陰々とした部屋に黒い玉座が7つ、円形に並ぶ。玉座は1つだけが煌々と輝きを放ち、後ろの壁まで長く黒い影が伸びる。
ここは神の座。神聖樹根元の最深部に位置する。外から見ると、逆四角錐の構造物と根が同化するあたり。しかし両者の間に際立った境目はなく、ひどくあやふやである。
神の座は前方後円墳のような鍵穴の形をしており、玉座を配する円形部分だけでも馬鹿げた広さを誇る。玉座の周囲に千を超える神族が集結しても余るだろう。そして広い上に、暗い。
暗さゆえ本来は部屋の全容など分かるはずないのだが、玉座の1つから放たれる強烈な輝きを方々に埋め込まれた青い石が反射して、前方、いわゆる四角形部分は、一番遠い端でも満月の晩より明るい。前方部の長さは円の直径のおよそ3倍。輝く玉座はちょうど正面、すなわち前方部の中心直線状に位置する。
床には何も置かれていない。代わりに黒い壁面とアーチ状の天井は、中南米やポリネシアの遺跡にあるような装飾で満たされる。天井まで両支柱が伸びる各玉座の背もたれにも同じ様式の装飾が多分に施されているから、装飾が「豪華さ」の象徴なのだろう。
しかしながら、輝く玉座に対しては「不釣合い」と言わざるをえまい。墳墓に似た空間にあるからでも、他が空席だからでもない。この玉座だけひどく小さいのだ。当然ながら、坐する「男」も小さい。
男は楽しげに、どこからか聞こえてくる「かわり映えしない戦況」に耳を傾けていた。
『上級神ダラキエル様、散華されました…』
とある神族曰く、卑怯な騙し討ちで上様を破った人類、は勢いに乗る。
最高神をルーツに持つ神族たちの「一斉消滅」が進軍を早める最大要因だが、サイズダウンした赤い竜の猛進は特に目を見張る。足止めに参じた上級神を次々と滅する姿を見れば、誰もが快進撃の立役者はこの竜だと思うはずだ。
「滅せよ…」
玉座から輝く指が伸びる。
何もないところに石板が現れ、カツンと音を立てて指先を受け止めた。いくつもの扇型を形成する光るシンボルの集合体とまばらな黒いシンボルの塊が、石板上のあちこちで忙しなく交錯していることから、戦況の俯瞰図をリアルタイムに投影する装置なのだろう。大多数を占める光るシンボルとは、すなわち神族である。
まるでカメラズーム機能のように、指の当たったところ目掛けてクローズアップが始まった。クローズアップによりディテールが明確になるシンボルたち。
クローズアップは、たじろぐ上級神たちの背後を追い越し、逃げ惑う下級神族の群れを超え、赤い竜のブレスを正面からすり抜ける。石板の中央あたりに至った頃だろうか、取り残された下級神たちを青い閃光が串刺しにするのを通り過ぎたところで、石板がぐるりと回転した。
指先は「青い女神」と背中合わせで戦う「黒い魔物」を示す。
『僭越ながら、この者にルキフェル様と比肩するほどの…』
「フツはもう発った。」
言葉を遮った男は、「おそらく」豪華な肘掛に立てた左手に顔を預けると、ごく浅いシワを眉間に寄せ、こめかみを2度、指先でつついた。先ほどまで石板を指していた指先は、玉座のすぐ横を通り神の座を縦断する半透明の鎖を、艶かしく撫でる。
『御意…』
何かが音もなく消える気配がした。
気配を特に気にした様子もなく、無表情で鎖を撫でる男。漫然としたその視線は前方を、すなわち鎖の伸びる向こう端を眺める。鎖のもう一方は男の後方へと伸びているのに、背もたれから伸びる影のせいか後ろの壁だけは異様に暗く、鎖の行き着く先は分からない。暗い壁面がときおり蠢いて見えるのは気のせいだろう。
「たったこれだけの兵でよくやる…
まるでかつての『ギガントマキア』だな…
コレオス…、全ては貴様ら三姉妹の企てだろう…?」
男は誰に言うでもなく、楽しそうに呟いた。
ーーーーー
「ララさん!」
オキタが叫ぶと、ララが応じて輝くのをやめた。
具体的に攻撃を察知したわけではないが、オキタは歴戦を生き抜いた雄。敵の陣形が徐々に変化しつつあるのを感じ取り、自分たちのいる場所が敵主砲の射線上になる、と予測したまで。
「今回のインターバル早くない?」
「だが、あの主砲だったらどうする!」
神聖樹から不定期に放たれる攻撃は、まさに主砲。1発で戦況を覆すだけの威力がある。照射軌道と射程は短めながら、威力は最高神がアダモレアルに放った攻撃の5倍弱、と測定された。
偶然にも初弾を回避できたことは、人類にとって幸運だった。オキタのロストに慌てる未来人たちを落ち着かせるため、全員を闇の世界に引き込んだ直後に初弾が放たれた。直撃していたら主力壊滅は免れなかった。
チャージの関係か、連発してこないことも幸いした。また下級神の中にはエネルギー察知に優れた種がいるらしく、その種は無意識のうちに退避行動を取るため、前述の通り陣形が微妙に変化する。主砲回避のキューとしては有用だが、逆を言えば下級神のわりに倒しにくい、厄介な種でもある。
