胸を強く引かれ、少女は目を覚ました。
一面の暗闇で天地は分からずも、自分が五体満足で仰向けに横たわっているのは確かだった。
上から、ぼうっと青白く光る鎖が1本、胸に垂れ下がる。彼女自身が心臓あたりに圧を感じているから、鎖は身体から上に伸びる、と言うべきかも知れない。始点終点、いずれの端かはもちろん分からないが、目覚めをもたらした鎖に間違いない。
「これが…死後の世界…?」
真っ先に死後の世界が出てきたのは、母親からよく話を聞かされたせいだろう。あちらの世界で未来の母親や「父親」に会った話は、おやすみ前の話なのに眠れなくなるほどワクワクする冒険譚だった。
どこかの世界線にいる父親を想像したとき、鎖が揺れたような気がして鎖に手を伸ばした。引っ張ってみても胸を引き上げる力が幾分弱まるだけで、ほぼ微動だにしなかった。
どこへ、あるいは何とつながっているのか、さっぱり見当もつかないが、青白い光は延々と上に連なっており、向こうの端はかなり遠い。
どれくらい鎖を見つめていただろうか。ふと彼女は自分の中にふつふつと煮えたぎる感情が渦巻いているのに気づいた。
神への怒り。神は母や地球の運命を弄び、近づいた者を何の通告もなく無慈悲に排除しようとした。これを暴挙と言わずして何と呼ぼう。死してなお治まらないのだから、神への怒りは魂に刻み込まれた記憶だ。一発殴るまで死にきれない。鎖を握る手に力がこもる。
母親の話が本当ならば、彼女は死後の世界から何度も生還している。ここから出る方法があるはず、とララは立ち上がった。
立ち上がった、には語弊がある。
立とうと思った途端、鎖のむかう方向が上から前に変わった。よくよく考えてみると鎖は動いておらず、気づかないうちに自分が90度転換したのかも知れない。それなのに「足下」には蝋燭のものらしい炎が揺れているのだから、立ったとしておこう。
横たわっている時は完全な暗闇だった。か細く揺れる蝋燭は立った後に灯ったことになる。炎は数歩先まで、左右に点々と1つずつ。ちょうど人が通れるくらいの幅を作っていて、まるで鎖と並行するガイドラインのよう…。
招かれた方へ1歩踏み出すと「正解だ」と言わんばかりに炎のラインが倍に伸びた。数歩進むとラインはさらに伸び、感覚にして数百メートル先に大きな円を描いて「終点」らしき場所を示した。
「なんか変な感じだな…。」
歩いている感覚がまるでないのに前へ進む。無重力のようでいて、服や髪が示すのは重力下の挙動。ダメ元でリアライズしてみたハルバートは、出した途端、猛烈な勢いで上へ引っ張られ、手を離すと一直線に昇って行った。重力が捻じれているとしか言いようがない。
普通ならばこのまま進んで良いものか悩むところだが、「死んでるんだから不思議で当然!」と、ララは深く考えるのを止め、ひたすらに炎の終点を目指した。
「ん?あれは確か…」
少し先の終点にいたのはオキタのアバターだった。見間違いでなければ下腹部あたりから生える鎖を掴み、円の中心で何やらぶつぶつと考え込んでいる様子。
アバターの「あの辺」とつながってしまったのかと思い一瞬ドキリとしたが、すぐにアバターの背後から再び青白い光が続くのが見え、ララはホッとため息をついた。
「あんたも死んだの?オキタさんや他のみんなは?」
臆病なアバターを驚かさないよう、声を掛けてから駆け寄るララ。もちろん走っている感覚はないが少しだけ早く進む。
アバターから返ってきたのは予想外の反応だった。
「元気になったのか!よかった!」
気を遣ったララの肩が跳ね上がる。アバターのものと思われる耳を塞ぎたくなるしゃがれ声が、背後から大音量で迫ってきたからだ。あまりの驚きに転びそうになり、両手を足下へ伸ばした。すると手は足の位置よりも下に沈み込み、そのまま身体も手に引きずられるように沈んでいった。思わず目を閉じ、息を止める。両手で暗中をまさぐるが特に何もないようだ。恐る恐る目を開ける。
そこは転ぶ前の位置だった。1つ違うのは、眼下に自分の腰から下がまだ残っていること。自分の後ろ姿をまじまじと見て「このドレス、意外と下半身太く見えるな」と、振り返ったところに下半身はなく、視線はアバターと正対する元の位置に戻っていた。全ては捻れの影響だろう。
「なにこれ!気持ち悪っ!てか、あんた誰!?」
全身に浮き出た鳥肌を振り払う勢いでララが叫ぶ。本人は大声のつもりだったのだが、声が上に突き抜けてしまったせいで大変「お淑やか」な叫びになった。と思った矢先、先ほどの自分の大声が上から降ってくるのだからたまったものではない。何となく「下から来るだろう」と足下を警戒していたララは今回も虚をつかれてしまった。
「もうやだ。早く脱出したい!」
半泣きのララに対し、アバターは「まだ出ない方が良い」と、声だけを残して消えた。
青白い光は依然として遥か前方へ伸びるが、ちょうどアバターがいた部分だけ途切れているよう。
「どういう意味?あんたは脱出方法を知ってんの?
