「ヴァンパイアだね。間違いないよ。」
オキタ自慢の気色悪いアバターを見上げる、まだ大人の歯すら生えていない褐色の幼女が言った。不気味な容貌に臆することなく、堂々と言った後で見せたのは、前歯のない子供らしい笑顔。しかしながら伏せ目がちに長い黒髪を掻き上げる仕草が、妙に大人びている。幼女の名は、ケルラ。モントリーヴォが指名した女性、その人である。
ケルラはコレオスの実妹。もちろん幼女の姿はただの器にすぎない。コレオスと血縁関係にあるのは中身の方だ。モントリーヴォたちの組織「インテルフェクトル」が危険を顧みず、アメリカ近くの島国、かつてのキューバに拠点を置くのは、この土地にケルラが住むからに他ならない。彼女は今でも僅かに始祖の鎖を持つ「貴重な存在」であることに加え、現在の器、すなわち幼女は実年齢8歳。これは、10年前の事件後に「能力継承」を成功させたことを意味している。10年前、鎖の消失と共に、全てのヴァンパイアは次世代への継承機会を失った。ミュータントだろうと、コレオスだろうと、死なばそれまで。源である微生物は始祖の元へ還る。それなのにケルラだけは、継承を果たした。彼女の存在には、何かしらの意味があると、ララを始め、神に仇なす者たちは考えている。
ケルラをより安全な地域へ避難させれば良さそうなものだが、彼女は有史以前からこの島に住う、いわば土着信仰の対象。何があろうとも決してキューバを出ることはない。またケルラは、始祖の娘たちの中で随一のパワーを誇る代わりに、とある致命的な欠点を持ち、この欠点が脱出を阻害する一因となっている。その欠点とは「器の短命化」である。寄生により器である人の寿命を長くするコレオスとは逆で、彼女に寄生された人の寿命は非常に短くなる。早ければ寄生後数時間で、長くても5、6年で器の命が尽きる。死因は老衰。脱出した先で寄生可能な適正者が見つからなければ、ケルラは消滅する。
現在の器は、寄生4年目に突入したところ。死因が老衰なわけだから、若い器に寄生すれば…、と言うことなのだろうが、どうもそう単純ではないらしい。
余談になるが、長女のコレオスが語るところによると、長女の自分は逃げ足が取り柄の臆病者、次女のフオリスはリアライズ上手な詐欺師、三女のケルラは馬鹿力のバカ、なのだとか。コレオスに四女認定されているララは、可愛いだけの器用貧乏、らしい。
「んで?こいつの種類はなんだ?」
「かなり大きいけど、この子から感じる旋律は『レヴェナント』のものだね。北の一族にあげた銀毛種で、特殊能力が強み。使いこなせたら、ほぼ無敵。強さは宿主次第だね。えーと、今の宿主は……」
ケルラは、別の名を「記憶する者」という。この名はもともと姉妹たちしか知らない、隠された名だった。今は彼女自身が守護に選んだ一部の者も、隠された名とその意味を知る。
ケルラが記憶しているのは、全寄生生物の系譜。対象が遠く離れていようとも、例え寄生者と直接面識がなくとも、彼女が「旋律」と呼ぶ各微生物固有の波形と、歴代の継承者の名を記憶する。そのため一般的に新種、または不明種とされるヴァンパイアでも種の特定が可能。記憶するメカニズムは不明だが、本人曰く、Vが大きくなるまでケルラがお世話したから、らしい。なお地球人たちは寄生生物のことを「Vマイクロム」、または単に「V」と呼ぶ。
「レヴェナント…、聞き覚えあるな。…もしかして、例の黒幕じゃねえか!?」
「うんうん、最後はその『黒幕さん』だね。お名前は…、ヤノーシュ…。あれ?ヤノーシュさんはもう死んでるよ?なんでだろうね?」
「オキタ、もういいぞ。アバターをしまってくれ。」
乱れた映像のように複雑なノイズを帯びたアバターは、やがて細かな粒子となって消えた。至近距離で一部始終を目の当たりにしたケルラは、大きな目をトンボよりも丸くした。
「あらら?旋律が消えた!
