「おばば?ねちゃったの?」

 

 チャコの元気な声が遠くに聞こえる。深い深いまどろみへと沈み始めた私は、ついに最期が訪れたのだと悟った。

 

「おばば…?」

 

 少しの沈黙の後、小さな足音がパタパタと慌ただしく、けれども私には心地よく遠のいて行った。異変を感じたチャコが、誰かを呼びに行ったのだろう。

 

 親子3人で出掛けた異国の地。母が幼い私を抱き上げて言った。

 

「どんなことがあっても…」

 

 とても高い建物の屋上だったと思う。東の果てから昇る朝日が眩しくて、私は母の柔らかな髪に顔を埋めた。

 

「顔を上げて、前を見て。

 ゆっくりだって良い。自分の足で前へ。

 そしたら、必ず道が見えて来るから。」

 

 大きな瞳で朝日を真っ直ぐ見据える彼女の横顔は、とても美しかった。自分が頷いたのかすら定かでないくせに、その横顔だけはよく覚えている。

 果たして私は、前へ進み続けたのだろうか。何万年も生きたくせに、まだ分からない。

 

 ある人は言った。私が居たから、この素晴らしい世界があると。

 また別のある人は言った。私が居なければ、より素晴らしい世界になっていたと。

 

 どっちも不正解。もともと世界は素晴らしい。
 
 だから、世界の素晴らしさと私を関連づけるのは「大間違い」だ。私1人が世界に与える影響なんて、たかが知れている。
 私はただのワガママで、どうしようもないやつ。どこかでひっそりと生まれて、年老いて、ひっそりと死ぬ。そんな人生の方がお似合いだったと思う。
 いずれにしろ、あたかも自分が主人公のように語るマイストーリーはもうすぐ終わる。聞かせる相手は居なくなってしまったけれど、ここから先は私自身が語る必要はない。
 
 ここから先は、あなたが知っている。
 
 
 
ーーーーー
 間延びしたラグビーボールのような物体が天の川銀河の辺境を音もなく進む。戦闘形態の戦艦アダモレアルである。目指すは神の母船。
 タニキァは言った。神はごく近未来に火星のワープフィールドを開き、地球へ「一斉攻撃」を仕掛けるつもりだ、と。自分たちの知る過去で起こった、地球崩壊の始まりと同じように。そして、起点となるフィールドの向こう側には「神の母船」がある、と強く主張した。
 現最高神は、銀河最強種族の長であるにも関わらず、その性格は極めて臆病で、残忍で、幼稚。言うなれば自身の圧倒的無双しか認めない子供のようなもの。行動を起こした時は勝ちを確信しているのだから、先んじて乗り込み、奇襲を仕掛けることが最も有効である。10年前に最高神が味わった撤退の屈辱は、万人のいかなる想像をも上回る。一点の疑いもない「完璧な無双勝利」のため、今はさぞかし入念な準備に勤しんでいることだろう。
 奇襲に参加するのは、アダモレアルの乗員43名全員と、ララとドラキュラが選出したモリノ組の精鋭100名。残ったメンバーはコレオスの指揮の下、キューバの共闘組織インテルフェクトルと連携してアメリカ大陸へ陽動を仕掛ける。例え僅かでも、神の注意を地球へ向けさせるのが狙いだ。
 
「ていとくー。起きてくださいー。残りカウント75000で第一目標座標に到着しますー。」
 

 全く緊迫感のないJPの声が、ピンと空気の張り詰める管制室を縦断した。その辺の手頃な手摺りにもたれ掛かっていたオキタは、寝るかバカ、と隣りで腕組みするララに視線を落とす。自分を挟んで立つドラキュラとオキタを交互に見上げたララは、小さく頷いてから、ニヤリと右口角を上げた。

 

「近いよ…。ママを感じる…。」

 

