ミケ様
飲み過ぎて落ち込んだり。
たまにはいいこともあって気分よかったり。
浮いたり沈んだりの、にゃんこ先生です。
お元気ですか。
☆
ここんとこずっと、「バリアントの流れ」の話をしています。「バリアントの流れ」はある大成卦の爻が下から順番に陰陽反転してしていく流れです。
この流れには一度に変じるのは爻ひとつだけという前提があります。爻は下から順番に変じていきます。
ところで、伝統的な筮法には
(1) 略筮法
(2) 中筮法
(3) 本筮法
があって、もっとも正式なのは(3)だけど、易システムでは(1)を基本としています。
なにがちがうのか。
筮法(占い方)がちがうのはもちろんですが、(1)では変爻の数がひとつだけなのに対し、(2)(3)は複数の変爻がでる可能性があります。
というより、変爻は複数になることの方が多い。
☆
易システムでは「バリアントの流れ」=「わたしたちが日常的に感じる時間の流れ」としています。
各大成卦で象徴される出来事が順番に起きていくということですね。それがわたしたちが普段認識している、時間だというわけです。
顕在意識はこの時間という頚木<くびき>から、逃れることはできません。
そういう枷<かせ>、すなわち制限こそが、顕在意識の機能であるとも言えそうです。
仮面舞踏会は仮面をかぶっているからこそ、おもしろい、ということです。
そんな状況下で、複数の変爻があるというのはどういうことなのか。
その意味を考えてみます。
それはつまり、いま起きている出来事をあらわすバリアント/大成卦から、「任意の」出来事、事象、状況をあらわす大成卦に、一足飛びに跳躍できる……ということじゃなかろうか、と思うわけです。

【fig049 任意のバリアントへジャンプする】
ゼランドのいう「トランサーフィン」は、ただ跳躍できるだけでなく、バリアントを「自由に選択できる」といっています。
前回話しましたが、バリアントの流れには32種類あります。通常ぼくらはそのうちのどれかの「輪」に乗っかってぐるぐる回ってます。
今いるバリアントに複数の変爻を生じさせて、任意のバリアントに跳び移れば、そこにはまた別のバリアント、そして、バリアントの流れがある。
そこからまた別のバリアントに跳び移り、また別のバリアントの流れに乗る。

【fig050 トランサーフィン】
トランジットしながらサーフィンするように、バリアントの流れという「とらわれの輪」に引っ張られることなく、コミュニケーション・スペースを軽やかに渡り歩く。
トランサーフィンのイメージはたぶんそんなようなものなのだと思いますが……
はい、ここで質問。
ほんとうにできるんでしょうか。
そんなこと。
……
つづく。
★ことば
<伝統>
(1)略筮法、(2)中筮法、(3)本筮法
変爻が複数生じる中筮法、本筮法は今回のトランサーフィンのお話とは、もちろん無関係です。
その違いは、之卦を得る場合に派生する大成卦の数が、略筮法では6なのに対し、本・中筮法では63(自分自身も之卦として含めるなら64。「之卦=自分自身」とは、変爻なしということ)と、単純に記号的な表現が広がるということと、儀式的な意義の重みが異なるということにつきると思います。
正式さ(儀式的重み)の度合いは、(1)→(2)→(3)で高くなります。
服装にたとえて言うなら、(1)カジュアル、(2)スーツ、(3)礼服といったところでしょうか。
このたとえでいうなら、筮竹を使わない無筮立卦などは、Tシャツレベルということになるのでしょうが、易システムではそういうふうにはとらえません。
易システムでは、筮竹を使わないで自分で道具を工夫したり、いやむしろ、いっさい道具を使わないで立卦する方が、「場」とよりよく同調できるととらえています。
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ミケ様
にゃんこ先生です。
おつきあいありがとうございます。
感謝しております。
☆
前回珍しく予告をしてしまいました。
ふつう占うときは本之卦を観るくらいで終わるんだけど、その前後が判るともうちょっとおもしろいんじゃないか、と。
前回は本卦が「訟」、之卦が「困」の例でおわっていました。

【fig046 訟の困に之く(再掲)】
で、この「前後」というのは何?
どういうこと?
