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遠藤様からの弊宅訪問キリ番34000リクエストの続きをお届けです。
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■ 恋をするなら ◇14 ■
社の笑い声と、社ににじり寄るキョーコの声が御園井組ビル内で高らかに響き、そんな二人のやり取りをぬるい笑顔で見つめていた組員たちを現実に引き戻すべく、予定していた訪問者が現れた。
蓮だった。
「 どうぞ 」
「 どうも 」
約束の時間より少し前に蓮が呼び鈴を鳴らすと、銃撃にも十分耐え得る重厚な鉄のドアが開かれた。顔を見せた石橋たちに軽く頭を下げた蓮は、導かれて短い廊下を進む。
蓮を連れ戻って来た石橋光が組事務所のドアを開けると、ペレ・フラウに身を沈めていた社が蓮に向かって陽気に右手を上げた。
蓮が来ることを知らされていなかったキョーコは、蓮を見て小さく喉を詰まらせた。
キョーコの口から洩れたちいさな「あ」
親しみがこもっていたそれが、社の耳にはちゃんと聞こえた。
事務所には組員全員が雁首を揃えていた。
組員一人一人の顔を見ればそれほどでもない気がするが、ここがヤクザの組事務所であると意識をすれば大抵の人は威圧を覚え、得も言われぬいかつい雰囲気を感じ取るのではないだろうか。
しかし蓮はそうではなかったようだ。
彼からは緊張や萎縮などは一切感じられなかった。
むしろ、ガタイがいいせいだろうか。
落ち着いた色合いのスーツを着こなしている蓮の様はまるでビジネスマンのようにも見えるけれど、それ以上に威風堂々としている様が、よほど光や雄生、慎一などよりヤクザらしいヤクザに見える。
蓮がそういう態度を貫けるのは、もしかしたら最初に知り合った人物が社さんだったからだろうか。
ふとキョーコはそう思った。
振り返ってみれば不思議な縁だと思う。
社が蓮に助けられ、それが元でキョーコも蓮に助けられることになった。いや、この場合は助けられたとはちょっと違うかもしれないけれど。
「 悪かったな、蓮。わざわざ来てもらっちゃって 」
「 いえ、問題ないですよ。こんな格好で来ましたけど、今は仕事をしていませんしね 」
「 え? 」
「 ん? 」
「 嘘ですよね?仕事、していますよね、敦賀さんは 」
「 していないよ。いまは無職 」
「 え?でも、だって 」
「 辞めちゃったんだよ、実は。最上さんを預かる事になったときに 」
「 えええっっ?! 」
「 本当に。長期戦になるだろうと思っていたし、そうなったら仕事が足かせになってしまうことは明白だったからね。そう判断して退職した。けど、まさかこんなに早くコトが終わるとはね。こうなると分かっていたら有休を使えば良かったかな。そこだけは完全に予想外だった 」
「 だから言っておいただろ。早めに片を付けるつもりだと 」
「 聞いていましたけど、具体的な日数は聞いていませんでしたからね 」
「 あ、そうだったか?それは悪かったな。まあでも、お前ならすぐに社会復帰できるだろ 」
「 そういう評価を頂けるなんて嬉しいです 」
「 もし、万が一のことがあったらすぐ俺に言って来てくれ。君が俺たちに力を貸してくれたように、俺もいつだって力になるから 」
「 ありがとうございます 」
「 ところで、今日来てもらったのは報酬の件だったんだけど。本当にそれでいいのか? 」
「 ええ。最初にお話したようにドル建てでお願いします 」
「 ああ、了解した。豊川さん 」
「 はい、用意してあります。こちらに 」
「 ありがとう。これが通帳だ。439,000ドル入ってる 」
「 え。それだと約束の金額よりちょっと多くないですか? 」
「 まぁな。切りよく、気前よくしておいた。遠慮せず持っていけ 」