なんでかな?どういうことだろうね?」
モントリーヴォがケルラに依頼したのは、迷いヴァンパイアの鑑定だった。ケルラにはアバターのことも、オキタの存在も知らせていない。鑑定が行われているのは、モントリーヴォとオキタが酒宴を開いていた廃屋。小1時間前まで浴びるほど呷っていた酒の臭いがすぐに消えるわけもなく、朝日が差し込む廃屋内の空気は、さながら繁華街の裏路地のよう。
「ん?オキタ?誰だろうね?」
「おう。あいつのことだ。」
目を丸くしたまま首を110度傾げるケルラに、モントリーヴォはドアのない廃屋の入口へ顎を向けた。
顎の先に顔を向けたケルラの目に飛び込んできたのは、腰をかがめ、まさに入口をくぐろうとする巨人のシルエット。四肢と身体のバランスから人型であることが明らかだからこそ、許容しがたい事実を脳が全力で否定する。次に彼女がとった行動は、瞳を閉じ、数を数えることだった。
「はち…、きゅう…」
彼女の子供っぽい行動に、したり顔のモントリーヴォ。「じゅう」で再び瞳を開いたケルラは、つっかえながらもやっと入口をくぐり終えた巨人を見上げることとなる。
「モントリーヴォ!信じてたのに、また裏切ったね!」
「え!なんで裏切り!?」
系譜を知る力により名は認知していても、ケルラは実物のドラキュラを見たことがない。彼女にとって、規格外の巨人は、すなわち神と同意。
「だけど、下級神1体だけなんて、舐めすぎだね。
あたしが守護を求めるのは、エネルギーを無駄に消費しないためだよ!」
「あ!そういうことか!
違う!誤解だ!こいつは神じゃねえ!俺も間違えたから人のこと言えねえけどさあ!」
モントリーヴォの制止は間に合わなかった。金色の輪郭に縁取られたケルラは、みるみるうちにモントリーヴォと同じ背丈まで伸び上がる。
成長した金色の縁取りは次第に官能的な輪郭を描き、収束した光の中に、毒蛇特有の瞳を持つ黒い美女が現れた。ケルラ改め、メラニズムの権化は、水の大蛇を3匹、羽衣のごとくふわりと纏う。大蛇が艶かしく動くたび、細かく編み込まれた長い黒髪を朧げに輝かせる。コレオスとは印象が異なるものの、ケルラの姿にもまた、姉妹たる然るべき神性を感じる。変身後のコレオスを「白き天空の女神」とするならば、ケルラはさながら「黒き深海の女神」と言ったところか。
「始祖の血統を甘くみた報い、受けると良いよ!」
ケルラが仕掛ける。入口めがけ、1匹の大蛇が地を這う。残る2匹のうち1匹が、背後のモントリーヴォを牽制しているのは言うまでもない。大蛇は進むにつれ数を増やし、ほんの2メートル足らずで7匹にまで増えた。7匹の大蛇が鎌首を上げ、入口を半円状に取り囲む。侵入者にとっては、全く入り込む余地のない、鉄壁の防衛線と言える。
不運にも敵とみなされてしまった絶賛酩酊中のオキタだが、この状況を打破できる方法が1つだけ見えていた。その方法とは、アバターを出現させること。ケルラはアバターを「ヴァンパイア」だと言った。すなわち同族であるということ。オキタとアバターが同一の存在だと証明すれば良い。しかし肝心のアバターは、たった今、消してしまったところ…。
『アバターシステム、リブートスタンバイ。アバター生成まで、カウント20…』
ここでもロストの影響を受けた。ネットワークと繋がっていれば、アバターシステムのリブートなど発生しない。あるいは、常日頃からデヴァイスにアバターシステムを学習させておけば、低い処理能力でも今回のリブートを回避できたかも知れない。ネットワーク頼りに生きてきた自分を、つくづく呪うオキタだった。
「噛み千切って!」
ケルラの号令で、大蛇が一斉に飛び掛かる。正面の大蛇が牙を剝いたのに反応して、アクションモードが発動した。超高密度の時間の中、正面からの攻撃を悠々と躱したオキタは、ギョッとして目を見開く。
一瞬を何倍にも感じられるからこそ分かる、大蛇たちの緻密な連携。大蛇たちは同時に攻撃を仕掛けてきたのではなく、わずかな時間差を置き、次々と前の1匹を補正しながら連続する。しかもその補正力たるや、驚愕の一言に尽きる。ほんの一瞬しかないはずなのに、正面を回避したオキタに対して、死角に位置する1匹が速度を上げた。死角、かつ低位置から突き上げる軌道は、紛れもなく、この瞬間の最適解。
辛くも2匹目、3匹目を躱したところで、あることに気づく。
「ちきしょう!数が減らないっ!」