この「訟」→「困」の図式を、もっと大きな流れの一部・断片としてとらえてみよう、というコトです。
「訟」→「困」がどんなバリアントの流れに乗っているのかみてみようってわけですね。
バリアントの流れには必ず基準卦があります。
基準卦とツイストペアを構成する大成卦もあって、おなじバリアントの流れを共有しています。
占って出た大成卦がどんなバリアントの流れに乗っているか知るには、その基準卦がわかればいい。
基準卦を求めるやり方は……カンタンです。
上の例では「訟」の上爻が変じて「困」になってますよね。この場合は、上爻(つまり変爻)の「一つ下までの爻(つまり初爻〜五爻まで)」をすべて陰陽反転します。
そうすればそれが「訟」→「困」というステップが乗っているバリアントの流れの基準卦になります。
「訟」の初爻〜五爻までを陰陽反転すると「賁」という大成卦になります。
この例では「賁」がバリアントの流れの基準卦ということですね。

【fig047 「訟」→「困」が乗っている流れ】
上の例では変爻は上爻だけど、じゃあ、変爻が初爻だったら?
その場合は、その、占って出た本卦がそのまま基準卦になります。
バリアントの流れはまさにその本卦から始まっているってことになります。
まとめましょう。
「任意の得卦(とくか。とっか。占って回答して得た卦。本卦と同じコト)の、変爻より下の爻をすべて陰陽反転すると、その得卦が属するバリアントの流れの基準卦になる。変爻が初爻の場合は得卦=基準卦である」
ただしこれは、ひとつの得卦について、変爻はひとつという前提です。
☆
さて、上の絵は説明に出てきた大成卦以外は省略してあります。
ちゃんと描くと下のようになります。

【fog048 「賁」を基準卦としたバリアントの流れ】
各大成卦の大意をたどっていくと、なにやら物語のようなものが浮かんでこないでしょうか。
「訟」→「困」という断片は、そんな、より大きな物語の一部だったわけです。
バリアントの流れを物語とするなら、易システムには32の物語があることになります。
上の例の場合、基準卦は「賁」(または「困」)ですが基準卦をどの程度重く観るかは……ケースバイケースです。
易システム的にはバリアントの流れの一部の参照ポイントという以上の意味はありません。
基準卦といえども、同じバリアントの流れに属する他の大成卦と同列、ということです。
☆
さてここで、ひょっとしたらミケさんは、やっぱりききたいことがあるかもしれません。
いままでは変爻が「ひとつ」という前提でお話をすすめてきました。
でもでも、それでも。
変爻が複数あったらどうなるの。
それはどういう意味になるの。
どうなるんでしょう。
どういう意味になるんでしょう。
つづきます。
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ミケ様
にゃんこ先生です。
お元気でお過ごしのことと思います。
台風、それてくれるといいんですが。
☆
銀河ツールの中でもっとも易と関係の深い「20の銘板」(*1)はふたつのパートに分かれています。
ひとつは「預言の4つの銘板」。
もうひとつは「時間の法則の16の銘板」。
セットにはさらに「『普遍生命の書』の64のウル・ルーンとコドン・キー」という資料(ダイヤグラム)もあります。
バリアントの流れがウエイブスペル上に展開されているのはふたつめの「時間の法則の16の銘板」です。
「16の銘板」ではひとつの銘板に4つの大成卦が描かれていて、それぞれの大成卦を基準卦としたバリアントの流れ(ウエイブスペル)が描かれています。

【fig046_01「時間の法則の16の銘板」(部分。右上のウエイブスペルに十二消息卦が見える)】
銘板は16枚ありますので銘板に描かれている大成卦の数は全部で16×4=64になります。
六十四卦すべてということですね。
そんなわけで銘板上には64のバリアントの流れがあるように見えます。しかし実際のパターンの数としては、その半分の32です。

【fig043 升を基準卦としたバリアントの流れ(再掲)】
(途中の「訴」はまちがいです。ただしくは「訟」)
上の絵は「升」を基準卦としたバリアントの流れです。
「升」という大成卦は「无妄」という大成卦とツイストペアを構成しています。
したがって上の絵は「无妄」を基準卦としたバリアントの流れでもあるということができます。
ペアはその名のとおりふたつの大成卦で構成されますので、バリアントの流れのパターンは、64÷2で、全体としては32パターンということになります。
バリアントの流れというのはツイストペアの間を往ったり復(き)たりする流れです。
