地球側が騒々しさを増す中、冷静沈着の権化タニキァは、自らの疑問への「回答」を得ていた。しかしそのことをオキタに伝えるべきか、人類最高レベルの処理能力を持ってしても、未だ思案中である。

 オキタは粗暴だが、無謀ではない。相手戦力が分からないまま奇襲を仕掛ける男なら、とっくの昔に宇宙の藻屑。しかも身体は、まだ環境適応途中だ。結局のところ、オキタのアバターは解決されたはずのバグ、「アバター/エス」を起こしている。PINOギャラクシーネットワークからのロストが原因である。ロスト後しばらくは、デヴァイス内に残ったネットワークの断片を利用していたため影響はなかったが、一刻の状況変化が大きすぎたため、断片を残していた領域は漏れなく上書きされてしまった。加えて現状の変化度合いはオキタの処理能力をとうに超える。果てに、少女の声をきっかけとしてアバター/エスを引き起こした。

 タニキァの得た回答。それは、地球人類が「話す」言語のいくつかと、アバターの鳴き声が一致する、ということ。
 個体差はあるものの、アバターは通常、数種類の鳴き声を持つ。どのアバターも発するのは似た波形の音。このアバターの鳴き声については、本体の感情移入を促す生物らしいデザイン、が開発サイドの公式発表である。現にアバター同士で意思疎通する素振りはなかったから、誰もが気に留めなかった。むろん会話ログとして鳴き声が残るはずもない。しかしタニキァの回答は、データであるアバターがコミュニケーションを行う可能性に至る。意思があるならば、それぞれの鳴き声は、基本的な欲求や感情を示す数種類の単語、と推測される。
 混乱に混乱が重なり、もはやアバターの強制破壊すらできないオキタにこのことを伝えても、更なる混乱を上乗せするだけ。最悪の場合、オキタ自身がオーバーヒートする。伝えるべきか、否か。伝えるならば、今なのか。そもそもなぜ、彼ら地球人類とアバターは近しい言語を話すのか。どちらが言語のルーツなのか。あるいは、全てが偶然の一致にすぎないのか…。オキタへ伝える思案がいつまで経っても定まらないのは、回答を元にした様々な仮説が湧き上がることも一因である。仮説は実に色鮮やかにタニキァの脳を刺激する。後で分析しようとカテゴライズしたそばから、また新たな仮説が生まれ…。それにしても騒がしい、と甘美な時間を音で切り裂く輩に、タニキァは眉をひそめた。

「いいかげんにぃぃぃぃぃ…。」

 

 これは少女の叫び。少女は続けて何かを叫ぶと同時に、両足でアバターの腹を蹴り上げた。体格差ゆえ、少女に抱きつくアバターは膝を折り、腰を屈めていた。少女はその僅かな隙間を利用した。一流のサッカー選手が鋭いセンタリングを上げたときのような音が鳴る。しかし蹴り上げられたアバターはセンタリングどころか、天高く一直線に打ち上がった。腹が吹き飛んだと錯覚するほどの猛烈な衝撃がオキタを襲う。これは、たった一撃で防御障壁を破壊された、ということ。踏まれたミミズのようにのたうち回るオキタを指差し、小柄な女性が首を傾げる。



 

「あちらの方、急にどうしたんでしょう?いきなりお腹が痛くなった?」


「ヴィーストとの感覚共有かえ…、いと珍し。あれでは争ひに向かぬ。」

 



 一向に落ちてくる気配のないアバターを、眩しそうに見上げる半人半鳥の少女。さては…はなはだ軽し、と艶っぽく眼を光らせ、爆風を纏い天空へと舞い上がった。アバターの離脱距離は限界間近。腹以外にも、全身に無数の痛々しいノイズを帯びるアバターは、少女の目にどう映る。

「興あるまれびとじゃ。」

 

