の最中。 空を抱きしめるその姿は、ただの偶然か、それとも…。 突然の声に、ララは肩をピクリと跳ねたものの、決して振り向くことはなかった。代わりに瞼を閉じ、心静かに歌った。 歌詞すらない歌。幼い頃にどこかの荒野でも歌った記憶がある。あの時は消滅を超えて戦い続ける戦士の魂を救うためだった。 今回は、母の魂を救うため。 銀の鈴を鳴らしたような美しい歌声が、静寂を満たしていく。 ララの背後から、サラサラと懐かしい香りが流れてきた。 満開を誇る桜のように芳しく、それでいてどこか儚い、母の香り。 母に背を向けたまま、涙を流すまいと顔を上げたララは、こみ上げる感情を赤子のように哀哭した。つづく…ーーー誰も見てないだろうけど、更新した!!