易システムではこの流れを、人間の顕在意識にあらわれる時間の流れととらえています。
「ans004_07物語」で出てきた「鋳型」です。
☆
システムとの対話はまず適切な問い(占的)を立てるのが前提です。
それに対する回答としてひとつの大成卦を無作為に選びます。
選ばれた大成卦は問いに対するメインの回答ということになります。
これを「本卦(ほんか)」といいます。
本卦の名前、意味、卦辞、「本卦の」変爻に付けられた爻辞、卦のカタチなどを総合的に参照して回答を読みとります。
なにをおいてもこれが基本です(周易)。
ふつうは本卦と同時に変爻を求めます(*2)。
変爻は本卦のどの爻を陰陽反転させるか、という指定です。その爻を反転させることで本卦からはまた別の大成卦が派生します。
派生卦はいかなるものであれ、本卦の意味を補足するものです。回答の本体ではありません。メインはあくまで本卦です。
上記のやり方でできた派生卦を、時間的成り行きとして観たときに、伝統ではこれを「之卦(しか・ゆくか)」と呼びます(*3)。
「バリアントの流れ」はそのようにして生じる「之卦」という派生卦を「放っておけばそうなる」という、自然な時間の流れの連続として読みとったものです。
「バリアントの流れ」というのは、すなわち、大成卦上での下から上への陰陽反転の繰り返しであり、「之卦」の連続体であるというとになります。
爻が反転するたびにもとの大成卦は変化して、新しい大成卦(バリアント)が生成されていきます。
くどいようですがそれがツイストペアを構成する二つの大成卦の間をいったりきたりする周期になっているわけです。
☆
たとえばなにか質問してシステムからの回答として「訟」という大成卦が返ってきたとしましょう。
変爻は上爻(一番上の爻)だったとします。
すると、之卦は「困」という大成卦になります。

【fig046 訟の困に之く】
ここで、システムからの回答として本之卦の意味を読みとります。
ふつうは、ここで話は終わります。
でも。
もうちょっと先のこととか、もうちょっと以前のことがわかったら、ちょっと便利ではないでしょうか。
次回はそんな話をしましょう。
ではまた。
★注釈
(*1)20の銘板
残念ながら「20の銘板」は、現在では入手困難のようです。暦とリンクしたツールなので一定の時期が過ぎると廃れてしまうものなのかもしれませんが、大事なのそのプリンシプルだと思います。
(*2)変爻
とりあえずここでは、ひとつの得卦(回答として得られた大成卦)につき、ひとつの変爻という前提です。
(*3)之卦
必ずしも時間的進行として観るわけではありません。「伏卦」と呼ばれることもあります。「伏卦」には時間的進行というよりも、本卦に伏在する「コメント」・補足事項一般という意味があるのだと思います。
★ことば
<伝統>
本卦、変爻、之卦、伏卦
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ミケ様
お元気ですか。
にゃんこ先生です。
「バリアントの流れ」の話をもう少しさせていただきます。
☆
唐突ですが、グリム童話に「いばら姫」というお話があります。
☆
それまで子供ができなかった王様と王妃にやっと一人娘ができました。
祝宴に「仙女」が呼ばれます。
国には「仙女」が13人います。
だけど城には祝宴に使う金の皿が12枚しかありませんでした。
そこで13番目の「仙女」は呼ばないで祝宴はひらかれます。
呼ばれた「仙女」たちはそれぞれに生まれた娘に「徳(善良とか、慈悲とか)」を授けます。
11番目の「仙女」が徳を授け終わったまさにその時、呼ばれなかった13番目の「仙女」が突如あらわれます。13番目の「仙女」は祝宴に呼ばれなかった腹いせに呪いをかけます。
「15歳の年、姫は糸車の芯(つむ)が胸にささって死ぬだろう」
そして13番目の「仙女」は去っていきます。
悲しいかな、そのあと「徳」をさずける予定だった12番目の「仙女」にはその呪いを解くほどの力量はありませんでした。
「死ぬ」というところを「100年の眠り」に変更するのがやっとだったのです。
そして姫が15歳の年。
呪いのとおり糸車のつむが胸にささって、姫は100年の眠りにつきます。
姫だけでなく、城じゅうの人たちが眠りに落ちてしまいます。時間は停止して城はイバラだらけになります。
100年後。
王子があらわれ姫にキスをします。
姫は目覚めます。
城のみんなも目覚めます。
すべてはまた以前のとおり動き出します。
ふたたび時間は流れ出します。
(出典:河合隼雄著「昔話の深層」福音館書店 童話訳 矢川澄子)
☆
ずいぶんと意味深ですよね。
