デヴァイス内蔵の古代地球ガイドマップを頼りにキューバのハバナ上空を抜け、次のチェックポイントであるメキシコのカンクンへ向けて低空を飛行中、オキタは地上から何者かの攻撃を受け、護衛のビットボットごと墜落した。攻撃を受けたのは小さな湖を越えた辺りの緑豊かな地域。かつてビニャーレス渓谷と呼ばれていたエリアだろうか。すぐに発動したアクションモードと、機嫌の良いアバターのおかげで即死は免れたが、右腹部から背中にかけて大きな傷を負ってしまった。出発前の点検で手に取った服用型簡易メディカルボットを、戻すのが面倒だからと、ジャケットに突っ込んでいたことは不幸中の幸いと言える。しかしながら出血量は多い。一刻も早くこの場を離れ、内部から治療を施さなければ、ごく近未来に彼は死ぬ。
谷底に落ちて数分、追撃はない。落下中に感知できた生体反応は2つだった。今もすぐ近くに1つ潜んでいる。消えたもう1つは報告にこの場を離れた、と考えるのが自然だろう。残った方の位置を知ろうと何度もサーチを繰り返しているが、いまだ発見できず。ネットワークから切り離され、オキタの処理能力だけで動くデヴァイスの性能など、たかが知れている。それなのに、役立たずのデヴァイスが示す「ライフゲージ」を寿命の参考にするのだから滑稽である。
「残り半分ってとこか。早いとこ逃げねえとな。」
この場で治療する選択肢もあるが、簡易とは言えメディカルボットの治療範囲は広い。出血量から推測するに、状態を悪化させないため、あるいは、回復を早めるため、服用後は「コールドスリープ」へ強制移行される可能性が高く、十分に休める環境が必要だった。
余談になるが、オキタの時代において、生き延びた兵士は逃げることを第一に考える。兵士が逃げるなど論外、と思われるかも知れないが、この思想は兵器の威力による。剣で斬り合うような戦場ならば、勇敢に戦ってこそ評価されるだろうし、そしてまた兵士も剣で戦う技術を持っているのだから、逃亡を非難されても仕方ない。一方でオキタの時代はどうか。最大の兵器は、超大型移民船や惑星を一瞬で消し去るレベルに達している。いざ兵器の前に晒されれば、一般人となんら変わりなく、一瞬で消滅する。だから幸運にも生き延びられたなら、這いつくばってでも命を存えることに全力を尽くす。また一部の例外はあるものの、兵士という肩書は一般的に市民の血税で生きている「愚者の証」でしかなく、大半の兵士は銀河連邦のためにとか、愛する者のためにとか、ご立派な大義名分を持ち合わせていない。極端な話、銀河統合軍とは「社会不適合者の強制収容組織」だと言える。そもそも誰もがアバターを扱える時代なのだから、個人レベルなら兵士より強い一般人はいくらでもいる。
「逃げて…、生き延びて…、また戦う…。軍人は辛いねえ。」
前述の「例外」とは、兵士として遺伝子をデザインされた人種のこと。彼らは、烏合の衆でしかない統合軍をそれらしく機能させるため、指揮官として創られた。オキタもその1人。元の遺伝子が優秀だったことと彼自身の素質が主な要因なのは間違いないが、超高密度のアクションモード獲得は創られたがゆえ、と言える。当然ながら指揮官の意図する「逃げ」は、大半の兵が行う逃亡行為とは異なり、あくまでも体制を立て直すためにとる、戦術的退却である。
無駄に繰り返したサーチのおかげで、多少なりとも周囲の地形を把握できたのは嬉しい収穫だった。少し離れたところに比較的大きな横穴がある。アバターを最高出力にすれば、傷ついた自分を抱えても、身を潜めている岩陰から20数える内に到着できるだろう。だが相手の目をかい潜って移動するのは困難を極める。行き先を知られれば、治療どころではない。安全な移動のため、相手の排除を優先しなければならなのに、オキタは手負いに加え「手ぶら」である。墜落時に投げ落としたはずの銃火器類は周囲をサーチしても見つからず、唯一「武器」と認識されたのは傍らに転がる木の棒と石コロだけ。それらを基材に武器を生成できるビットボットは全て壊れてしまった。