 サテライトフォートの放つランダムな瞬きが、ララの顔を何度も照らした。瞬きからまもなく、遥か彼方で同じ数の閃光が走る。

 サテライトフォートはいわゆる衛星型移動砲台で、アダモレアルに搭載されているのは135基。通常は砲手1名が15基を制御する。つまり砲手は9名必要なわけだが、アダモレアルはこれを4人で賄う。1人で90基を操る、JPの飛び抜けた才能のおかげである。

 ララが感じたのは、母親の旋律。この母娘の旋律は特殊で、互いの旋律が共鳴する。ララ曰く、共鳴現象は近くなるほど、強く鮮明になるのだと言う。すなわち10年前に死んだとされる始祖の生存が確認されたわけだ。当然ながらあちらも、娘の接近に気付いているだろう。口に出したことはないが、かねてからコレオス、ケルラ、ララの3人は、始祖生存の可能性を信じていた。

 理由は自分たちの変身能力にある。ミュータント以外の「変身」は、命の鎖が有効であることを意味する。3人は今でも始祖と鎖でつながっていて、なおかつ始祖は生きている。もしも死んでいたら鎖は無効になるわけだから、変身もできなくなるはずだ。始祖が自らの意思で生きているのか、はたまた何らかの理由で生かされているのか、生存の理由は謎である。

 

「…この旋律……なんか変…」

 

 ララの呟きを拾ったドラキュラが眉をしかめ、オキタがするのと同じように手摺りへもたれかかった。大男2人に寄りかかられても、華奢に見える手頃な手摺りはびくともしない。

 

「その旋律は真に『さくら』のものか?」

「うん、間違いない。今回はハッキングされてないよ。この音は絶対ママだ。ノイズが酷くて読み取りにくいけど、『来るな』って…」

 

 来るな、に今度はオキタが眉をしかめた。かなり表情が板についてきたようで、今では最も地球人らしい未来人だ。それから、わざとらしくアッと声を上げ、誰に言うでもなく言った。

 

「センリツってのが先生のワガママ通信的なもんなら、こっちからアクセスすりゃ正確な座標を教えて……」

「さっきからやってる。だけど私の旋律はママより弱いから、変身前だと少し先にある障壁を突破できないんだ。」

 

 言葉を遮られたオキタだったが、特に気にした様子もなく、障壁ねえ、と眉をあべこべにして相槌を打つ。未来人には一片の愛想すら見せないララだが、なぜかオキタとの関係だけは出会いの瞬間ほど悪くない。単独でアメリカへ向かったオキタを探しに出るくらいだから、むしろオキタに対するララの感情は好意的であると言えよう。偶然だったとはいえ、隠してきた弱い自分を知られたことをきっかけに、ドラキュラとはまた違った父親像をオキタに重ねているのかも知れない。

 

「近くにジャミングフィールドはあるか?」

「気になって調べてみたけれど、進行方向の木星衛星…えーと、この時代の呼び名はガニメデかしら?その周囲に『揺らぎ』くらいしか見当たらないわ。バカみたいに大きいけど、ジャミングの類じゃないと思う。」

 

 オキタの問いに、タニキァが阿吽の呼吸で答える。彼女もまた表情が豊かになってきた。いつの日だったか、彼女のはにかんだ笑みを見たマリナは、「お偉いさんだらけの会議から帰ってきた直後の神河少尉に似てる!」と、手を叩いて笑った。

 

「…まさかと思うけど、この揺らぎが母船だと思ってないわよね?」

「さあな。オレには分からん。」

 

 はにかみと並び、もはやタニキァの代名詞と言っても過言ではない「嗤笑」を向けられ、オキタは手すりに肘をついたまま両手を広げ、モントリーヴォ直伝の「すっとぼけ顔」に添えた。身振りと表情を正確にリンクさせるオキタの表現は、何時間も腕組みを解かない隣りのララと比べて、ずいぶんと人らしい。タニキァにそう思われていることなど知るはずもないが、おもむろに腕組みを解いたララがメインビューに映る遥か前方の闇を指差す。少女特有の甘ったるい汗の香りが、ふんわりとオキタの鼻をなでた。

 