 打ち上がる速度と並走して興味深げにノイズを覗き込む。つま先でちょんと触れた箇所がブロックノイズと共に砕け散ると、嬉々として少女はあちこちを何度も突いてみせた。せめて一撃で消してくれれば楽なものを、弄ばれる側はたまったものではない。アバターの身体のどこかが砕け散るたび、オキタの身体の同じ部位に激痛が走る。少女は意図していないだろうが、この行為は拷問に等しい。いよいよオキタの目が暗む。


 少女の興味がアバターの環状突起に向いた。やめてくれ!とデヴァイス越しにどれだけ叫んでも、オキタの声が地球人類へ届くことはない。離脱距離の限界が先か、少女のつま先が先か…。

 



「あなや!」

 



 結果は、どちらも同時だった。つま先が正面の突起に触れたのが、ちょうど限界のとき。拷問からの解放に安堵するよりも早く、オキタの左目に激痛が走ったのは不幸としか言いようがない。左目を押さえた格好のままうつ伏せに倒れ込み、オキタはついに強制シャットダウンした。忽然と消えるアバターと連動して倒れる本体。摩訶不思議な現象を目の当たりにした地球の4人は、この時のことを後にこう語っている。


 倒れた後は寄り添っているものの、終始落ち着き払い、男が苦しもうが、倒れようが、ただ見ているだけの女性が、一番不気味だった、と。


 

「また消えた…。大鼠、見たか?」
「ああ、見てた。今のはぶっ壊れたんじゃない。確かに消えた。まるっきり報告通りだね。」

 アバターの消滅を観察した2人の眼光は鋭かった。ふざけていてもさすがは年長者である。それにしても弱いヌメヌメだ、と笑う大男に対して、年増の女性は片笑いで応える。

「私ら生身の人間にとっちゃ、どっちも強いさ。あのヌメヌメを弱いって言うあんたが苦戦してんだから…、神はバケモンだね。」

 神は卑怯で狡猾なだけ。答えたわけではなく、ただそう呟いた大男、ドラキュラはこれまでの戦いを振り返って思う。
 正々堂々と戦えれば、例え上級神族であろうと容易く討ち取る自信が、この男にはある。しかし人類最多戦闘記録を持つドラキュラですら、最高神はもちろん、上級神にすら遭遇したことはなく、いつも有象無象の下級神族を相手にするばかり。神の座と呼ばれる聖域の場所さえ分かれば、膠着状態にある戦況は一変する。長い長い神との戦いの中で、神の座にたどり着いたのは1人だけ。10年前、神の再臨を阻止した「あの人」、ただ1人。

「ところで、ヌメヌメは本当に知らない奴なのかい?サイズがあんたっぽいし、親戚とか?実は隠し子?」
「知らん。妻と娘に誓って言おう。初めて見る!」

 隠し子、が気に障ったのか、男は言い出すよりも前に、赤い竜へと姿を変えていた。赤い竜は炎に乗せて言葉を吐き、頭部から臀部にかけて一列に生える、5対10本の怒れる羊の角をカチカチと鳴らす。男の変化は、少女が見せた半人半鳥の変化とは違い、人らしさを全く残していない。ただでさえ大きかった身体はさらに大きくなり、飛膜のある前脚を着く四つ足の状態でも頭の高さは変わらず。後脚だけで立ったなら、倍は大きく感じるだろう。身体より長い不機嫌な尾が、止むことなく床をバシバシと叩く。

「ふーん。変身したついでだ、そろそろドーニャ(ボス)のところに戻ったらどうだい?
 あっちの男は寝ちまったから、あんたはいなくても大丈夫さ。」
「小娘なら心配無用だろう。
 あれの防御力と具現化能力はすでに我を超える。小鼠の敏捷さと大鼠の膂力を受け継いでおるだろうから、今は心許ないが足りない要素の伸び代も十分。戦闘経験を積めば、ゆくゆくは我と並ぶやも知れん。
 滅多なことでは破壊されぬし、破壊されてもいずれは『再生』する。どうあっても無事に戻るだろうて。」
「そりゃあ無事に決まってるだろうけど、そう言う意味じゃなくてさ。

