まだ世界中に政府が存在した時代、ビニャーレス渓谷には地元の農民たちが緊急避難所と呼ぶ、粗末な小屋があちこちに建てられた。いまは利用者はなく、どれも荒れ放題。廃屋と呼ぶ方がしっくりくる。その1つから、男たちの豪快な笑い声と灯りが漏れる。ときおり女性らしい声も漏れ聞こえることから、少なくとも2名以上が酒宴を開いているのだろう。特に威勢の良い男の声は、風吹かば壊れそうな廃屋を吹き飛ばしそうな勢いである。

 

「俺はオキタが未来人だっつー話、信じるぜ!たった2時間であのケガから完全復活されちゃ、信じるしかねえ!」

『もぉー。モンちゃんったら、それ、さっきも言ったぁ!何回おんなじこと言うのぉー。』

「うっせえ。それよりMINA、ベアにもっと酒を持って来させろ。オキタが飲み足りねえってよ!

 あー、あと、あれだ。お嬢のとこに連絡ついたか聞いてくれ。」

 

 8畳ほどの廃屋の中には、丸い座卓が1つ。座卓を挟んだ対面に男が2人。オキタとモントリーヴォである。2名以上には間違いないが、女性らしい声はモントリーヴォの情報端末に内臓された独立思考型AI「御子柴浪平」のもの。MINAとは、AI自らが名乗った「それ」の愛称。

 実質たった2人の酒宴なのに、床は無数の酒瓶で足の踏み場もない。それもそのはず、初対面こそ当たり障りのない「機械的な」会話に終始していたオキタだが、元来は肉体派。モントリーヴォとは同じタイプの人間である。緻密で豪胆、と言われる性格も同じ。以前の階級が少佐だったことまで一致する。なにより、2人とも無類の酒好きだ。

 

「そんで、なんだっけ?グランドキャニオンの…」

「宇宙戦艦ナグルファルだ。超古代装置FRIGGを搭載した、銀河で唯一、セルフアップデート可能な生きた戦艦!」

「そう!その、生きたナグルケル!」

「心当たりがあるのか!?」

 

 逞しいもみあげを摩りながら、焦点の定まらない目でぐるりと、廃屋を1周見渡したモントリーヴォが、座卓に肩肘をついて身を乗り出した。

 

「うんにゃ。知らねえ。がはははは!」

「なんだよ!期待させるなよ。」

「がはは!知らねえけど、これだけは言えるぜ。んなもの、ねえ!」

 

 モントリーヴォは宇宙戦艦が存在しない理由を何度も脱線しながら語り出した。

 まず、現在の次世代宇宙航行技術は最近になってララたちがやっと獲得したこと、これを第一に挙げた。戦艦と呼べるほど大型の器を飛ばせるレベルに至っていない。オキタが地球宙域で遭遇した、小型機の連隊を飛ばすのがやっとだと言う。

 次に北アメリカという土地の問題性を挙げた。北アメリカは全てが明るみになった現在でも神の信奉者「信徒」が支配する地域。仮に宇宙戦艦があったとして、それは「こちら側」の物ではないし、オキタの言う神殺しの英雄が眠るはずもない。

 

「それに、オキタよ…。言いたかねえが、お前さんの腕じゃ、機動兵に殺されるのがオチだぜ?」

「機動兵?」

 

 機動兵。人類とヴァンパイアが最後に争った「世界聖戦」で投入された、人類側の最終兵器「アンチヴァンパイア・インプラント・ヒューマノイド」のこと。サイボーグ兵士と言い換えても良い。MINAほどの自由思考はないものの、高度な自律学習型AIを搭載する。予めプログラムされた行動を基本としているが、状況に応じて行動修正を行う柔軟さも併せ持つ。特筆すべきは戦闘力で、各種銃火器を熟練者レベルで扱うスキルもさることながら、格闘戦でもヴァンパイアと互角以上に渡り合う。なお機動兵にはランクがあり、最大出力値に応じて1Mから5Mまでに分かれる。一般的に1M、2Mは量産型。3M以降は強化型、あるいは殲滅対象特化型とされる。機動兵の体内に流れるパルスを帯びた血液もまた、ヴァンパイアたちにとっては驚異である。機動兵との戦闘で受けた傷を癒そうと、数多くのヴァンパイアが戦闘後に機動兵の血液を摂取した。しかしパルスにはヴァンパイアの源である微生物と人類組織の結合剥離を引き起こす性質がある。辛勝したヴァンパイアは血液摂取により内部から剥離を起こし絶命する。同じく命を代償にしているとは言え、片一方は量産できる紛い物の命。釣り合わないことは明白だった。機動兵が投入されて以降、ヴァンパイア側は徐々に衰退していった。

