キューバ、ビニャーレス渓谷。
朝日の差し込む東屋で、大きなオキタと小さなケルラが膝を突き合わせていた。ケルラが身振り手振り忙しなく話すと、間もなくしてオキタが、得心した様子でうなずく。何やら授業のようである。
吹き放しの東屋から漏れる2人の声は、鬱蒼とした渓谷の緑に吸い込まれ、少し離れた水田で汗を流すモントリーヴォの耳に届く頃には、小鳥のさえずりよりも小さくなっていた。
「問題です、だよ!
…最も新しいVの名前と、主な超能力の名称、そして宿主の名前をフルネームで答えなさい、だね!」
一通りの説明が終わると、指先に出現させた小さな水蛇を指し棒にして、ケルラが唐突に言った。指名されたオキタは驚いた様子もなく、顎に当てたままニヤリと笑みを返す。これまでにも何度か「出題」があったのだろう。
「ふっ、先生らしくない。超イージーだ。
名前は、ヘクセン・ドロトニェン・オーサ・ララ。意味は、魔女を統べる者「ララ」、だ。
能力は…
相手を幻覚世界に閉じ込める、幻影の楔。
再生後に絶対防御を発揮する、女神の祝福。
生物をどこかへ消してしまう右手、異界の門。
以上の3つ。時の最高リアライズ性能を持つ者に贈られるタイトル『マジェスティ・DA・リアライズ』を含めれば4つだな。
宿主は、ララ・アドリアーナ・ベッラ・タナカ・ジ・アウメイダ・ガドゥン・モリノ。」
一気に言い終え、得意げなオキタに対し、ケルラは紙に目を落としたままなかなか顔を上げなかった。念入りに何度も、紙の上に視線を走らせる。オキタの表情に薄っすらと不安が滲み始めた頃、ついにケルラがとても残念そうな面持ちで顔を上げた。
「すごい!完璧な正解だね!」
残念顔から一転、目を丸くして拍手を贈るケルラに、オキタは胸を撫で下ろし、無言のガッツポーズで喜びを爆発させた。
「1回聞いただけで覚えられるなんて、すごいだよ!本当にデヴァイスを使ってないのかね?」
「当たり前だろ。いまさっき説明されたばかりなんだ、間違えるわけないぜ。」
「あたしは紙を見ながらだっただね。特に名前が……長い…だね…」
オキタがキューバで暮らし始めて、1月が過ぎた。生命活動と音声出力に関する機能を除いて、デヴァイスオフの生活を送っており、1日の大半をヴァンパイアについての学習とアバターを使った戦闘訓練、そして農作業に費やす。
ララと片腕を失ったドラキュラが帰還したのち、事情を知った一部の仲間もオキタに合流した。潜水艇に残るメンバーは、タニキァを始めとするオペレータたち。戦える者は皆、オキタと共にキューバでモントリーヴォの指導を受けている。
余談になるが、オキタたちはケルラのことを「先生」と呼び、モントリーヴォのことを「マスター」と呼ぶ。
「先生。ララさんのV、強すぎないか?
他はだいたい超能力が1つだったし、完全にチートだろ。」
オキタの問いに対し、くねくねと指先の水蛇を踊らせていたケルラは、立ち上がり、朝日に向かって歩み出した。陽光の中で大きく伸びを1つ。小さな幼女が朝日を背に振り返った。
「素人はそう思うかね。
あたしから見たら、むしろ弱いだよ。」
ララの能力は、リアライズのみ、だとケルラは言う。突き詰めれば「リアライズを拡張した技」なのだと。故に、弱点だらけだ、と言葉を続けた。
幻覚「幻影の楔」は、自身の脳内にリアライズした「共鳴器官」を通して、相手脳内をサーチし、深層心理に潜む恐怖などを投影する技である。多数への同時サーチと同時投影が困難であることから、1対1での使用が主となる。加えて投影に多くのエネルギーを割く関係上、自身の動作に制限が発生し、複雑な動作や素早い行動はできない。
これ以外にも幻覚には大きな欠点がある。それは共鳴器官を持つが故、相手が機動兵だった場合などは、予め用意されたウィルス、つまりはダミーのヴァーチャルイメージを送り込まれてしまうこと。共鳴器官の信号解析さえできてしまえば、先日の通り、現代地球人にも幻覚のハッキングは可能であり、共鳴器官を持つララは、ハッキングにより思考や精神まで侵されてしまう。