ちょっと?ねえ!どこいったの?知ってるなら教えてよ!」
いつのまにか周囲の炎も消えていた。鎖の放つ青白い光を頼りに完全な暗闇をじりじりと進む。この暗闇においては、目が慣れる、ということがない。試しにライトをリアライズしてみたものの全く照らす気配はなく、逆に周囲の闇が増したためすぐに上へ捨てた。
「なんなのもう!」
「焦る気持ちは分かるが、まだ再生して間もない。いま出ても足手まといだ。」
「…さいせい?
私…、死んだんじゃないの?」
アバターの声はどこからともなくやってくる。音量も方角もまちまち。いうなれば暗闇全体と会話しているような感覚だ。
「君は死んでない。
ドラさんもタニも、そして君の仲間の多くも無事だ。ドラさんと君のおかげで救うことができた。」
唐突に告げられた仲間の無事。目頭が熱くなった。中でも育ての親であるドラキュラの生存はララにとって格別の意味を持つ。けれども今は嬉し涙をこぼすまいと、ララは上を向く。大きな猫目の縁から上へと昇る感情の雫は、暗闇の中にあっても少しだけ輝いて見えた。
「たとえ僅かでもこの闇を照らすなんて、やはり君はすごい。
先生はオレが最強だって言ってたけど、正直勝てる気がしないよ。」
暗闇が場違いに笑った。いつからかオキタがするようになった「とぼけ顔」がララの脳裏に浮かび、ほどなくして声の主の確信に変わる。
ついさっきまで全滅寸前だったとは思えない余裕に、涙を拭ったララは「オキタさん、みんなはどこ?」と至極当然の質問を闇へ投げた。
「みんなは、外で神の軍勢と戦っている。と言っても、倒してるのはドラさんと君の仲間だけどな。」
「そと…??」
「ここはレヴェナントが支配する影の世界。」
ドラキュラを船外に送ったのが最後の転送装置だった。窮地のオキタはレヴェナントの機転により九死に一生を得る。
敵の放ったのは、飲み込んだ全てを消滅させる技。かつて地上に降り注いだ「神の光」と同じものだ。もっとも「神の光」は溜めずに放たれたいわば簡易版で、溜めずとも地表の物体を消滅させるだけの威力がある。
一方で今回は、十分な溜めを経て放たれたのだから、その威力を既存の概念に当てはめることは難しい。また光のようで光にあらず。一説によると、あらゆる色彩をかき消し、過ぎ去った後は神だけが残るのだという。
にも関わらず飲み込まれる寸前、ほんの一瞬だけ「薄い影のようなもの」がオキタの背後に浮かんだ。レヴェナントは瞬機を逃さず、主人を連れて影の中へダイブした…。
ドラキュラはこうも言った。かき消すのは無理だが時間は稼げる、と。これは気休めではなく、幾多の戦闘経験を基づいた発言だった。
ドラキュラは極大の攻撃に対し、渾身のブレスで対抗した。あわよくば肥大する前に相殺する狙いもあっただろうが、結果は今に至る。しかし攻撃が終わるまで吹き続けたブレスは、自身を守る盾となり、彼が言うところの「時間」をもたらした。
局所的だったとはいえ、一片の混じり気もない白に拮抗するブレスは、消滅せず不純物となって拡散。時が経つほど白の純粋さは損なわれていった。不純物の混入により、威力のみならず特性や速度、その他の様々な要素が低下したのは言うまでもない。不純物は同時に、攻撃効果範囲内において「薄い影のようなもの」の投影を引き起こした。相手の攻撃は光にあらず、しかしドラキュラの放ったブレスは広義で光に分類される。
また相手がアダモレアルの防御力を見誤ったことも幸いした。アダモレアル消滅に要した時間分だけ不純物は増える。言わずもがなオキタの貼った罠が功を奏した格好だ。
オキタが影の世界に入り込んだ瞬間から、先行していたレヴェナントは消え、代わりにオキタ自身がレヴェナントになった。高度感覚共有とは明確に異なる変化。かといって一体化でもない。レヴェナントの気配は「すぐ近く」にある。
影の世界は摩訶不思議な空間。何人たりともレヴェナントの許可なく入ることはできず、許可を得て入ったとしても、ララが体験している通り。影の世界において、自由を得るのはレヴェナントのみ。
つまりは主人に自由を与えるため、レヴェナントが憑依、言い換えると「アーマー化」した、が変化の真相である。
「じゃあ、鎖を掴んでぶつぶつ言ってたのは…オキタさん?」
「ああ、オレだ。気づいたら鎖に貫かれてたから驚いてしまって。少し前から糸くずみたいのがオレの周りをチラついてたんだが、まさか鎖になるとはね…。