「まさか、の大当たりかも知れねえぞ!?」

「いくらなんでも大きすぎよ!イグドラシルの何倍もあるわ!」

 

 宇宙空間にガニメデが煌々と輝く。一見するとごく普通の宇宙空間。しかしララの指差す先を凝視すれば、ふとした瞬間にガニメデの少し手前で僅かに滲むのが分かる。タニキァのいう「揺らぎ」である。滲むのと同時に、広大な揺らぎの奥で「闇」がぼんやりと輪郭を帯びる。通常の揺らぎには見られない現象だった。しかしこれだけでは、揺らぎが母船だと満場一致で確信を得るに決めてを欠く。

 

"帰…なさ…"

"未来…子…たち……っ緒に…"

 

 そのとき、断片的に声が響いた。この場いる誰のものでもない声。人を問わず、途切れながらも全員の脳へ直接届いた不思議な声。一方でその声は、えも言われぬ「苦しみ」を孕んでいた。声は「神」という単語を捻り出したのを最後に、沈黙した。

 

「ママ?どうしたの?

 私はすぐそばにいるよ!もう目の前だよ!」

 

 ララはそれを母の声だと言った。少しでも旋律の出力を上げようと、金色の輝きを帯びた少女をドラキュラが慌てて諫める。

 

「堪えよ!神に我らの気配を悟られてはならん!」

 

 それでもなお輝きを弱めようとしないララに、今度はオキタがしゃがみ込んで目線を合わすと、諭すように語りかけた。

 

「何のために時間をかけることを選んだ?冷静になれ。」

 

 君は賢い。続けてオキタの放ったその言葉が、ララの輝きを止めた。ララはメインビューを睨みつけたまま口を真一文字に結び、猫目の下に広がりつつあった涙を雑に拭った。

 今回の奇襲において、オキタたちはあえて時間のかかる「迂回作戦」を採用した。これはララの提案による。アダモレアルは現代にない技術の塊。存在を知らぬ人に、別銀河からの漂流船、と伝えたならば十中八九信じるだろう。サテライトフォートを含めればそれなりの規模に見えるから、あるいは避難民を装うも良し。無関係なふりをして、何くわぬ顔で目標座標に最接近する作戦である。この作戦を実行するにあたり、アダモレアルが天の川銀河の端から飛来したと錯覚されるよう、大きく迂回した。地球の公転軌道と交差する方角から近づこうものなら、神は疑う。狙うのは奇襲であり、急襲ではない。

 

「それにさっきの…、声の主はオレたちが見てることも、オレたちの素性も知ってた。

 君がここにいるからだ。間違いない、声の主はルーマンドゥ…、いや、君のお母さんだ。オレは信じる。

 お母さんはあそこにいる。あそこで、まだ生きてる。」

 

 真一文字に結ばれた桜色の唇が、不意に「への字」に曲がる。そのままアダモレアルの高い天井に鼻先を向けたララは、眉間に若々しい皺を寄せて両瞼をグッと閉じ、小刻みに肩を震わせた。

 

「頭の良いタニキァやJPは、君の接近を察知するトラップだって思ってるかもな。確かにその意見も否定はできない。

 だけどな、トラップなら最後に『神』なんて単語を捻り出すか?後には何が続く?」

「彼女が『神の母船』にいるから…」

 

 答えたのはタニキァだった。しかし彼女は振り返らず、メンビューを見つめたままだ。彼女なりに「トラップだと思っていない」と、伝えたかったのだろう。

 実のところタニキァは、家族が何か、個人にとっての親や家族がどれほどの存在か、よく分かっていない。知識としての「家族」は知っていても、彼女は軍人になるべくデザインされた生命体であり、成体になるまで軍の施設で育った。余談になるが、ぬいぐるみに異常な恐怖心を抱くのは幼少期の経験に起因する。記憶領域が上書きされているため本人は知る由もない。

 親の遺伝子を基に作られ、家庭で育ったオキタほど、彼女は家族というものを身に染みて理解していない。つまり彼女が振り返らなかったのは、どんな表情をすべきか分からなかった、が真実である。