「15」歳というのは、「成人」と言う程度の意味でしょう。「100」年というのも「すんごい長い」といったことで、たぶんたいした意味はなかろうかと思います。
カギは「12」と「13」という数と、それらが時間に関係があるということです。
解釈はいろいろだと思いますが、いばら姫の話はなんとなく「12」って数の限界性をあらわしているようなそんな気がします。
その限界を打破するのが「13」という数です。
銀河ツールの「20の銘板」では、バリアントの流れは、12ステップではなくて、13ステップになっています。
銀河ツールには13ステップから成る「ウエイブスペル」という流れがあります。
「ウエイブスペル」ではバリアントの流れの「基準卦」をだぶらせて、はじまりと終わりに配置しました。
12+1で13ステップにして、ウエイブスペルと「バリアントの流れ」の整合をとったんだと思います。
推測ですが。
下の絵では、ウエイブスペル上に十二消長卦が展開される様子を描いてみました。
始まりと終わりが両方「坤」。
記号的には同じ「坤」でも「深さ」がちがいます。
同じ所をぐるぐるまわる軌道ではなくて、スパイラルだからです。

【fig044 ウエイブスペルと十二消長卦(易システムハンドブック 図8.30より)】
十二消長卦(バリアントの流れ)は上から見ると、同じところをぐるぐる回っている円に見えます。

【fig045 周易参同契における十二消長卦(易システムハンドブック 図8.26より)】
ただ同じところをグルグルしてるわけじゃなくて、実態は三次元的な深みを持ったラセンであるということです。
☆
13ステップ目に気づかないか、13ステップ目を見て見ぬフリをすると、この世は12ステップの輪でできた牢獄のように見えます。
「深さ」に気づかない視点です。
もしくは「深さ」に価値がおかれない世界観です。
人はいばら姫(と城の一同)のように眠らされたまま、そこから出られなくなってしまいます。
12は13によって「含んで越えられる」ものなんだと思います。
12がダメで13がイイんだ、といった単純なことではなくて、いばら姫の話のとおり、12にも希望はあるわけです。死んだわけでなく、眠らされているだけだからです。
グリム兄弟はこれらの話をゼロから創作したのではなくネタを「取材」し手を加えて編纂したといいます。類話は各地にあるらしく、ひょっとしたら「12」から目をさますためのカギがどこかに潜んでいるのかもしれません。
ぼくらのところにもタイミングよく王子様があらわれればいいのですが。
それでは、また。
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「(1)易システムハンドブックV2.02」は猫乃電子出版の田邉さんが根性で作成してくれたRomancer版(ブラウザで読める本)もあります(多謝)。
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え~とすいません、宣伝です。
このたび「遊星出版」と名付けた架空の版元からということで、
「ほんとうのこと、または、でたらめの書」
という私家版の本をリリースしました。
☆
この本は「大きな樫の樹の下に」という拙作ファンタジーに登場する占いの本です。
この本単独でご利用いただけます。
読む本ではなく使う本です。
「大きな樫の樹の下に」は「ホノワール・オモタ氏のほんとうのこと、または、でたらめのお話」というタイトルでした。2013年の9月に1ヶ月くらいで書いたものです。
その後少々推敲して2020年の3月に文庫版をリリースしました。「大きな樫の木の下に」というタイトルは文庫版になってからのものです。
内容はホノワール・オモタ氏というサラリーマンが異界に往って還ってくるという、易の原理がベースになったお話です。
作中、主人公のオモタ氏は「ほんとうのこと、または、でたらめの書」という占いの本を古本屋で偶然入手します。
これが実は易の本なんですが、一応ファンタジーのつもりで書きましたので、現実の易の述語は一切使っていません。
八卦のことは「しるし」、大成卦のことは「もよう」、ツイストペア(裏卦・錯卦)のことは「反転対」などと呼んでいます。
原典は古代の為政者が個人的に使っていた出所不明の占術書という設定になっています。
「大きな樫の木の下に」で主人公オモタ氏はサイコロを使って何度か卦を立てますが、これらの卦はお話を書きながら、ぼくがオモタ氏になりかわって実際に立てた卦です。
自分でサイコロをふってびっくりしたんですが、話運びとドンピシャの卦が出て、あらためて易のすごさを感じた覚えがあります。