推定主砲の登場は、最高神を失い、同時に総戦力の約40%を失った神族が、ひっ迫する証拠だと人類は推測している。この推測は正しい。神族は、ある系譜における祖を失うと、その系譜は全て消滅する。今回のケースでは「最高神の系譜」がそれにあたり、神族は現最大勢力を失った。
一方で、最高神以外にも祖となり得る神族がいる、ということ。
「銀河最速頭脳のくせにまだ分類終わんねえの!?」
オキタの小脇に抱えられ闇の世界へダイブしたララは、開口一番、タニキァに食ってかかる。誰かさんから「見た目だけでクソの役にも立たないゲキよわタニー」と呼ばれる銀河最速頭脳の持ち主は、安全なこの場所で戦況分析に専念する。
「終わってるわ。
連絡方法がないんだから、少しくらい我慢しなさい。それと、若いうちから怒ってばかりいると変なシワが増えるわよ。」
タニキァは変わった。ララの煽りを受け止め、データ解析をしながらさらりと言い返す。つい数時間前までは何を言われても、言わせておくのが最善だと一定の距離を置き、自分も必要以上のことを語らずにいた。今は不要なことを言う方が多い。突如起こったオキタのデヴァイス消失が、変化のきっかけになったのは間違いない。
デヴァイス消失、ならびにネットワークロストは、未来人にとって死亡宣告に等しい。オキタのロストを知ったタニキァは、部下の目を憚らず大粒の涙を流し、アバター「ヴィーヴル」と共に神族の前へ飛び出したのだと言う。最高神の消滅がわずかに遅かったなら、タニキァもロストしていただろう。
ちなみに言い返されてしまったララは、苦し紛れに「歳取らないからシワもできませんー」と頬を膨らませた。こちらも少し変わったのかも知れない。
「残りの神族は全部で6系統。
一番多い約半数は同じ系統なんだけど、なぜかこの系統は数が減らないの。倒してもすぐに補充される。発生源は神聖樹よ。高出力個体のいない系統なのが救いね。」
戦場に散開する未来人たちが自動取得した情報から、タニキァが戦況を即座に把握、分析を経て、次の展開指示を出す。これによって神族の石板と同等の戦況投影即時性を確保しつつ、指示の即時性においては神族を上回る。加えて前述の系統解析まで行っていたのだから、銀河最速頭脳は伊達ではない。
オキタがデヴァイスを失なった瞬間から、アダモレアル部隊の全権限は直属部下で最高佐官だったタニキァに移譲された。艦は失ってしまったが、乗組員の半数以上が存命、かつ相互ネットワークを維持しているため、デヴァイスから見れば部隊は存在する。
「ドラさんが戦ってるのは違う系統なのか?」
「ええ。高出力の個体は5系統、各20種ずつしかいないわ。流動的だけど低出力個体を含めた5系統の総数は、6000ってとこかしら。
これらの系統は倒した後の補充に時間が掛かってるみたいから、狙うならこっちね。一時的に戦力を減らせるわ。」
「狙いたくてもオレたちには区別がつかないぜ?」
「マーカーはしてあるんだけど、デヴァイスがないと…ね…」
デヴァイス消失時のことを、オキタは「レヴェナントが捨てた」と表現する。
出自を知り、自我を得たレヴェナントは、宿主との完全な寄生関係を求め、ヴァンパイア化のファーストステップ「結合」を実行した。本来であれば結合に血液は必須。だが、あのときオキタはララから血肉を与えられていた。リオニアが条件が揃うチャンスを狙っていたのかは、彼女のみが知ること。今回は言及を避けよう。
他のヴァンパイアたちと同じく、オキタ自身がレヴェナントに変身する。もともと完全適合していなかったデヴァイスだから、初めての変身時にレヴェナントが体外に投棄、破壊した。
アクションモードなど、デヴァイス由来の戦闘補助機能も失われたことになるが、ヴァンパイア化を果たしたオキタは、変身中はアクションモードとメディカルモードが常時ONになっているようだ、と語った。
「…るよ…」
「え?」
「方法はあるよ。」
今度は聞き取れたのにも関わらず、タニキァは怪訝な眉を寄せたままだ。
一方ララの視線はタニキァに向かず、小さく生まれ変わった赤い竜を見つめる。タニキァもつられて竜を見る。
両腕の翼を折りたたみ、犬っぽく座る竜の体高はおよそ180センチ。変身前後で頭の高さは変わらないから、変身を解いたとしても「人並み」の大きさだろう。
生まれ変わった際、巫女の加護の対象から外れ、攻撃予知を失った。それでも彼の強さは人類の中で群を抜く。コレオス存命中の覚醒後には及ばないが、上級神最高クラス超、最高神未満の強者だと言える。
戦えば恐ろしく強いのに、未来人たちは小さくなった竜姿のドラキュラをペット扱いする。従順に撫でられるがまま、気持ち良さそうに目を細めて喉を鳴らすのだから、本人も満更でない様子。ただ、撫で方が激しすぎるJPだけは例外のようだが…。
「タニー、前に言ってたよね?