 余談だが、10年前に「あの人」が神を退けたことで世界聖戦は終結した。この世界聖戦の大義名分は、神の信徒たる人類による、闇の眷属ヴァンパイアの殲滅。真実は、神の正体を知るヴァンパイアを排除するため、全人類を巻き込んだ神の策略。となる。一説によると、聖戦後の世界人口は、10億人を下回ったのだとか。

 

「俺に撃ち落とされてちゃ話にならねえよ。やったことのある奴の話じゃ、2M級が下級神と同等って話だからな。俺なんか1M相手に死にかけたぜ?

 未来の戦場ってのは、随分と生ぬるいんだな。」

「生ぬるいか…。そうかも知れないな。

 ただ、オレたちの戦争は一瞬で終わる。たった1発の量子反応弾で、何もかもが消えてしまうんだ。地球程度の星は痕跡すら残らない。そんな兵器の前で、個の戦闘力が何の役に立つ?」

「言わんとすることは分かるぜ。俺らも原爆やHCマインには敵わねえから。」

『ねぇねぇ、兵隊さんが要らないなら、どうしてオキタには、その…なんだっけ?アバター?が搭載されてるのかしらぁ?』

「アバターはオレだけが持ってるわけじゃない。オレたちの時代のデヴァイス…、いわゆる携帯電話の1機能なんだ。実態のある人類は生まれる前にデヴァイスを埋め込まれるから、ほぼ全員がアバターを使える。」

「…MINAの言う通りだぜ。

 アバターを搭載する意味が通らねえ。そいつは、まるで…」

 

 反応弾で倒せない敵に対する備えのようだ、とモントリーヴォは言った。しかも仮想敵は、全人類を兵士化しなければ対抗できないほど強大な敵。

 

「つまり…、神………?」

 

 オキタの呟きを拾ったデヴァイスが、環状恒星系で遭遇した「神族」を、座卓の上に出現させた。2人は咄嗟に飛び退き、転がる酒瓶に手を掛けたが、神のサイズが小さいことに気づき、やや警戒しつつも、お互い顔を見合わせながらじりじりと元の位置へにじり寄った。デヴァイスが出現させたにも関わらず、オキタまで飛び退いたのは、件のアバター/エスと同じく、今回も彼が意図しない出来事だったためである。

 

「これは…、オレのデヴァイスが?…この感覚…、まさか…!?」

「なになに?これ、お前が出したの?危うくチビるところだったぜ!つーか、まずお前がビビってたしな!」

 

 モントリーヴォが神の右頬を無遠慮にぺちぺちと叩いた。少し湿っぽい、ゴツゴツした手の感覚が、オキタの右頬に伝わる。

 

「お前の携帯すげえな!ホログラムじゃねえぞ、これ!」

「やっぱり!これは…、オレのアバターだ。外見を変化させている…のか?」

「んだよ、自分のなのに自信なさげじゃねえか。」

「初めてなんだ。アバターの外見が変わるのは。」

「あ?じゃあ、なんだってんだ、これは?」

 

 オレのアバターで間違いない、とオキタが言った途端、アバターは本来のあるべき姿に戻った。黒くヌメヌメとした、惚れ惚れするいつものアバターを見て、オキタは胸を撫で下ろす。

 

「なにそれっ!超気持ち悪い!!!」

 

 ちょうどおかわりを持ってきた女性の絶叫が廃屋を揺らした。先進的、かつ芸術的な造形が自慢のオキタのアバターは、現代人の感覚からすれば、気味の悪いバケモノである。

 気持ち悪いと言われたからか、それとも単に驚いたのか、アバターは大慌てでオキタの背後へ滑り込んだ。主の背中越しにチラチラと様子を窺う様は、女性に対する怯え、と見えなくもない。

 

「おぉ、やっと来たか。安心しろ、こいつもオキタだよ。」

「え!?オキタさんは変身しないんですか?」

 