「ほんとうのこと、または、でたらめの書」は「大きな樫の樹の下に」の続編……というよりも、スピンオフということになるでしょう。
☆
作中人物(シンダイ教授)の口を借りて、使い方も説明してあります。
使い方の説明では特定の卦を一貫して例としてあげていますが、この卦も「ほんとうのこと、または、でたらめの書」を書きながら『例としてはどの卦が適切でしょうか』と問い、ぼくが実際に立てた卦です。
全部で270ページくらいありますが、読み物としては「使い方」を含めて最初の60ページくらいで、残りは六十四卦のリファレンスです。この最初の60ページくらいの部分は、丸ごと立ち読み版として製本直送さんのページにアップロードしてあります(13MB近くあります)。
ファンタジーというかたちをとることで、伝統や実占における慣習的なしきたり・解釈にとらわれることなく自由に書くことができました。
もし実占家の先生が見たら、眉をひそめられるような部分や、コノヤローはもう一回ちゃんと易を勉強したほうがよさそうだな、と思われてしまうような部分も多々あることかと思います。
そこは「フィクション」ということで、どうかご勘弁ください。
もちろん「フィクション」であれば、なんでも許されるわけではありませんが。
「自由に書く」一方、実際に使ってもらうことを考慮していますので、伝統(原典)からはそう極端には逸脱していないと思います。
本の中で作中人物のシンダイ教授も述べていますが、もしご興味があれば、是非とも原典にあたっていただければと思います。
幸い私たちの世界ではシンダイ教授がいる世界ほど原典(易経)は高額でもなければ入手しづらくもありません。
☆
あと、おそらくひっかかるであろう点は「エーテル」という言葉が頻出することです。
スピ系一般で言うところの物質体の鋳型またはラッパー(wrapper)としてのエーテル体の「エーテル」とは別もので、そういったものも「すべて」ふくんだ、ありとあらゆる存在の基材、といった意味合いで用いています。
物質以前の原物質のようなものでもあり、そういう側面からすれば「気」に近いのかもしれません。
「大きな樫の樹の下に」ではエーテル・ラジオというものも出てきますので、電波のように思えるかもしません。その側面からいえば、エーテルは「光」であり、「光」はすべての基盤です。
エーテルそのものについては作中でも明確な説明はありません。そしておそらく説明もできません。そんなことからすれば「タオ」「ひとつのもの」のようなものなのかもしれません。
☆
先にも書きましたが、この本は「大きな樫の樹の下に」のいわゆる「続編」ではありません。
物語の続きは現実でこの本を使うことによって読者様自身に紡いでいただくもの……そんなつもりで書きました。
人生RPGです。
サイコロふってよい旅を。
それでは道中、お気をつけて。
→遊星出版
(作品解説はこの記事とほぼイコールです(手抜きです))
ミケ様
急に秋になりました。
お元気でお過ごしのことと思います。
にゃんこ先生です。
☆
季節(あるいは歴史)は繰り返す……
っていうけど、それって本当でしょうか?
バリアントの流れの一種である十二消長卦を見ると、確かに季節は繰り返しているように見えます。
ある年の「臨(1月)」は、来年になっても「臨」です。
だけどね。
それはあくまで、大成卦という記号上の話です。
記号と生(き)の現実をごっちゃにしちゃあ、いけません。冬は冬でも、その年の冬は、一回こっきりじゃないでしょうか?
☆
ある年の冬のことです。
施設にいるオヤジにカニ缶を持って行ったら、オヤジは存外に喜んで、来年はボイルしたカニの脚をホールで食べたいなあ、というので、よ〜し、わかった!と約束しました。
次の年の冬。
デパ地下でボイルしたカニの脚を買って準備万端です(高いんだなこれが)。
と、元旦に施設から電話が入りました。オヤジが暮れから飯を食わなくなった、ということでした。
イモートとオフクロを連れて施設に急ぎます。
オフクロが、買うといたカニどないすんねん?とかいうので、
「どうせなんも食えねーんだから、そんなもんおいてけや!」
と言ってしまいました。
これがまずかった。
オヤジのヤツ、施設から病院に搬送される時に、にゃんこ先生の顔みて、
「カ、カニは……?」
なんて言いクサんねん。
ほかのことはぜ〜んぶ、忘れてるくせにさ。
急いで来たから持ってきてないって言ったら、ため息をつくように一言。
「おまえは役にたたんなァ」
こちとら施設だの病院だの全部手配して、毎週毎週、日曜日をつぶして施設がよいしてんのに!
カニごときで、役立たず呼ばわりされるとは、どーゆーこっちゃ!