残された戦闘手段はアバターだ。しかしこれは、残りの寿命と引き換えを意味する。アバターを制御するのは脳であるから、脳への血液供給量が何倍にも増える。アクションモードが同時発動しようものなら供給量は更に増える。つまり、アバターで戦えば心拍の上昇は不可避。出血量の増加により、ライフゲージは数分でゼロになるだろう。
迷っていてもライフゲージは減る。残された貴重な時間を思考に費やすくらいなら、その分をアバターの活動時間に回す。そう奮起したオキタが淡い光に包まれる…。
「やめとけ。死ぬぞ?」
光るオキタの頭頂部に、少しくぐもった男の声が落ちる。ギクリと肩を跳ね、咄嗟に木の棒を構えてみたものの、上はおろか、辺りに生き物の気配はない。そもそも太陽は高い位置にあるのだから、頭上に何者かが居れば影が落ちるはず。南国の強い日差しは真っ直ぐに、オキタの顔を燦々と照りつけ、目を凝らさずとも遮蔽物がないのは一目瞭然である。物は試しと頭上に思い切り投げた木の棒は、少し上の迫り出した岩の手前で硬いものと触れる音がして、同時に遠くへ弾き飛ばされた。
「ステルスを解除するから少し待ってろ。」
顔をしかめたくなるような小さな虫の羽音、いわゆるモスキート音に包まれて、岩にしか見えていなかった場所に輪郭が浮かび上がる。その輪郭は、岩の上で身を低くしたままライフルを構えているよう。やがて輪郭は明確な像を帯びてゆき、頭の先から爪先まで全身に黒いバトルスーツを纏う、肩幅の広い男の姿へと変わった。
「軍人は辛いねえ。」
数刻前に呟いた自分の言葉を真似る黒尽くめの男が、オキタには笑ったように見えた。むろん男の顔は、真っ黒なフルフェイスヘルメットに覆われていて見えないから、声の感じからそう錯覚したのだろう。続けて男は、銃口を上へ逸らし、攻撃意思がないことを示してから、オキタの右肩を指差し言った。
「攻撃して悪かったな。あまりにデカイから新手の下級神だと思っちまったよ。そのエンブレム、元同僚なんだろ?他に仲間は何人いる?」
矢継ぎ早に問う男の指す先には「銀河統合軍のエンブレム」がある。男と自分の肩を交互に見て困惑の表情を浮かべるオキタに、男は上体を起こし、今度は自分の左胸についたエンブレムを指指した。
「騎士団のやつだよ。ほら、同じじゃねえか。」
「キシ…ダン…?」
なるほど、男の胸には統合軍章と非常によく似たエンブレムがついている。相違点を挙げるなら、エンブレム下の文字列が異なるくらいか。
「まさかそのサイズで拾い物ってことはねえよな?お前の服はどう見たってお誂えモンだ。落ちたショックと出血で忘れちまったのか?名前は?所属は?階級は?思い出せるか?」
ふと新手の尋問かと不安が頭を過ったが、男のフレンドリーな語気に他意は感じられなかった。なによりも男の言葉には、妙に心を掴む不思議な響きがあった。初対面、かつ生死の係るシチュエーションにも関わらず、もっと話をしたい、オキタは純粋にそう感じていた。
「自分は…、銀河統合軍、第1402期超規模移民船団つき、イグドラシル改め、アダモレアル護衛艦隊所属、オキタ准将、リブート12。…あなたは?」
「准将だ!?ふざけてんのか?警戒してるのは分かるけどよ、もうちっとマシな嘘を並べろや。あれか?こっちが名乗れば、言うってか?その出血だ、んな余裕ねえだろ。真面目に答えれば、俺の血を飲ましてやるよ。」
「ご存知ないのなら失礼。血液を飲んでも輸血効果は…」
「んなこたぁ分かってるよ!兄ちゃんはヴァンパイアなんだろ?隠さなくても良いぜ。さっき、黒い奴を出すの見てたからよ。」
いつの間にか傍に立つ男は、くしゃりと笑ってオキタの右肩を強く2度叩いた。ヘルメットの形に癖がついた白髪の多い短髪が、寝起きのようで少し滑稽に見える。豊かな毛量と狭い額のおかげもあって、第一印象は若い。白髪の量とシワの深さで判断するならば、50歳前後が妥当だろう。目尻のシワが特に深いのは、男がよく笑うであろうことを如実に表している。
男の印象よりも、オキタには気掛かりな点が1つあった。それは、男が降りてくるのも、ヘルメットを外すのも、認識できなかったことだ。音どころか、空気が動いた感じすらなかった。まるで時間が消し飛んでしまったかのよう。しかしライフゲージに時が進んだ様子はなく、至極順当な減り具合である。