 

「目標座標を更新!揺らぎに突っ込むぞ!神を炙り出す!」

 

 アダモレアルが緩やかにやや上方へと進路を変えた。

 サテライトフォートが閃光を放つ。すると小規模な揺らぎを含む進路上の有形無形の障害はたちまち消失する。本来はアダモレアルにとって対処する必要のない障害だが、揺らぎの奥に潜む者への「アピール」である。

 その行為は、この船が揺らぎを検出し得る能力を持ち、そして排除対象なのだと雄弁に語る。裏には「防御力は大したことない」と言う、逆のブラフも含まれる。

 

「指定ざひょーの振動値じょうしょー!…揺らぎが…、薄まったー?
 キャプチャー開始しまー…すっ!え!?ちょっとー!間に合わないー。誰かヘルプしてー。」

 

 いつものJPらしさはあるものの緊迫した報告が響く。実に珍しい出来事だが、タニキァに次いで高性能な彼女の予測を、実観測値が凌駕したことを意味する。まさに混沌と呼ぶべき莫大な情報がJPの処理能力限界に迫る勢いで埋め尽くしてゆく。

 

「あーやばかったー。タニキァ少佐とガープ先輩、ヘルプありがとっすー。

 すいませーん。サーフェイス2までしか無理でしたー。そういうことなんでー、メインビューの揺らぎ除去とー、サーフェイスイメージ反映だけやりまー。」

 

 本人は怒られると思ったのだろう。サラッと言ってやり過ごそうとしているが、揺らぎの消えたメインビューに浮かび上がる複雑なアウトラインを見れば、誰も彼女を責めることはできまい。むしろ表層第2層目までキャプチャーできたことは評価に値する。加えてその複雑な物体を淀みなく再現描写するのだから、さすがの一言に尽きる。オキタレベルの処理能力だったならば、完全なアウトラインの描写すら危うい。

 

「なっ!?

 おいおいおい、ふざけんな…。宇宙空間だぜ?」

 

 これは徐々に露わになる「揺らぎの奥の物体」を見たオキタの言葉だが、タニキァを除くその場にいた全員が彼と同じ感想を述べようとしたことを補足しておこう。

 揺らぎの奥にあったのは「巨大な樹」だった。高さもさることながら、途方もなく広大な範囲を覆う。幾重にも重なる幹や枝は赤黒く、葉も花もない。しかしあちこちに幾何学模様をした、実のような無数の金属様物体がぶら下がる。下方、つまり根っこあたりからは、相当巨大な黒い逆四角錐と同化し、錐の頂点を軸に並行方向にゆっくりと回転しているよう。

 

「神聖樹…」

 

 神聖樹。樹木に見えるが、天の川銀河の誕生と起源を同じくする特殊天体である。

 タニキァのブラックボックスには、天の川銀河における生命の根源が約50万年前に消滅した特殊天体にあった、と記録されている。枯木に似ていることから、古えの種たちはその天体を「神聖樹」と呼んだ。

 神聖樹そのものが内包していた元素と、銀河の外縁へ螺旋漂流する間に枝先へ付着した様々な資源が、長い年月をかけ小さな生命体を成した。それが天の川銀河における生命の始まりだった。弱く小さな生命体は途方もない数の誕生と絶滅を繰り返したが、ある時は近くの原始惑星に落ち、その星で生命を育んだ。またある時は別の物質と結合し、銀河の彼方へと飛び立った。

 そしてついに、1つの生命が過酷な神聖樹の環境を生き延びる。神族の始まりである。そのとき神聖樹は銀河で最も密集した宙域にあった。滝のように降り注ぐ豊富な資源が神族をより大きく、より強く変容させ、果てに銀河最強種へと育て上げる。母星という守られた環境を持たないが故、神族の強さは銀河で群を抜く。やがて5万年周期で産まれる強力な変異個体が、各世代を統べる「最高神」となっていった。