 テキーラの瓶を5本、重たそうに抱える胸の大きな女性が言った。彼女の名はベアトリス。モントリーヴォと行動を共にして10年以上になる。かつては彼の下で、タレ目属最強の刺客…ではなく、戦う衛生兵として活躍していた。

 

「おう。オキタは中から出すタイプらしい。」

「珍しいですね。なんか、この気持ち悪い感じ、あの人に似てるかも。」

 

 ニッコリと微笑んでアバターに手を振るベアトリス。それを察知したアバターは、床へ突っ伏し、笑顔から逃れるように隠れてしまった。長い尻尾だけがオキタの頭の周りをゆらゆらと揺れる。

 

「ああ、あの『おてんば姫さん』か。懐かしい。そういや、出会った頃のお姫さんも変身後は黒かったな!」

「ビックリしましたよね!あの人が美白極めました、みたいになったときは!

 まさかあっちが本当の姿だったなんて、さすがに想像できませんでしたよー。」

 

 ちょこん、となに食わぬ顔で座卓を囲んだベアトリスの手には、真鍮製のカップがちゃっかり握られている。

 

「ベア、お前も飲む気か?」

「へへへ。ご報告ついでに1杯だけ。」

 

 舌とカップを出すベアトリスに、モントリーヴォは酌をしながら顎で報告を許可した。当のベアトリスは、とりあえずテキーラで唇を潤すのを優先するらしい。

 

「少佐のテキーラ、うまっ!

 じゃなくて、マリナさんの話だと、ララちゃんはオキタさんを探しにアメリカへ向かったみたいです。ドラキュラさんたちも遅れて向かったって。急いで連絡する、とは言ってたけど、アメリカに入ってたらジャミングされますからねぇ。まー、あの人たちなら平気だろうけど。」

「…まずいな。」

 

 モントリーヴォが意図したのは、良くない、または、不味い、どちらの意味なのか。座卓に肩肘をつき、テキーラを瓶ごと飲む姿からは、どちらの「まずさ」も全く感じられないが、眉間のシワを見るに「良くない」方の意味なのだろう。

 一滴も溢さず残りを一気に飲み干したモントリーヴォは、左手で口を拭ってから現在のアメリカの状況を話し始めた。

 

「アメリカ本土で6M級のテストが始まったんだよ。どうもこっちの強力個体に合わせたセッティングらしい。

 つまり、あれだ。まだ本気を出してねえドラとお嬢は別として、最近カツカツになってきたコレオスばあさん辺りがターゲットだろうな。これまでの戦闘でデータを取ってたみたいだぜ。

 お嬢が見つかったら、間違いなく6Mが出てくる。さすがのお嬢も対ばあさん用にセッティングされた相手じゃ、手抜きはできねえだろうし、そうなると今度はお嬢の細かいデータを取られちまう。」

 

 宇宙における神との戦いが膠着する中、地球内の敵が強化される事態は何としても避けたい。今はモントリーヴォたちを中心とした共闘組織がアメリカ勢を抑え込んでいるからこそ、ララたちは宇宙侵攻へ注力できるのだ。

 10年の時を経て、神は力を取り戻しつつある。いま地球のパワーバランスが崩れれば、神はすぐさま攻勢に転じてくるだろう。

 

「すぐにみんなを出動させます!」

 

 座卓をひっくり返す勢いで立ち上がったベアトリスとは対照的に、モントリーヴォは氷だけが残る彼女のカップへ落ち着いた様子で2杯目を注ぐ。

 

「やめとけ。アメリカ本土は俺らじゃ足手まといだ。マリナは抜け目がねえ。2人に任せておけば大丈夫さ。それよりも、俺らにはやることがある。」

「やること?」

「オキタだよ。」

 

 モントリーヴォから、開けたばかりのテキーラを差し出されたオキタは、困惑しつつも瓶を受け取り、首を傾げた。ベアトリスも彼に倣い、首を傾げる。楽しそうにもみあげを摩るモントリーヴォは、したり顔で2人へ杯を掲げた。

 

「なんて呼ぶのが正しいのか分からねえけどよ、『神』ってやつは本当にいるのかも知れないな…。

 ベアトリス!明日の朝イチでケルラを呼んでくれ!」

 

 モントリーヴォの口から出た予想外の名前に、驚きのあまり、テキーラを鼻腔から呷ってしまうベアトリスだった。

 

 

つづく

 

 

話が迷子になっていく。この話、終わるのか?