私の声はオキタさんの強制コマンドみたいだって。」
背後から忍び足でJPが接近するのを察し、地響きのような喉鳴り声を止め、身構える竜。対して、満面の笑みで飛びかかるも、案の定かわされて闇の底に顔面から突き刺さるJPだった。
2人のやりとりに小さな笑みをこぼしたタニキァは、ララの言葉を受けて向き直り「覚えているわ」と相槌を打った。しかしララの視線はいまだ竜を見る。
「あれさ…。ていうか、これ…声じゃないんだわ。」
ララとタニキァの視線がぶつかった。
その刹那、大きな猫目の色彩がネガのように反転し、タニキァを見つめる白いアイラインが波動の如く迫る。ドロドロに溶けた「声じゃない」というフレーズが、波動と共に眼球の奥へ流れ込んでくる…、というイメージを、タニキァは見た気がした。この場合は、見せられた、が正しいだろう。
「この感じ…あのときの…っ!」
「幻影の楔を応用したのか!?」
オキタの言葉にララは、あたりー!、と白い歯を見せ、未来人の脳は「しまりなさすぎ」だと付け加えた。
幻影の楔は、特殊な共鳴器官から相手脳内をハッキングし、幻覚で惑わす技。シンプルな指示なら従わせることも可能だ。
基本はララ発信の一方通行だが、効果的な幻覚を見せるためには相手の情報も必須であり、相手から受信するゲートも存在する。
一応のセキュリティは受信ゲートにあるものの、その強度はララの気分次第と、未来人の脳に負けず劣らずゆるい。気を抜いた瞬間に、相手から逆にハッキングされることもしばしば。まだ精神が幼いララの「弱点」と言えるだろう。そのため最近の高出力機動兵は、対ララ用の「バグデータ」を常時発信する。
「そっちから私をハッキングすれば、デヴァイスの情報を送信できる…はず…」
「生身の人間にハッキングなんて、やったことないわ!どうやってやるの?」
「方法なんて私が知るわけないじゃん。いつも知らないうちにやられてるし。
これは直感なんだけど…、形はどうあれ、つながれば良いんだと思う…。」
「そんなアバウトなっ!無理に決まってるじゃない……」
言葉では否定していながら、その場に片膝をつき、ララの額へ手を伸ばすタニキァ。もちろん彼女の意思ではない。一連の行動は幻影の楔による操作だ。その割にララは緊張を隠し切れないでいる。
どちらともなく喉を鳴らし唾を飲み込む。小さな額にゆっくり迫る、細く大きい手。
ララはきつく目を閉じた。
「嫌いだけど……信じてる…」
仮に成功した場合、タニキァはララを意のままに操ることも不可能ではない。
目こそ開いていても、タニキァの表情は不安に歪む。これから行おうとしているのはハッキングではなく、単なる接続。彼女の時代において非デヴァイス型思考回路への接続は、ネットワークの感染を防ぐため禁忌とされる。
額に、指先に、お互いが相手の温もりを感じる距離。しかし指先は止まったままだ。
決断はタニキァに委ねられた。触れることも、引くことも、彼女の自由。
非承認の接続信号を検出して、警告が脳内を駆けめぐる。デヴァイスに従うならば引くことが正しいのに、タニキァの指は前後どちらにも動く兆しを見せない。
ほんの短い沈黙。銀河最速頭脳にとっては永遠に等しい時間。
タニキァは口角を不敵に上げた。
「ネットワークにあなたのバカが伝染したら許さないから…」
しかし全神経の集中する指先は、たった3ミリ先の額に触れることなく暗闇を掻いた。
「えっ!?なになになに?