「 そうですか。それはありがとうございます 」
「 それにしても、なんでドルなんだ? 」
「 海外旅行を・・・。しばらくしようかと思いまして 」
「 海外旅行?仕事もせずにか 」
「 本当は、一生懸命旅費を貯めていた最中だったんですよ。俺の両親の夢が、二人で世界一周旅行でしたので 」
「 ・・・っっ 」
「 なんてね。実を言うと、旅費を貯めていたなんていうのは言い訳なんですよ。仕事なんてやろうと思えばどこででも出来ましたからね。けれどなかなか思い切ることが出来なくて。ずっときっかけを欲していたんです、俺。だから、今回こんないい機会に恵まれて良かったと思っているんです。社さん、本当にありがとうございました 」
「 そうか 」
「 はい 」
黙ってそのやり取りを見ていたキョーコの脳裏に、あの夜の光景が甦った。
京都の蓮の家で、蓮の両親の写真を前にコンビニで買いこんできたご飯を二人で一緒に食べた夜。
思えばなんの他愛もない話からずいぶん深い話まで、とにかく蓮とはいろんな話をしたのだ。
蓮の両親が亡くなってしまったのは、事故が原因だったこと。
それが偶然にもキョーコの母親が亡くなったのと同じ頃だったことを思いがけず知る事になった。
身寄りがなくなってしまった蓮は、その後両親の友人である宝田さんからの申し出により、宝田さんの元に身を寄せ、援助を受けながら高校を卒業。
だからこそ、大学には進学せずに独り立ちを決意した彼は、けれど宝田さんの会社に就職して仕事で恩を返しているのだということをキョーコは聞いていたのだ。
だからこそ驚いた。
まさかあのときには仕事を辞めていたなんて。
でもここまで聞いて今はそうかと納得している。
きっと彼はちゃんと言ったのだろう。
両親の夢である海外旅行をしたい、と。そのために申し訳ないけど仕事をやめさせてくれと。
宝田さんはそれを了承してくれたのだろう。
いいな、とキョーコは思った。
同時に凄いとも思ったし、羨ましいとも思った。
そんな話、自分は母としたことが無かった。なぜなら今よりずっと子供だったから。
あの頃、母は何を夢見ていたのだろう。
どんな未来を想像していたのだろう。
そんなことさえ自分は何も知らないから。母の想いを汲むことも、代わりに夢を叶えてあげることも自分には出来ないのだ。
「 それじゃあ俺はこれで 」
「 ああ、本当に助かった。ありがとうな 」
「 俺の方こそ、本当にありがとうございました 」
通帳を受け取った蓮が腰を上げると社もまた腰を上げた。
一礼した蓮の背中を社がポンと軽く叩く。
石橋雄生が無言のまま事務所のドアを開けると、廊下に吸い込まれるように去ってゆこうとする蓮の背中をキョーコは咄嗟に追いかけた。
「 敦賀さん、私、そこまで見送ります 」
「 そう?ありがとう 」
「 どういたしまして 」
何故かはわからないけど、彼の背中に縋りつきたい気分だった。
振り向いた蓮の顔は穏やかそのもので、出会って間もなく、自分を助けるために殴る蹴るの暴行をしていたあの時の彼の顔とは全く違う。
そうだ、違う顔と言えば
京都観光で自分が着物を着たときも、彼は全然違う表情をしていたっけ。
色んな男性に話しかけられたのなんて人生初だったけれど、そのたびに敦賀さんが少しだけ不機嫌そうにしていたのが、本当はちょっとだけ嬉しかった。
まるでヤキモチ妬かれているみたいで。
「 気をつけて行って来てくださいね 」
「 うん 」
「 ・・・いいな、敦賀さん 」
それは自然に口から洩れた言葉。
小首を傾げた蓮の優し気なまなざしを見て、ただ羨ましくキョーコは思った。
ご両親のために出来ることがある蓮のことが、心の底から羨ましい。
「 ご両親の夢を叶える世界一周なんて。ほんとうに素敵だと思いますから。いいな 」
「 ・・・・・・・ 」
このとき、もしかしたら蓮には
キョーコが抱いた羨望が分かったのかもしれない。