1撃目を担当した正面の大蛇が、早くも8匹目として復帰しつつあった。入口は動ける範囲が限られており、誤解である以上、反撃の選択肢もない。オキタにとっては非常に分が悪い状況。一旦退くか、と迷ったことが致命的となる。
一瞬先の未来をためらったことで、5匹目への反応が遅れ、張り出したエラが右膝を掠った。刹那、動き続ける身体は、右脚の膝から下を置き去りにした。本来あるべき膝下が、先ほどまで右脚を置いていた場所にゴロリと転がる。
大蛇たちは超高速で流動する液塊。膜や張力による明確な表面構造は存在しておらず、見える全体が連続的に超高速で動き続け、形状を維持している。牙や瞳、鱗1つ1つを再現する表面は、特に高速、かつ繊細な部位であり、触れれば滑らかに切断する。
バランスを崩したオキタを、大蛇たちは容赦なく襲う。まず立て直そうと入口の枠へ伸ばした右手を失った。右手とほぼ同時に左足首も失い、床へ大の字に倒れ込む。反撃を警戒したのか、残った左腕は倒れ込む途中で肘から先を細切れにされた。いきなり頭部を切断されなかっただけ幸運だと、じわじわ血の広がる傷口と荒れた天井を見て思う。
『多数の致命的外傷を負いました。メディカルボット再増殖開始。…処理領域が足りません。アクションモードを緊急停止します。』
緊急停止によるブラックアウトを挟んだ通常時間の始まりは、夥しい出血と、天井すれすれまで跳び上がる漆黒の美女。そのまま真下のオキタ目がけ、美しくも夜叉の形相でケルラが迫る。デヴァイスが彼女の右手に「高質量反応」を検出した。トドメの一撃はすでに始動済み、ということ。大人サイズになったとはいえ、まだかなりの身長差があるから、オキタが床に倒れるのを待っていたのだろう。
姉に馬鹿力と言われる彼女の「絶対の一撃」は、実にシンプルだ。…思いっきり殴る、以上。
「あたしのギガントマキアは、まだ続いてるんだ!くらぇぇぇぇえ!」
『リブート完了。アバター生成します。』
「旋律が同調した!?レヴェ…ナナナ!なんでだね!?」
オキタの傍らに、ぬるりと透き通る、アバターのなり損ないのような塊が現れ、すぐに霧散した。生命維持を優先せざるを得ないオキタにできる、ギリギリの操作だった。
困惑しつつも、驚異的な身体能力で体勢を入れ替えたケルラは、オキタの顔を跨ぐ格好で着地し、寸前のところで右拳をピタリと止めた。少し遅れて到達した拳圧が、コンクリート製の床とオキタの鼻梁をぐしゃりと歪める。なお、変身後のケルラは着衣の類いを身につけていない。強いて挙げるなら、無色透明な水の大蛇を3匹。
誤解のないようにお伝えしておくが、オキタが鼻血を垂らしているのは、凄まじい拳圧のせいである。
「アバターって言うんだとよ。未来の携帯の『おまけ機能』らしいぜ。ちなみに、オキタはデカイが一応人間だ。」
「携帯!?そ、そんなこと…、あるんだね…。それならオキタさんは、何者だね!?」
幼女の姿に戻ったケルラが、オキタの顔にちんまりと座って言った。なぜか服は無事だ。モントリーヴォに抱え上げられ、ごく自然と肩へしがみついた姿は、仲の良い親子のようである。しかし次の瞬間、2人は額を突き合わせて言い争いを始めた。
「何者か、を説明するとこだったんだよ、ボケ!ったく、そういうとこ変わらねえよな。」
「変わらないのはモンの方だね!いい歳して、いたずらホウズだよ。ドッキリならもっと分かりやすく、だね。」
「うるせえ。雰囲気で察しろ!察してなくても、人をズッキーニみてえにぶった斬るんじゃねえ!」
「ムリだね!それに、ぶった斬ったのはヘビミだよ!」
いつ出現させたのか、幼児の指先から伸びる小さな水の蛇が、モントリーヴォの左のもみ上げをざっくり剃り落とした。
「てめぇ、俺の大事なアイデンティティの片割れを……っ!」
ワナワナと震え、これのおかげで「もみ上げのおじさま」って呼んでもら…、まで言ったところで、モントリーヴォはハッとして、半ば捨てるようにケルラを下ろした。
「忘れてた!お前とケンカしてる場合じゃねえ!
急いでバラバラにぶった斬ったオキタの左腕を集めてくれ!オキタはお嬢んとこの客なんだよ。死なれちゃまずい。」
「おおおぉぅ!お姉ちゃんにバレたら…、だね!」
さっきまでのケンカが嘘のように、テキパキと阿吽の呼吸でオキタの身体を集め出す2人。そんな2人の気配に、メディカルボットの緊急処置により、間一髪で出血死を免れたオキタは、手のない右腕をひらひら、精一杯の無事をアピールした。
つづく
新キャラ、楽しい、だね!