えぇぇえええええぇぇぇぇぇっ!?ちょっとぉぉーお!」
突如大きく後退りしたララが、身体を反らしたまま地団駄を踏んで叫ぶ。上体を背後から引っ張られているようだ。始めは翼をばたつかせてなんとか踏みとどまっていたが、拮抗を破られると飛ぶよりも速く闇の奥へ消えていった。
誰よりも早く反応し、ララを抱きかかえる寸前だった赤い竜が追いかけたのに、見失ってしまったのだから相当なスピードである。
「なっ!え!?オレもぉおぉぉぉおぉぉおっ!なんでここ!?くそ痛ええぇ!!」
ララに遅れることコンマ数秒、上方で戦況を窺っていたオキタが叫んだ。ララ同様、引き摺られるように、尋常ならざるスピードで闇の中を一直線に進む。オキタが引っ張られている支点は「下腹部あたり」なので、とてつもなく無様な姿なのだが「オキタらしい」と言えなくもない。
突然の出来事に大半が呆気に取られる中、しばらくして、無様なオキタは音もなく落ちた。
「助かった…ありがとう」
仰向けに闇の底を漂うオキタが、下腹部あたりを押さえたまま頭の横に佇む竜を見上げて言った。竜の視線はオキタではなく、噛みちぎった仄白く光る半透明の鎖を見つめる。
オキタの動き出しがわずかに遅れたこと、竜がララを追跡していたこと。この2つが幸いした。
オキタが進んでいたのは、奇しくもララが消えた方向と同じ。速度こそ驚異的だったが、ララ追跡により前に出ていた竜はオキタを迎える格好となり、今度は間に合った。竜の移動速度も人類の規格を凌駕する。
「この鎖は…?」
「分からない。ララさんが復活したあと、いきなり生えたんだ。さっきまで消えてたんだが、またいきなり生えたらしい…」
立ち上がったオキタの下腹部あたりは、小さくなった竜の目線より少し下。件の鎖は、目線の下でぶらりぶらりとだらしなく揺れる。
「ここから?」
「ここから…」
「なぜに?」
「わからん…」
お互いにオキタの下腹部あたりから垂れる鎖を掴んで問答する様に、遠くの一同は苦笑い。声の届かない距離だから、余計に妄想を駆り立てる。
皆のところへ瞬間移動してやっと視線に気づいた2人は、同時に鎖から手を離した。鎖は一同が見つめる中、ぶらりぶらりとだらしなく揺れ、やがて霞のように消えてしまった。
「消えた!見たか!?
闇の世界に干渉されるのは、ただ事でないぞ?」
「わかってる。オレが一番ビビってるよ。
鎖が『普通』の動きをしてたのは、どう考えても異常だ…。それに引っ張られてる間は瞬間移動できなかったし、行き先もはっきり見えなかった…。」
最後にオキタは、ララは表の世界にいる、と言葉を締めくくり、干渉領域の時を止めた。
ララはおそらく単機戦場の真っ只中。表の世界には神族以外に依然として主砲の脅威も残る。オキタたちに与えられた静止時間は約2分。時間内にララを救出することが最優先事項となる。
開いた手近なゲートから我先にと外の様子を覗いたガープが、素っ頓狂な声を出してひっくり返った。
「だだだ!誰かがこっちを見てる!」
手足をバタつかせ泳ぐように闇の底を這い逃げるガープの向こう、呆れる全員の視線が集中するゲートには、確かにこちらを睨む目玉が見える。たまたま視線が重なっただけ、と言えばそれまでだが、不思議と視線に「意志」を感じずにはいられなかった。やがて目玉の変化に気づいた誰かが叫んだ。
「動いてる!ほんの少しずつゲートに迫ってきてる!」
静止した表の世界で動くことは、時を止めたオキタ本人にも不可能。頭部がゲートを越えた瞬間、オキタも表の世界の一部と認識され、時が止まる。
それなのに目玉の主は、静止した中を動いていると言うのか。恐怖が原因の見間違いだと、部下を押しのけて凝視するオキタの前で、目玉がゆっくり閉じ始める。
それが「まばたき」だと気づくと同時に、デヴァイスを失ってもなお鮮明な記憶と重なった。
「こいつっ!俺たちの船団を襲ったやつだっ!」