 タニキァの生きる世界では50万年も昔のこと。しかしいま、彼女は46万年前の別世界にいる。緑豊かな地球を巡り、英雄を欠く人類と苦惨を知る神族が争う世界。たった4万年の隔たりなど、この狂気の世界線においては無いも同然。だから神聖樹が消失を免れ、この世界の「神の母船」であったとしても何ら不思議はない。あるいは「神の業」による奇跡かも知れない。

 

「私の旋律が一瞬だけママに届いた。場所は、この奥。」

 

 そう言ってララは、空中にリアライズしたデフォルメ神聖樹の根元を2度、ペンサイズのハルバートの先で叩いた。コツコツと小気味良い音が鳴る。どうやら彼女は、神聖樹を金属製の構造物だと認識したようだ。素材が何であるにせよ、ララが示した場所は巨大な神聖樹の中枢を思わせる。

 

「すげー。やっぱ物質化やばいっすねー。材料はなんなんすかー?」

「あ?私の血と肉だけど?」

「うげっ!汚っ!!」

 

 優れたテクノロジーを持つがゆえ、数々の超常現象が当たり前の未来人にとっても、ヴァンパイアの、とりわけララのリアライズは特異なようで、何かをリアライズするたび取り合いが起こるほどだ。特にお菓子類が好評らしく、そこに目をつけたマリナは、未来のビックリアイテムと物々交換していたとか。今回の神聖樹がマリナの手に渡っていたら、相当なレアアイテムに換わっていただろう。

 

「…JPとやら、あれもお主がリアライズしたのか?」

 

 ドラキュラが凝視する神聖樹の根元には、米粒大の何かが1つ。揺らぎのどちら側にあるかまでは分からないが、神聖樹と比して、大きさは3メートルほどだろうか。

 未来人たちの行う映像化を、地球人たちは「リアライズ」と呼ぶ。未来人たちが、脳内で認知、共有したビジョンを実際に接触や加工が可能な立体物として指定領域に出現させるからだ。この指定領域がいわゆるビューやモニターだと思って良い。

 

「そうかもー?情報が多かったから分かんないっすよー。拡大してみまー。」

 

  JPの操作によりゆっくりと米粒をズームアップしていくメインビュー。拡大されたことでディテールが明らかになった。

 米粒は稲穂色の両翼を折り重ねて膝を抱える、何者かだった。揺らぎの外側、つまり「こちら側」にいるらしい。米粒とはよく言ったもので、その姿は「籾」のようである。

 やがて緞帳のような両翼が開かれると、銀髪豊かな麗しい「人」が現れた。一見すると女性のようだが、身体的な雰囲気は男性的でもある。それは髪と同じ色のまつ毛に縁取られた山吹色の瞳でアダモレアルを漫然と見つめる。それから、ゆらりと微笑みを浮かべ、厳かに、そしてしなやかに、右掌をこちらへ向けた。

 

「んー?超質量反応?

 なんかロックオンされましたー!チャージしてますー。カウントダウン38っすー!もう回避無理っすー!…予測値でましたー!ご、500まんーー?」

「容赦ねえな…、かすっただけでもバリアごと消し飛んじまう…。

 総員!環境と体組成をアップデート!宇宙空間に備えろっ!

 ビットボットを持ってるやつはムーバーに使え!持ってないやつはアバターだ!持ち場なんてどうでも良い!とにかく急げ!」

 

 オキタが指示を言い終えるより早く、ほとんどの者はすでに脱出を済ませていた。さすがは「選りすぐり」の烏合の衆。軍人としてのプライドなどつゆほどもなく、地球人を誘導するそぶりすら見せなかった。この場にモントリーヴォがいたなら、どれほど落胆したか。唯一の救いといえば、何かと忙しい管理職に代わり、志願兵のJPが地球人への状況説明を優先してくれたことだろう。

 

「みんな!聞こえた?

