レメディオスの眼前には60枚近いシュラスコがエベレストの如くそびえ立つ。可愛い孫の残していったシュラスコを1枚、口に運んだレメディオスは、完璧な味付けを自賛してから孫との会話とシュラスコを反芻する。
 オキタたち46万年後の未来人が来訪した日から5日間、ドーニャこと、孫の「ララ」率いる地球解放軍は、神族の火星基地攻略を行なっていた。結果、大損害を与えたものの完全攻略は果たせず、物資が尽きての帰還となった。火星基地守備隊との戦闘における戦死者は23名。死亡率は7パーセント強。一見すると優秀な数字に思えるが、この数字はララの能力があってこそ。ララもドラキュラやコレオスと同じ「ヴァンパイア」である。3者とも超常的な力と特殊能力を有する点は共通だが、厳密な分類は異なる。
 ドラキュラは「ミュータント」と呼ばれる、突然変異した地球発祥のヴァンパイア。現存する最多のヴァンパイア種で、現在の地球におけるヴァンパイアは、このミュータントを意味する。彼らは自らの血を代償に圧倒的な戦闘力を得る。しかし不死性はなく、死は人と平等である。生来の寿命も他の2者と比して圧倒的に短い。さらに人類の血を口にすると力を失う、ミュータント特有の弱点を持つ。
 コレオスは「命の鎖」と呼ばれる根源の力を僅かに残す、生粋のヴァンパイア。始祖の多くを受け継ぐ直系にあたる。誤解のないようにお伝えするが、少女の名はコレオスではない。コレオスとは、中の存在、つまり「微生物そのもの」の名である。現存する明らかな直系は彼女ともう1人。不死ではないものの生来の寿命は非常に長く、コレオスが現在の肉体に寄生したのは実に350年前のこと。始祖を知る、とは本人の談。命の鎖の大半を失うまでは、人類の血を糧として、限りなく不死に近い存在だった。
 そして、ララ。彼女もその出生から始祖の直系と考えられており、コレオスはララを「一番下の妹」と呼ぶ。しかしコレオスとレメディオスの続柄は、「孫と祖母」どころか親戚ですらない、赤の他人。ララとコレオスが異なる点は、ララが「完全な命の鎖」を持つこと。これによりララは、類稀な長寿といくつかの能力を持つ。そのうちの1つ、「再生能力」が先の優秀な数字のカラクリである。再生能力は本来、彼女自身の肉体再生、および驚異的な治癒を意味しており、不死性と呼ぶべき長寿の根本と言える。さらに彼女の肉を口にした人類も、彼女に及ばないものの一定時間それなりの再生能力を得る。自他いずれの再生能力も、発揮するためには彼女の肉を口にしていない「健康な」人類の血を代償とする。前述の物資とは、主にララが使用する人類の血のこと。その他の能力に関しては、追々話そう。
 ララはレメディオスに、6倍以上の戦力を持ってしても基地を攻略できなかった理由を次のように述べた。

「弱い奴らは無尽蔵に湧いてくる。」

 言葉通りの意味である。討てども討てども、増援部隊がどこからともなく現れるのだと言う。地球解放軍が5日間で討ち取った下級神族の数は、当初確認されていた守備隊の4倍以上にのぼる。この話を聞いたレメディオスは、以前まで潜水艇にあった「謎の転送ポータル」を思い出していた。エネルギーが切れたのか、あるいは単純に壊れたのか、いつからか動かなくなってしまった巨大なポータル。神族のものと思われる未知の技術と素材で作られており、人類がそれまでに開発していた転送ポータルの性能を遥かに超える代物だった。今はマリアナ海溝の最深部に沈む。

「あのポータルで増援を送っていた?神ってのは何百体もいるもんかねえ?」

 絶対強者である神が大勢なら、銀河はとうの昔に支配されているはず。これがレメディオスの疑問だ。10年前に神が地球へ再臨した際も、1つ1つの舟が満天を覆うほど巨大だっただけのこと。冷静に考えれば数は多くなかった。
 思わず漏れた独り言と、記憶を真っ向から否定する孫の言葉を「歳のせい」にして、3枚目のシュラスコを口に投げ込んだレメディオスは、無尽蔵の若さが溢れる孫から「下着を届けて欲しい」と頼まれていたのを思い出し、つまんだ4枚目を放り投げて部屋を飛び出した。


 一方ララは、シュラスコで満たされた腹が気になるようだ。

「あー、今日も食べすぎたー。
 太ったら変身後のドレスもサイズアップすんのかなぁ…?」

 ここは潜水艇の大浴場。20人の男が悠々と脚を伸ばせる、ローマ様式の豪奢な浴槽が自慢。木漏れ日を模して明滅するフォトンバクテリアに照らされた浴場は、立ち込める湯気と相まって異世界を思わせる。浴槽の中央に設置された女神像の祈る両手から、適温の湯が蕩々と流れ落ち、絶え間ない水音が心まで癒すよう。なお像の周辺はドラキュラサイズに改修されているため、小さな子供が入る場合は注意が必要だ。
 しかしながらララが浴槽に浸かるのは稀で、専用のシャワーブースで垢を落とした後は、いつも浴槽の縁に腰掛けて足湯を楽しむ。そのまま、中央の女神像と「親子水入らず」の会話をするのが、彼女の入浴スタイルである。