ぶっちゃけハラもたったけど、結局オヤジはそのまま2週間ほどで他界しました。
カニの脚をホールで口にすることもなく。
さらに次の年の冬。
カニを持って行こうにも、オヤジはもういません。
残ったのはカニにまつわる後悔だけでした。
飯食えなくなったと言っても、一口くらいなら、大好きなカニを口にできたかもしれなかったのです。
☆
さて。
この3つの冬(1月)は、同じ冬でしょうか。
でも十二消長卦で観るなら同じ「臨」です。
システムの利用者は記号としては同じ「臨」から、3つの状況を読みとらなければならなりません。
ムチャでしょうか。
いいえ。
それがそうでもありません。
☆
「ひとつのもの」は全体であり、個の経験はこの全体にチャージされます。
これが「記憶」で特定の個別的存在の経験がチャージされると「ひとつのもの」はチャージ前の「ひとつのもの」とは「別の」『ひとつのもの』になります。
このプロセスが持続していきます。
この持続を「記憶」と言っています。
一般に脳の中に格納されていると思われているデータのことをいっているわけではありません。
「ひとつのもの」に貢がれる「資産」のことです。
事象・イベント・経験は「すべて」一期一会です。
あらゆることは一回こっきりで、不可逆に進行していきます。物質界の掟(ルール)ですね。
ですがこの掟、因果関係というのは、不変の真理などではなく、実は幻想(マーヤー)、概念の一種だと……にゃんこ先生はとらえています。
そういう意味では因果関係に立脚する占術を含む「予測」というのは実は原理的には成り立ちません。
人間という個別的存在(複合体・システム)は、どうも、同時に「すべて」がそこにある「ひとつのもの」の「記憶」全部にアクセスできる機能があるようなんです。そしてその千差万別の不可逆的プロセスの中に、共通のパターンを見いだすことができます。
見いだされた共通パターンをあらわす記号の一種が、占術一般のシンボル・セットなのではないでしょうか。
この記号の集まりが「ひとつのもの」をとらえる目の粗い「網」です(「ans005_001宇宙をぼくの手の上に」参照)。
「網」というのは方便なんですが、人間の認識はこの「網」のように働きます。
これらのシンボル・セットは予測というよりも、方便的にではあるけれども「ひとつのもの」をとらえるためにあるのではないかと。
「網」の働きによって見いだされる共通のパターンは、時にシンクロニシティ、あるいはゲシュタルトと呼ばれます。
極端にいえば「季節」というのも「星座」と同じで、そうして見いだされたパターンに対応した多義的な意味を持つ記号、つまりシンボルなんじゃないでしょうか。「星座」や「季節」の考案者(?)には、そういう意識はなかったかもしれませんが。
易を含む、占術に使われるシンボルを創ったものたちはその逆で、パターン(統計ではありません。直観で得られるパターン)を記録し、意図的に(ワザと)それらと対応をとって、シンボルを、システムをデザインしていったんだと思います。
銀河ツールは占術ではないけれど、特にそれらのパターンを意識して創られたものだと思います。
だから銀河ツールを使うとシンクロが起きるというのはある意味当たり前ともいえます。
パターンをとらえやすくする仕組みが、これでもか!とちりばめられているからです。
☆
さて。
あれ以来にゃんこ先生はカニは一生食わないと誓いました。もっともアレルギーで甲殻類はNGなんですがね。
食いたくもねえや。
カニなんて。
ケッ。
((c)椎名誠)
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→「ans005_001宇宙をぼくの手の上に」
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ミケ様
にゃんこ先生です。
ちょっと涼しくなりました。
まあでもこれが昔の「夏」の気温です。
☆
大成卦をひとつの「事象」として観てみましょう!