絶対防御「女神の祝福」は、受けた攻撃を解析し、再生時に対象攻撃の弱体化効果を持つ「シェル」をリアライズする技。シェルと言っても皮膚と非常によく似ており、見た目の変化はない。経験した攻撃はストックされ、後にいわば「免疫」と似た働きを示すようになる。これはララの持つ致命的欠点を補うためのものだった。
ララは全ヴァンパイア中、組成が最もヒトに近い種であり、コアの守りが「非常に脆い」。一般的にヴァンパイアのコア結合部は最後の肉片になっても残るほど強固であり、簡単に壊れない。一方でララは、過去に数度、コアを損傷した経験がある。ほんの小さな傷でも、コアの再生は「死んだ方がマシ」と思えるレベルの激痛を伴うらしい。
そしてこの絶対防御の効果は、無効化ではなく「弱体化」である。連続して攻撃を受ければダメージが蓄積するから、ケルラなど強い一撃を持つ相手との相性は悪い。また空間自体を消滅、あるいは支配する攻撃に対しては無力だ。
謎の右手「異界の門」は、産声を上げる前に獲得したもので、かつてのララは本能のままに使用していた。母体である始祖の宿主が潜在的に持っていたバグ、高次エネルギー捕食体「ディメンションイーター」がその正体だ、とケルラは言う。このバグは始祖が寄生した際に封じられたはずだった。しかし体内で新たに生まれたVが、成長する過程においてバグまでをも解析してしまい、結果としてララは、イーターを体内の器官としてリアライズしてしまった。アクティブなイーターを体内に持つ者は、イーターのいる部位が本来の捕食器官になるため、その捕食器官以外から捕食した場合の効率がすこぶる悪くなる。この事実をララは知らない。つまり口から物を食べる彼女は、常にエネルギー欠乏状態にある。
銀河最強クラスの攻撃手段に違いないが、平時のララが戦闘で使いこなすのは困難を極める。実力が拮抗する相手との戦闘においては、なおのこと難しい。
「説明を聞いても、オレには弱点が見えないな…」
「それは自分の能力を知らないからだよ。」
「オレの能力ねえ?確かレヴェナントは…」
「影…、ううん。暗闇を支配する、だね。
光と闇、明と暗。2つは真逆なようで、根っこは同じ。いつも繋がってるだよ。」
オキタの言葉を遮って、いまだ逆光の中のケルラが言った。歩み寄り、影の薄まったケルラが言葉を続ける。
「ハッキリ言って、チートなのはレヴェナントの方だよ。嘘偽りなく、1対1なら『最強』だね!真の能力を覚醒されたら、あたしでも勝てるかどうか……。宿主とVが別行動するタイプくらいしか、苦手な相手がいないだね。」
「ふぅん。そう言われても、人間のマスター相手に手も足も出ないオレには、全く実感が湧かないぜ。」
「何はともあれ、まずは覚醒だね。命の鎖があれば簡単だったけど、ないものは仕方ないだよ。とにかくV…、じゃなくてアバターと心を通わせること。アバターはオキタを映す鏡…、ううん、オキタ自身だね。」
それから、今日の授業は終わりだと、オキタの膝を叩き、ケルラは東屋を後にした。独り取り残されたオキタの間近まで、朝日が迫る。
「アバターはオレか…。お前はどう思う?」
主人の呼びかけに姿を現したアバターは、朝日を背に受け、逆光の中で大きく伸びをした。その姿が、奇しくも先ほどまでいたケルラと重なり、オキタはクスリと笑った。
「先生はお前が最強だとよ。つうことは、オレも最強ってことだ。」
そう言ってオキタは、大の字に寝転んだ。天井を見つめるオキタの頬を、ゆらゆらと揺れるアバターの尻尾の影が撫でた。
「なっ!お前…!今のどうやった!?」
この時オキタは、喩えなどではなく、撫でられた、と確かに認識していた。頬に残る、ゴツゴツした少しぬめり気のある感触が、何よりの証拠だった。すぐさま飛び起き、アバターの尻尾を掴む。恐る恐る尻尾を自らの左頬に当てた。
「間違いない。同じ感触だ…!
すげえ…。レヴェナントは影でも触れるのか!