 ほら…、見た目はどうあれ、ドーニャはまだ子供だろう?子供に指揮が務まるのかなー?って。

 やっぱり指揮官は『超優秀』じゃないと…、ねえ?」

 大鼠は心得たものである。床を叩いていた赤い竜の尾がピタリと止まる。

 ボボフンと火を吹き、宙を見上げた竜からは見えない角度で、ニンマリとほくそ笑む年増の大鼠、レメディオス。

 

「ドラキュラは疲れてるだろうし、今回はコレオスに頼もうかな……」

 

 レメディオスが天空から舞い戻ったばかりの少女、コレオスの元へ歩み出そうとするのを長い尾で制し、竜の姿をしたドラキュラは、よく寝るあれでは力不足だ、と自ら指揮官を買って出た。ドラキュラからは見えないが、レメディオスの表情はしてやったり。振り返るまでもなく、突如巻き起こった叩きつけるような突風は、竜が飛び立った証。

 

「いってらっしゃーい!頼んだよー。気をつけてねー!」
 

 一応手を振るが、ドラキュラはすでに遥か雲の上。数刻後には、火を吐きながら下級神族たち相手に大立ち回りしているだろう。

 

 

「ママ…?」
「まだ言うかえ?ヌメヌメは知らんと言うておろうが!次はハラワタ食うてくれる!」


 

 突然の「ママ」に、神速の反応を示したコレオスだったが、声のした方を向いた途端、あわあわ、と鬼の形相を袖で隠した。コレオスはもう人の姿に戻っている。

 一同の視線の先には、赤いリボンを付けたミイラのぬいぐるみを大事そうに抱える、幼女の姿が。ワナワナと肩を震わせ、サファイア色の大きな瞳に、今にもこぼれ落ちそうな涙がにじむ。


 

「えぐ…、うっく…。
 なんでコレちゃんがそんなにおこるの…。」
「違う!そなたに怒ったのではない!これはじゃな!ヌメヌメのスケスケがスリスリとバキバキで…」

 

 身振り手振り、全身で誤解を訴えるコレオスを押し除け、小柄な女性、ベッカー・コトミが泣き出す寸前の幼女の前で膝を折る。幼女とコトミは、瞳の色以外、誰が見ても瓜二つである。


「ヒカリ!どうしたの?

 危ないから来ちゃダメって言ったでしょ?」
「えっぐ…ママ、あのね。じいがお外に出たいって…。」
「まみぃ爺ちゃんが!?なんで?」
「おほん。コトミ様、理由はこの爺が説明いたしましょう。
 その前に、ヒカリ様。ここまでお連れいただきありがとうございました。梯子の登り降りは苦手なので助かりました。コレオスには爺からもキツく申しておきますので、許してやってください。」


 

 幼女、ヒカリの小さな腕に抱かれるぬいぐるみが、流暢に話し始めた。赤いリボンを付けているのに、ぬいぐるみの一人称は「爺」のようである。このとき、終始無表情だったタニキァの目が、僅かに見開いていたのをレメディオスは見逃さなかった。

 

「えー、前置きが長くなりましたが、本題に入らせていただきます。
 今は消えてしまいましたが、爺は先ほどまで、強烈な『クソビッチなサムバディ』の脳波をキャッチしておりました。あの宇宙船で『姫様』がお戻りになられたと確信し、馳せ参じた次第でございます。
 して、姫様はいまどちらに?」
「…いや。いないけど?」

 

 ぬいぐるみのいう「姫様」がいない証明に、コトミは自身の背後を示す。先には、腕組みをして立つレメディオス、まだ言い訳を続けるコレオス、そして見慣れない大女、タニキァと、その大女の膝枕で横たわる、やはり見慣れぬ大男、オキタがいるだけ。