「ママの鎧はどうだった?
 あ、ママは太らないか…。いいなー。私はすぐ太るからさぁ。こういうとこ人間っぽいの、謎だよね。」

 しきりに脇腹をつまんでいるが、悩む後ろ姿は十分華奢である。もう少しメリハリがあれば、大多数から完璧と言われるだろう。さて、どう見てもミドルティーンのララだが、彼女の実年齢は10歳。生後7年で現在の姿まで成長し、それからはまるで成長も老化も止まってしまったかのように変化がない。もちろん「太る」こともない。両親とは死別しており、ドラキュラとその妻が育ての親となった。本当の親と過ごした期間は、生まれた直後から僅か数ヶ月。速い成長のおかげか、はたまた呪いか、ララは両親と共に過ごした日々を覚えている。

「人間っぽいのはそれだけじゃないよ。ほら見て。」

 そう言ってララは、まるで絆創膏でも剥がすように、前腕の瑞々しい皮膚を剥いた。
 隠されていた無数の傷が顕になる。まだ乾いてすらいない、生々しい傷の数々。不思議と出血は見られないが、彼女の細い腕に抉られていない素肌を見つける方が難しい。

「私ね、自分でつけた傷は、すぐに治らないみたい。みんなにあげたところ、本当は治ってないの。
 この傷は血を飲んでもダメなんだ。でも心配しないで。ゆっくりだけど、治るから。大丈夫。痛くないよ。」

 大丈夫、とは裏腹に、自分を抱きしめるように細い両肩を抱え、小刻みに震える。おそらく彼女の傷は前腕だけではないのだろう。ララは震えたまま、女神像から零れる音に耳を傾ける。その姿はまるで、本当に母の声を聞いているかのよう。

「うん。まだ誰にも言ってない。おじさんにも、おばあにも。傷の上に皮膚をリアライズしてるから誰も知らないと思う。」

 リアライズは全てのヴァンパイアが持つ能力で、自らの血を代償とした「物体具現化現象」のこと。多くの場合、自分専用の武器など限定的な物体を具現化する。身体を再構築する変身もリアライズの一種と考えて良い。そのため変身後に強力な力を得る個体は、リアライズが苦手な傾向にある。当のララは、変身後の外見変化が少ない代わりにリアライズを得意とする希少個体であり、多種多様にリアライズする。
 
「それに、変身してる間は消えるし。」

 自分を抱きしめたままのララが、黄金の輝きに包まれる。直視できないほどの輝きが大浴場のあらゆる影を消しとばす。ララの輝きは、コレオスが変身時に見せたのと同じ色合いながら、その質は大きく異なる。コレオスを「太陽の反射」とするなら、ララは「太陽」そのもの。彼女1人いれば、大浴場内にフォトンバクテリアは不要だ。
 やがてララは、少し落ち着いた輝きの中で有翼の姿へと変わった。腕を翼に変えたコレオスたちと違い、ララは独立した1対の翼を背中に持つ。いわゆる六肢化である。生えた翼は、鳥のものとも、哺乳類のものとも違う、異形のもの…。
 以上がララの変身。翼以外に特筆すべき変化はない。顔も背格好もそのまま。強いて挙げるなら、全裸からライトブルーのドレス姿に変わったくらいか。

「ね、きれいになったで…」

 すっかり傷口の消えた前腕を、誇らしげに女神像へ差し出すララの言葉を遮って、派手な音を鳴らし湯面が大きく波打った。水面の揺れも音も、クジラのブリーチングを彷彿させる。
 ララの視線が女神像を越え、上へ上へ、ゆっくりと移る。流れる湯気の隙間で、女神像の向こう側に立つ巨大な男と目が合った。わなわなと指を噛むその男が、大事なところはそのままに、ララを指差し言った。

「き、君なのか!?
 君が…、君が『金色の娘』なのか!?」

 この時、自室で孫の下着を用意していたレメディオスは、大西洋中に響き渡った孫の悲鳴に「敵襲だと思ってカットラスを構えちまったよ!」と、後に語っている。
 


「おばば、なんか、たのしそうだな!」
「うふふ。そう?でも、楽しいかも。」

 チャコは勘が良い、とつくづく思う。表情のない私に対して、彼は「楽しそうだ」と言った。生まれ持ったセンスなのだろう。

「そのあとはー?
 おばあに、カットラスで、こうげきされた?」

 顔のすぐ隣りで、小さなカットラスを振り回す気配を感じる。このカットラスは、私が説明するために「用意」したプラスチック製のおもちゃ。

「カットラスでは斬られてないけど、代わりにハルバートで斬られたかもね。」
「はるばーと?」
「チャコは知らないか。こういう武器のことよ。」

 カットラスと同じように、ハルバートもリアライズしてみせる。もちろん子供サイズのプラスチック製だ。

「すげー!かっこいい!これちょうだい!」
「もちろん。だけど他の人を叩いちゃダメよ?お姉ちゃんもだよ?」
「うー、わかたー。」
 
 カットラスとハルバートを両手に、ご満悦のチャコは、背中の翼をパタパタと小さく鳴らした。
 
 
つづく
 
 
あけましておめでとうございます。遅いけど。