な〜んていう話をしています。
易システムではこの事象のことを「バリアント」といいます。
バリアント。
原本があったとして、その異なったバージョン、異本といった意味合いです。
占ってある大成卦を回答として得たとします。
これが原本。
残りの63卦は、この原本のバリアントです。
今目の前にある現実とは別の現実、別の世界線、オルタネイティブな現実といった意味合いも含んでいます。
この原本も実は別の卦(事象・現実)から観ればバリアントです。てことは、すべてはバリアントです。
じゃいったい、「真の」原本ってのは……
もうおわかりですよね。
原本はひとつしかありません。
「ひとつのもの」。
この「バリアント」というコトバは、ロシアのヴァジム・ゼランドという人の著、「トランサーフィン」シリーズからパク……あいや、を参考にしました。
「トランサーフィン」の説明はしないけど、興味があれば調べてみてください。
一時期流行った「引き寄せ」本の一種です。
ほかの引き寄せ本とは、だいぶ毛色がちがいます。
☆
前回説明した「十二消長卦」。
この大成卦のグループの基点となっているのは、全部が陰爻でできた「坤」という卦です。
易システムではこれを拡張して、どの大成卦でも基点になりうる、としています。
この基点とする大成卦を「基準卦」といいます。
そして、基準卦から始まって、基準卦にもどる一連のプロセスを「バリアントの流れ」と呼んでいます。
たとえば「地風升」という大成卦があります。
この「升」が基準卦となったバリアントの流れを想定してみると次の絵のようになるでしょう。

【fig043 升を基準卦としたバリアントの流れ】
バリアントの流れは、水が高いところから低いところに流れるような、黙ってるとそうなるよ、という、自然に生じる流れです。
自然の流れにモノイイをつけるのは魔法使いとマッドサイエンティストくらいなものですから、事の運びはふつうは自然の流れになります。
この流れを通常ぼくらは時間の流れとしてとらえます。
バリアントの流れは、易卦というシンボル上では、大成卦の一番下の爻(初爻)から順番に爻の陰陽を反転させていくプロセスをたどります。
このプロセスの基準卦から6段階目には、基準卦の爻の陰陽を全部反転させた大成卦ができます。この大成卦は基準卦と「ツイストペア」になります。
上の例でいうと「升」が基準卦で、「升」とツイストペアになるのが「无妄」という大成卦です。
ここまではいいですよね。
この、基準卦とツイストペアになる大成卦は、バリアントの流れの上では、また下の爻から順番に陰陽を反転させて、また基準卦に戻るわけです。
ということは、バリアントの流れというのは、互いにツイストペアを構成する大成卦の間を行ったり来たりするプロセス、と観ることもできます。
☆
このブログのテーマである「ミケさんへのメール」シリーズの最初で書いたように、こういった話はすべて記号上の話であり方便です(「ans003_01ひとつのもの」参照)。
こういったことがなにを意味するか、イメージすることが「観立て」であり、易を利用する際の核だと思います。
では、この「バリアントの流れ」とは、ツイストペアであらわされる事象間をいったりきたりする振り子でしょうか?
それとも、記号、外見的な出来事は同じにみえるけど、実は、その意味・意義を深めていくスパイラルでしょうか?
ミケさんにはなにが観えるでしょうか。
え、説明が悪くて、なんも観えない?
そ、そんなはずは……
じ、じゃ、また。
(そそくさと去ってゆく)
★ことば
<伝統>
十二消息卦、十二消長卦
<易システム>
基準卦、
バリアント、
バリアントの流れ
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→ミケさんの質問
→「ans003_01ひとつのもの」
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ミケ様
季節の間のちょうどいい時期。
だんだん短くなってるような。
地球オンダンカ?
ニンゲンのせい?
「だれかのせい」とか。
そんな話じゃないかも。
季節はそれでも廻ります。
ヒトの思惑ものせたまま。
お元気ですか?
にゃんこ先生です。
☆
前回まではひとつの大成卦を「個人」と観立ててきました。
今回からは、ある「事象」としてとらえてみましょう。
この現実世界で起きる「事」実と現「象」、事象。
まあ、目の前にあらわれる「現実」といってもいいかと思います。
「事象」が変化すると、私たちはそれを時間としてとらえます。
時間が「実在」するかどうかは……また別問題。
今日の話題ではありません。
☆
全部が陰の爻、陰爻でできた「坤」という大成卦であらわされる事象。
この「坤」の一番下の爻、初爻が陰から陽になると「坤」は「復」という別の大成卦=事象に変化します。
「時間がたった」わけです。
私たちの意識は事象の変化を「時間の経過」としてとらえます。
☆
「坤」を、たとえば、陰の気が極まった時点、と観立てるとどうなるでしょうか。
「坤」が「復」になるということは、陰の気が極まったところに最初の陽の気が入り込んだ事象ということになります。
伝統では、このような事象の変化を時節の移り変わりに観立てます。
「復」は、一陽来「復」。
冬至の卦とされます。
早稲田の穴八幡で一陽来「福」のお守りが授けられる日ですね。
大勢の金の亡……じゃない、善良な老若男女が神社を取り囲みます。
ゼッタイ祀っといたほうがイイにゃ!