突き刺さってる割に不思議と痛くないな。ララさんは痛むのか?」
「痛くないよ。引っ張られる感じはするけど。見えなくなった今も刺さってるの?」
「ああ。今は戦況を見るため闇に紛れてるからオレの姿は見えないだろうが、オレ自身は『刺さってる』と自覚してるよ。
そういえば最初に気づいたとき、鎖はもっと白っぽくて細かった。少ししたら今の色と太さになったんだ。」
「ふーん…、変なの。
ところでさ、オキタさんとおじさんの話は分かったけど、私やみんなはどうやって助けたの?」
「オレと同じさ。この世界に避難させたんだ。影ができてたからな。」
影と言われ、ララは反射的に視線を落とした。もちろん暗闇の中に影はないし、影を思わせる色彩の変化もない。よくよく見れば身体にも色彩の変化が一切ない。肌も服もきわめて平面的。まるでベタ塗りされた児童絵画のよう。
ゾワゾワと再び浮き上がったはずの鳥肌も、ベタ塗り肌には1つも見つけられなかった。
「…ごめん。意味わかんない。あー、えーと、言葉の意味は分かるんだけど、オキタさん近くにいなかったよね?
…あの攻撃の中…、探してる時間あった…?」
暗闇の中、問いもそぞろにララはじっと身構える。
凶悪な攻撃が到達してから最初に崩壊するまでの間、時間と呼べる猶予はなかった。奇跡の再生を果たした後も同様だ。
アクションモードが発動した、と当たり前の答えが返ってくると予測できても、現状が罠である可能性をララは心から否定できないでいる。
なにせオキタのアバターの名はレヴェナント。奇しくもそれは、10年前に自分を苦しめたヴァンパイアの名と同じ。
「時が止まるんだ…。この世界にいる間、オレは外の時間を自由に止めることができる。ただ…」
「まさかっ!時間に干渉できる能力なんて!」
ララに遮られ、オキタの言いかけた「何か」は闇の中。
「信じてくれ、本当だ!だから君たちを救えた!」
「だとしても!探す相手は外にいるんだから時間なんて関係ないじゃん!」
「…実際に見てもらった方が良いな。
周りをよく見てくれ。あちこちに縫い目が見えるだろ?」
一面の闇に違いはものの、言われて目を凝らせば、そこら中にレヴェナントの口に似た乱雑な筋がふわふわと漂う。そのうちの1つがララの顔のすぐ目の前を通り過ぎ、やがて闇に紛れて見えなくなった。
「…よく分かわないけど、それっぽいのは何となく…」
「その縫い目は外の世界に発生してる影、いわば出入口だ。レヴェナントの感覚器なら何の影かを識別できる。レヴェナントにしか開閉できないから当然だな。
それと、この世界にある影は常に動いていて、外の世界の位置関係は反映されない。だから一緒にいるタニとJPの影は…、ここと…、ここにある。」
影の場所を示す声は、遥か後ろの下深くと、少し離れた左奥から聞こえたように感じる。
なるほど「一緒」とは言い難い距離だ。しかしララの気がかりは、かなり離れている当該2点をどちらも「ここ」と表現したこと。発言が全て事実ならば、この世界全体がレヴェナントの可能性すら出てくる。
「今からドラさんの影を開ける。さっきその辺を漂っていたから気をつけてくれ。
起こる現象を見ればオレが言ってることが理解できると思う。」
2、3歩先、右斜め上の暗闇に、ぼんやりと一筋の輪郭が浮かんだ。縦一文字に光ったとも形容できるが、ララから伸びる鎖が放つ光と比べてずいぶん弱い。周囲が暗いせいで光ったように見えるだけだろう。ほどなくして輪郭は、ひしゃげたS字に形を変えた。
輪郭の中心、すなわち隙間から、するりと、まるで紙のように出てきたのは、吹き出す直前の「本気色のブレス」を口一杯に充満させた赤い竜の頭だった!
はめられた!と咄嗟に防御姿勢を取ったものの、ララ自慢の「女神の祝福」は銀河最強クラスの本気に何秒耐えられるのか。焼け石にかけた水の方がまだ耐えるかも知れない。ドラキュラのブレス「地獄の業火」は、この世の全てを焼き尽くす。
そして、決壊したブレスは爆音を鳴らし、煉獄の始まりを告げた…
つづく
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お風呂入ってると毎日ドアのとこに京太郎が来るんだけど
開けたときの「しーぬー」みたいな声、めちゃくそかわいい!
あ、京太郎ってのは猫です。
ちっさいときのお風呂大好きだったんすけどねぇ。