 この船は吹っ飛ぶよ!すぐに脱出!前方と後方を避けて、できる限り散開!」

 

 未来人たちに遅れること数秒後、地球人たちもやっと脱出を開始した。何かに吸い込まれるように消えていった未来人の脱出とは異なり、地球人が脱出に要する工程は多い。すぐに搭乗できるようスタンバイしていたとしても、全機脱出まで数分かかる。

 ララは唇を噛み、残された時間で全機脱出可能な方法を考えていた。特大のシェルターをリアライズして格納庫を覆うにしても、血液の絶対量が足りない。あるいは全力で反撃し、押し留めるか。

 いずれの方法でも相手の攻撃が勝れば全滅する。

 

「我が表に出よう。さすがにあれをかき消すのは無理だが時間は稼げる。

 なんでも1人で解決しようとするな。物事は適材適所。これは我の仕事だ。」

 

 ドラキュラの大きな手がララの細い肩を叩いた。ララは知らぬうちに強張っていた首筋が、すうっとほぐれてゆくのを感じた。

 何かに気づき、息を吸った桜色の唇を遮るようにドラキュラは言葉を続け、ララの背中を優しく押した。

 

「…さあ、早く行け。みなを守れ。」

 

 うなずき、駆け出した小さな背中を見送るドラキュラの肩を、今度はオキタの無骨な手が叩いた。

 振り返ったドラキュラに「オレも付き合うぜ」と、オキタは笑ってみせた。先ほどまでオキタと共に慌ただしく作業を行なっていたタニキァの姿が見えない。先に脱出したのだろう。

 少し前まで人で溢れていた管制室に、たった2人だけが残った。2人して華奢な手すりにもたれ掛かり、メインビューを見つめる。メインビューに映し出されているのは、階下の格納庫。駆けつけたララの指示で、脱出の速度が飛躍的に上がったようだ。

 

「その、なんだ…損な役回りをすまない。突っ込むつもりなんだろ?」

「ふん…脆弱なお主やララには到底無理だ。仕方あるまい。」

「タイミングはオレに任せてくれ。」

「…感謝する。死ぬなよ?」

「誰に言ってんだ?

 …あんたの方こそ、死ぬなよ。」

「誰に向かって言ってんだ?」

 

 くくく…と、2人は顔を見合わせて笑った。

 ひとしきり笑った後で、オキタがレヴェナントを出現させた。それを見てドラキュラがうなずく。レヴェナントに「主人を頼んだぞ」と微笑んだのを最後に、ドラキュラは何かに吸い込まれ、間髪入れず船首前方に赤い竜の姿を現した。

 

 赤い竜が閃光の如く宙を駆ける。

 格納庫にはまだ半数の地球人たちが残る。間近に迫るその時に備え、残ったメンバーの道を拓こうと奔走するララ。

 一方その頃、タニキァも艦内にいた。オキタに悟られないよう一度シェルターとなるパーソナル亜空間へ脱出してから戻ってきた。目的は量子反応弾である。神の母船を目の前にして量子反応弾を失うことはどうしても避けたかった。ここでアダモレアルが撃墜されるのだとしたら、あらかじめ反応弾を全弾起動しておけば良い。

 脱出によりオキタへ全権が移譲しているため、反応弾は手動で起動する必要がある。もちろん自らの命と引き換えに。

 

「ロックオンアラート、レッド!」

 

 デヴァイスがオキタからの「緊急」を告げる。視界中央に浮かぶ真っ赤なアラート越しに隔離室を開いたタニキァは、音を立ててその場にへたり込んだ。

 

「うそ…たったこれだけ…?しかも全部デミだなんて…」

 

 オキタたちの時代において、リストされていてもほとんどの艦が量子反応弾を搭載していない。低威力のデミ反応弾が2、3発搭載されていれば良い方。デミ反応弾すらない艦が全体の7割を占める。資源の枯渇も一因だが、空間を丸ごと消し去る危険な兵器の大量配備を懸念した「大いなる意思」による秘密裏の決定だった。

 人類最後の量子反応弾は、前旗艦イグドラシルと共に失われた。

 