「そんなはずは!
 …ならいったい、爺はどなたの脳波を?」
「消えたってんなら、あそこで寝てるヌメヌメ本体の脳波じゃないかい?」
「ヌメヌメ!?」

 

 レメディオスに言われ、ヒカリの腕からするりと降りたぬいぐるみは、ヨタヨタとバランスを取りながら、横たわる大男へと歩を進める。2本脚で歩いているのだが、その姿はまるで達磨が進んでいるよう。しかしながら、「推定宇宙人」に世界で最も接近したぬいぐるみ、であることは間違いない。

「ふむ…、なるほど。途方もなく大きいですが、これは『人』ですな。この方々はあの宇宙船で来られたのでございますか?」
「そだよ。
 男の人はヌメヌメのヴィーストを出してたから、ミュータントのヴァンパイアだと思う。光ってないし、巫女の加護は対象外っぽいね。」


 

 ぬいぐるみの問いに答えながら、コトミは慣れた手つきでヒカリを抱き上げる。それから世界一勇敢なぬいぐるみは、推定宇宙人のオキタとタニキァに臆することなく触れた。触れられた瞬間、無表情なタニキァが鼻をひくつかせたのは面白い。

 コトミの言うヴァンパイアは、いわゆる伝説、伝承に語られる存在とは異なり、とある神族由来の微生物「Vマイクロム」と寄生関係を結んだ変異人類のことを指す。むろんアバターとは別物である。変身を主とする超能力と各種超感覚を持ち、伝承などに語られる通り、総じて人類より身体能力に優れる。現在は異なるが、人類の血液を栄養源としていた点も伝承などに伝わる通り。ヴァンパイアをごく簡単に説明するならば、神との争いの「中心的な人類種」となるだろう。紆余曲折を経て、今は絶滅寸前の人類種だ。

 

「唐突に失礼いたします。
 今までお話ししたことはございませんが、この爺には、謎のバックアップファイルがございます。」

 

 だらりと伸びたオキタの右腕に遠慮なく腰掛けたぬいぐるみは、悪びれた風もなく言葉を続ける。


「どうやらそのファイルは、過去に経験した『未来の記憶』なのでございます。」
「どういうことだい?」
「言葉通り、未来でございます。遥か先の未来でございます。
 姫様と背の高い殿方、それと3人の獣たちと一緒に、今とは比べ物にならないほど自然豊かな地球でRPG気分を満喫した記憶でございます。クソババアと化した無駄にエロい未来の姫様とエンカウトしたり…、とても楽しい思い出でございます。」

 

 ぬいぐるみが語る思い出とは、何とも趣き深い。色々つっこみたい地球一同に、つっこむ間を与えることなく、ぬいぐるみの語りは続く。

 

「姫様は未来で恋をなさいました。お相手は背の高い殿方でございます。姫様ご自身はお気づきではなかったでしょう。

 しかし!爺の目はごまかせませんっ!

 あれは恋と言うより、運命でございますな。無駄にエロい姫様が言うには、恋に落ちる定め、だったのでございます。そしてその恋は実り、ララ様がお生まれになりました。

 あ、いや、姫様と殿方が未来でエロいことをしまくった、と言うわけではなく、そう言うことらしいのでございます。しかし未来?ではございませんな。未来での過去のララ様は、現世のララ様と違い、普通の人でした。普通に生き、普通にお亡くなりになったそうです。

 意味が分かりませんな。はい、爺にも分かりません。そう言うことらしいので。

 何を言いたいかと申しますと、こちらでくたばっておられる大きな殿方は、爺の知る未来と何か関係があるのではないでしょうか?

 そういうことでございますので、初対面で大変失礼ながら…。」

 

 そう言って、すっくと立ち上がったぬいぐるみは、モーターが高速回転する音を鳴らし、目にも止まらぬスピードで、ポフポフの右腕をオキタの首に深々と突き刺した。

 

 

つづく…

 

 

終わりそうにありません。