「ヴァンパイア…。あなたはララの知り合いか?」
「なんだ、兄ちゃんはお嬢んとこの奴か。浪人なら仲間に誘おうと思ってたのによ。安心しな、俺ら『インテルフェクトル』とモリノ組は共闘関係。俺はリーダーのモントリーヴォだ。名前くらいは聞いたことあんだろ?」
「……いや、ない。」
「何年経っても、本名の知名度っ!!」
首を傾げるオキタを見て、絶叫と共にガニ股で天を仰ぐ男、モントリーヴォ。この男、かつては「南米基地にこの人あり」と言われた名将である。数多くの戦果を挙げた結果、大変名誉な称号を与えられてしまったがゆえ、当時から本名の認知度の低さが悩みの種なのだとか。10年経った今でも、本名を知らない人は多い。
「どうすんだ?俺の血を飲むか?」
「血液は必要ない。助けてくれるのなら、安心してコールドスリープできる場所を提供して欲しい。」
「…なに言ってるか分からねえけど、それなら俺らのアジトに連れてってやる。歩けるか?」
「ありがとう。心から感謝する。
歩けるか?との問いに対する答えは、移動距離次第だ。治療に要する時間を考慮した、残りライフでの活動可能時間は、地球時間で17分44…、43…、42…、41…」
「わかったから、カウントやめろ!歩けねえなら素直にそう言えよ。ったく、変な奴を拾っちまったぜ。」
内側の匂いを、すんと1つ嗅いでから、男はヘルメットを再び装着した。空気の抜けるような音に続いて、フェイスシールドのふちが青白い光を放つ。発光を合図にスーツのあちこちから鳴り始めた回転音が静まるのを見計って、男が両肩のセーフティパーツを外した。ゴトリと鈍い音を立てて、背中からバックアーマーがずり落ちる。無造作に転がる様を、ひっくり返った大きなウミガメの甲羅、と言えばお分かりいただけるだろうか。
「MINA、こいつを載せてオートドライブ。目的地は『ハウス』だ。ルートを先導してくれ。」
『りょうかぁーい。ハウスまで2名様、ごあんないしまぁーす♪お乗りのお客様はしっかり掴まってくださぁーい。
あらぁ、お連れの死にかけメンズったら、可愛い顔してるじゃなぁい♪元気になったら、ちゃんとMINAに紹介してよぉ?』
「うるせえ。おしゃべりは良いからさっさと仕事しろ。」
そう言うとモントリーヴォは、脇腹を抑えてうずくまるオキタに対しバックアーマーの上を2度指差し、両サイドのアームを掴むようジェスチャーを示した。のそりのそりと移動したオキタがアームを掴む。するとバックアーマーはゆっくりながら左右にやや大きく揺れながら振り子のように上昇を始め、地上から15センチほど離れたところで静止した。
「狭いだろうけど、我慢してくれ。」
「ありがとう。あなたのデヴァイスは珍しい。」
「なにがだ?」
「女性タイプで、表現が豊かだ。」
「あ?こいつは女じゃねえよ。オネエだ。おしゃべりオネエ。」
「オネエ?」
「そ、オネエ。細かいことは気にするな。キャラはともかく、MINAの腕は確かだぜ。
さて、バランサーの最適化が終わったら出発だ。到着まで5分ってとこだな。一度浮いちまえば後は揺れねえから、少し横になると良いぜ。」
「ありがとう。そうさせてもらう。」
念のため、と横たわるオキタをバンドで固定したのは言うまでもない。やがて歩行程度のスピードで動き出したバックアーマーは、障害物を巧みに避けながら進む。次第にスピードを上げてゆき、身を隠していた例の岩陰が遠く霞む頃には秒速15メートルを超えた。時速換算で一般道を走る自動車くらい出ているのだが、走って追いかけるモントリーヴォに息切れした様子はなく、むしろ涼しげですらある。
「ところで兄ちゃん、やけにデカいが、ドラキュラの親戚か?」
「…」
返答のないオキタを覗き込んだモントリーヴォは、血を拒んで気絶するヴァンパイアか、と誰に言うでもなく呟いた。
明らかに異質な一行が、のどかなビニャーレス渓谷を風切り駆ける。それなのに、ちょうど昼食らしい疎らな農民たちは皆、親しげに手を振り一行を見送った。
つづく
みんながコロナを警戒する中、インフルエンザに罹る偉業を達成した私です。鼻グイってされると反射的に殴り返したくなる。