しかしどうやって?今まで一度だって、こんなことなかったぞ。今だって、影に触れてるのになんともないじゃないか!」
何かが分かりそうなくっきりとしない感覚。灰色のモヤがオキタの心を満たしていた。このまま戦えば、或いは、その思いがオキタを動かす。東屋を飛び出した未来の英雄は、モントリーヴォの元へ一目散に駆けて行った。
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「どうした、オキタ?いつもより動きが悪いぞ。」
肩で息をするオキタに、過去の英雄モントリーヴォが言った。農作業真っ最中の彼を捕まえ、実戦練習を申し込んだまでは良かったが、影に固執する余り、アバターの動きは誰が見ても精彩を欠いていた。野良着の仲間たちが見守る中、強烈なカウンターを食い、英雄オキタは蹲る。
「しかしなんだな。アバターがやられてダメージを受けるたぁ、面白い仕組みだな。そんなんでお前、本当に下級神を倒せたのか?」
苦笑を返すオキタが、未来で下級神を倒したのは紛れもない事実である。その時のことをオキタは、こう語っている。
「いつも以上にアバターと五感を共有した。」
目がないはずのアバターと視界を共有しているような、不思議な感覚だったと。
オキタたち未来人がデヴァイスをオフにして一番苦労したのは、アバターの生成だった。モントリーヴォからアバターで戦えと指示されたオキタは、苦心惨憺のすえ、ありえない「オフ状態でのアバター生成」に成功する。
Vは宿主を守る、とのケルラの言葉を受け、オキタが被験者となった。
方法はシンプル。変身後のケルラに、殴られる。以上。
デヴァイスがオフであるため、理論上アバターが生成されるはずはない。加えてアクションモードも、メディカルボットや生命維持機能の恩恵もない。ケルラが力加減を誤れば、当たり前のように一撃で死ぬ。
果たして、殴られること数百回。2日目の黄昏時にそれは起こった。ついにアバターが自発的に出現したのだ。この時オキタは、立っているのが不自然な状態だった。本人曰く、全く記憶がない、とのこと。つまり、主の意思とは無関係にアバターが出現したわけだが、以前見られた暴走状態のアバター/エスとは異なる挙動を見せ、周囲を驚かせた。
迫るケルラの豪腕を遮る格好で出現したアバターは、やや左へ身を返し、ケルラの拳を冷静に受け流した。いわゆるボクシングのディフェンステクニック、パリィである。暴走状態であれば正面からのカウンターを敢行していただろうし、仮に受け流したとしてもそこから反撃に転じるはずだった。しかしアバターは、ケルラが体勢を崩したと見るや、オキタを抱え、距離を取った。ケルラの攻撃範囲から退避を優先したのだ。ダメージを含めた感覚を共有する未来人とアバターの関係性において、戦闘を続ければダメージを負うリスクが高まるわけだから、まさに「主を守った」と言えよう。
そして、この瞬間を境に未来人たち全員のアバターが次々と姿を現す。とある物質の結晶化にまつわる都市伝説「シンクロニシティ」が実際に起こった、とは断定できないが、潜水艇に残ったメンバーたちのアバターも出現したというのだから、潜水艦内はさぞかし大騒ぎだっただろう。オキタたちにはこれらの現象を一切理解できなかったが、アバターたちに囲まれ、中央で感涙に濡れるケルラにとっては、当たり前の出来事のようだった。
「試したいことがあるんだ。マスター、悪いけどもう少し付き合ってもらうぜ!」
雲を吹き飛ばすような雄叫びを上げ、オキタのアバターがジグザグに駆け出した。機敏な動きとは裏腹に、アバターの身体のあちこちからチリチリとノイズが漏れる。防御障壁が破れかけている証拠だ。
弾けるように右へ進路を変えたアバターが、同時に身体を回転させ、長い尻尾をなぎ払った。しかしこの一撃は空を切る。さすがは、南方にこの人あり、と言われた歴戦の雄モントリーヴォである。尻尾の軌道がやや高いと見て、低い大勢から一気に間合いを詰めてきた。バトルスーツを着ていなくても、身のこなし、瞬発力、ともに申し分ない。まばたき1つ分よりも早く、長身のオキタが苦手とする超至近距離へと侵入した。激烈なカウンターが当たると確信を得て、モントリーヴォの口元がニタリと歪む。
刹那、緊迫の中にあってなお、微かな笑みを浮かべるオキタに、モントリーヴォは誘われたのだと気づく。回転力を活かし、尻尾を地面に叩きつけたオキタのアバターが、天高く跳び上がる。カウンターがアバターのいた場所を薙いだ。
好敵手との戦いを楽しむ2人を、高い太陽が燦々と照らす。
つづく
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前の更新から時間が経ってしまってごめんなさい。全ては新学期のせいです。
果たしてオキタは、覚醒できるのでしょうか?それは私にも分かりません!!!!!