視線を伏せて、自分の手元を見ているキョーコの姿は、あの日の夜に何度も見た光景と重なる。
自分の母が亡くなって、訳も分からず社と暮らすことになって、戸惑いに明け暮れながら寂しさに打ちひしがれたという彼女の幼き日の告白はとても痛々しいものだった。
どうやら
彼女は心細さを感じるとそういう振る舞いになるらしい。
自分と似たような境遇であるにもかかわらず、自分だけが両親の願いをかなえられることを彼女は寂しく感じたのかもしれないと思った。
自分には何もないと思って。そんなことないのに。
「 だったら君、俺と来る? 」
「 ・・・え? 」
「 俺と一緒に世界一周。する? 」
「 ・・・っっっ?! 」
突如キョーコの心臓が高鳴った。
まさかそんな誘いを受けるとは思ってもみなかったから。
「 俺の両親の夢は二人で世界一周旅行をする、なんだよね。だから。俺一人より二人の方がありがたいかも 」
「 え、そ・・・・・え・・・っと 」
キョーコの双眸がキラキラと輝いた。
瞬時にそんなシーンが思い浮かんだ。
蓮と一緒に世界旅行。それはなんて楽しそうなんだろう。
たった二日間だったけれど、蓮との京都旅行は思いのほか楽しかった。
何より
『 一人より二人の方が 』
この言葉がキョーコの心を揺さぶっている。
社がいた自分とは違い、彼は一人で悲しみを乗り越えて来たのだ。そのたびにきっと、なぜ自分だけが・・と彼は思ったことだろう。
なぜなら、自分がその立場だったら絶対そう思ったから。
あの切ない時間を一人で乗り越えて来たのだろう蓮の姿を想像すると、キョーコは息苦しさを覚える。どうしようもないもどかしさを覚える。だからだろうか、こう思ってしまうのだ。
この人のために、自分が出来ることがあるならしてあげたい、と。
それに蓮ではないけれど
旅行なら絶対に一人よりは二人の方が何倍も楽しいに違いないし。
「 くす。・・・じゃあね、最上さん 」
「 え・・・・・っっ 」
けれど蓮は、キョーコの返事を待つことはせず手を上げて行ってしまった。
正直キョーコはがっかりした。
なあんだ、と思った。
あれはタダの社交辞令だったのか。
彼は本気で自分と旅行に行きたいなんてこれっぽっちも思っていなかったのだ。
改めて考えればそれもそうかと思う。
世界一周旅行なんて、その費用を自分は捻出することが出来ないのだから。
そのやりとの一部始終を社はちゃんと見ていた。
いつの間にキョーコの後ろにいたのか。肩を落としたキョーコが残念そうなため息をつきながら踵を返した瞬間、社は勢いよくキョーコを壁ドンに追い込んだ。とても激しく。
「 キョーコちゃん! 」
「 はうっ?!なんだ、社さんじゃないの。なんなの、もういきなり!!びっくりするじゃないの 」
「 だよね、びっくりするよね 」
「 当たり前デショ。振り向いたら急に壁ドンしてくるんだもん、誰だって驚くわよ 」
「 そう、驚くだけね。つまり、そういうことだよね、キョーコちゃん? 」
「 なに?どういうこと? 」
「 キョーコちゃんは恋に恋しちゃっていたって事 」
「 はぁぁあああ? 」
「 さっき蓮の言葉にときめいていたでしょ。言っとくけど、誤魔化したり隠そうとしたりしても無駄だよ?それでキョーコちゃんは、いま俺にこんな事をされているのにドキッともしなかった。そうだよね? 」
「 ・・・っっ 」
「 これでもういい加減、分かったんじゃないの?恋ってどういうものか 」
言われてキョーコの鼓動が高鳴った。
もしかしたらそうなのかな、と思った。
大好きな社さんにこんな事をされているのにこれっぽっちもトキメけないのは、そういうことかも知れないな、と。
⇒15 へ続く
次がラストの予定です。
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