「敵さんの充填エネルギー、500万到達!まだ上昇中!」

 

 膨張したエネルギーが、アダモレアルをまるで虫籠のように震わした。思わず動きを止めたララは、振り返りたいのを堪え、目を閉じ「大丈夫」と自分に言い聞かす。そしてまたすぐに走り出した。

 

「発射予測まで、カウント……5、4、3、2、1…」

 

 赤い竜が一際眩い輝きを纏った。黒のように濃い赤。ドラキュラ特有の輝き。一拍遅れて神聖樹の根元から太陽と見紛う強烈な光が放たれる。小さいが、一片の混ざり気もない白。みるみるうち、赤をかき消すほどに膨れ上がり、アダモレアルを悠々と飲み込む巨大な壁となって押し寄せた。

 吹き飛ばされ巻き上がり、上下左右も分からず、全てがホワイトアウトを始める中、ララは仲間へ必死に手を伸ばす。変身したにも関わらず身体は端からじわじわと溶け、すでに指先は失ってしまった。それでもララは空を掻く。

 ララは物心ついた時から「特別な存在」だと言われ続けてきた。自分は神を退けた悪魔の娘。自分が真に特別なら、まさに今、この状況下で証を示すはず。

 それなのに、現実の自分はあまりにも無力だった。目の前の味方すら救うことができず、初めて出会うタイプの神族にあっけなく全滅の際へ追い込まれた。

 もはやドラキュラを含めた仲間の生存は絶望的だと言わざるを得ない。悔しくて、無様で、泣きたかった。けれども漏れるのは嗚咽ばかりで、涙は雫も出なかった。

 

「お母さん…」


 母は自分を助けるため志半ばで命を落とした。

 母の友人たちは自らを犠牲にして道を拓いてくれた。

 見知らぬ人すら盾となり消滅した。

 そして育ての父も…。

 

 別れの表情は、なぜかみな笑顔だった。

 「私が終わらせる」と最高神へ戦いを挑んだ実母の、満開の桜を思わせる美しい最後の笑顔が蘇る。

 

「わたしも…泣き顔なんかで終わってやるもんか!

 ぜっっっったいにっ!絶対にみんなを助けるっ!」

 

 ララは顔をあげた。

 大きな猫目できりりと前を見る。見ている先が本当に「前」かどうかなど、どうでもよかった。自分が前だと思えばそれは前。きっと救うべき仲間がいる。朽ちかけた右脚を前へ。脚だった部位に赤い稲妻が走る。踏みしめると稲妻は本来あるべき金色の輝きへと変わった。2歩3歩と前へ進むにつれ、消えかけた輝きと身体を取り戻してゆく。6歩目を踏み出したところで、ララは瞳を閉じ、進みながら両手で次々と空を掻いた。今度の動きは先ほど見せた「足掻き」とは異なり、明確な意思に制御される。

 ララは保険として与えておいた自らの血肉を共鳴器官に変化させ、共鳴反応を頼りに仲間たちの位置を探索していた。1人1人の生死までは分からない。それでも見つけた仲間を、もれなく「女神の祝福」で包み込んだ。

 

 39個目の反応を包み終えたララの身体は、輝きを失い、大部分の肉を失っていた。はじめから血液が枯渇していたのだから当然だった。奇跡的に復活した肉体をありがたく使い、別の奇跡を起こしたまで。絶え間なく押し寄せる白い衝撃に身を委ね、ララはしてやったり。満足げに微笑む。
 
 周囲に反応はない。
 
 まぶた越しでも分かる真っ白な空間が、もはや心地良かった。ふいに辺りが暗くなったのを感じ、ララは「死ぬときって暗いんだ」と、まだ健在の左眼をぽつり濡らした。大嫌いな右手がズキズキと痛む。
 
 やがてララは、吸い込まれるように底の見えない暗闇へと落ちていった。
 
 
つづく!
 
ーーーーー
何も考えずに書いてたら、謎の敵に全滅してしまった!