と、姐さんネコに言われて、代わりに行ってもらって、指定された方位にお守りを祀ったこともありました。
とくになにもありませんでした。
いやいやいや、「とくになにもない」ことほどスバラシイことはないのかもしれません。
「なんでもない日バンザイ!」
((c)不思議の国のアリス)
ですね。
食うに困るようなことはとりあえずないから、すばらしい御利益というべきでしょう。
まあでもやっぱり、自分で並ばなきゃね。
閑話休題。
穴八幡はともかく。
「復」から一段づつ上へ陽の気がのびて、爻は陰から陽へ変化していきます。
六つの爻すべてが陰から陽に変わると「乾」という大成卦になります。
今度は陽が極まった事象になります。
陽が極まると、今度はまた下から陽は陰に変わっていきます。
でまた、陰が極まって「坤」にもどります。
この一連のサイクルを構成する大成卦のグループを、伝統では「十二消息卦」または「十二消長卦」といいます。
その様子を絵に描いてみました。

【fig042 十二消長卦】
☆
ところで冬至は冬に至ると書くけど、12月なんてまだ大して寒くありませんよね。
体感的には。
ほんとに寒いのは2月あたりですか。
これは気の動きが「大気」の動きに先行している、ととらえることもできるでしょう。
まずはじめに気が変化して、それにつれて、体感をもたらす空気(大気)が変化していきます。
物理的にも、太陽の輻射で暖まるのは、大気より地面の方が先だそうだから、そういう側面から言っても、まあまあ理屈にあってる気もします。
先天図上での先天数の順番はねじれていますが、顕在意識から観る限り、回転と周期は、あらゆる運動の根本になっている……
ような気がします。
今回はこんなとこで。
ゆるゆる続きます。
ではまた。
★ことば
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十二消息卦、十二消長卦
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ミケ様
にゃんこ先生です。
満月でしたね。
ネコがおどっちゃいけないって掟はありません。
人に見られなければね。
けど、タヌキと一緒にされるのはやっぱりやだな。
☆
前回のこの絵からいきます。
【fig040 上下卦の不応・応(再掲)】
前回は純卦の不応の話でしたが、純卦とは反対に、上下卦それぞれの爻がすべて応じている大成卦があります。
上の絵では「地天泰」がその例ですね。
この条件を満たす大成卦は、六十四卦中全部で8つあります。
これらの大成卦を易システムでは「先天大成卦」と呼んでいます。
「大成卦=ひとりの人」と観立てるなら、先天大成卦であらわされるような「人」というのは、いったいどんな「人」になるのでしょうか。
☆
応・不応は、呼びかけに対して、答えるものがあるかないかということを、上下卦間において爻の単位で観た関係です。
大成卦を一個人、上下卦をそれぞれ、物理的身体(肉体)および魂として観立てるなら(「ans005_012 純卦」からの観立ての前提)、先天大成卦の人というのは、魂と身体が「完全な」呼応関係にある人ということになります。
それってどういうこと?
シンプルに観るなら、魂の目的と、それを三次元時空(日常世界)内で実現しようとする肉体の間に、何のストレスもない……ということになります。
目に見えるその人の行為そのものは、すなわち・即・ただちに・そのまま「魂の行いたいことそのもの」である……ってことですね。
こうなると、タマシーが目に見える身体となって生きているといってもいいのかもしれません。
そんな「人」いる?
偉才、天才、立派な人や、だれもが尊敬できるような人は、もちろんいます。たしかに。
だけど、肉体と魂の間に「100パーセントの」呼応関係があるかといわれれば、それは……?……って気もします。
ていうか、そんな存在って、もう人とは言えないんじゃないでしょうか。
じゃ、なんなの?
☆
大成卦=一個人という前提。
でも、それが「先天大成卦」だと、人じゃない。
矛盾です。
易システムでは、先天大成卦であらわされるのは、人としての完全な姿であると観ます。
「完全な人間」なんて本当にいるのか?完全じゃないから人間っていうんじゃないのか、え、どうなんだ、おい!
といった議論は……さておきます。
先天大成卦は理想というか、「目指すところに導くもの」という位置づけです。
「導くもの」ってところがミソ。
たとえていうなら灯台のようなものです。
船は灯台を目印に暗い海を航きます。
だけど目的地は次の港であって、灯台そのものではありません。
そんな存在です。
先天大成卦の「人」っていうのは、自分でも気づかない内に、はからずもそうなってしまった「人」……といえるかもしれません。
なんせ灯台です。
黙っていてもよく目立つ。
易システムでは、この宇宙にはそんな灯台のタイプには8つあるとしています。
もしくはそんな「人」を8つのカテゴリーに区分しているともいえます。
以下にその絵を載せます。
といっても大成卦が並んでいるだけですが。
【fig039 先天大成卦】
☆
にゃんこ先生自身、あんまり使わない言葉ではありますが、易システムでは、純卦と先天大成卦、計16の大成卦をまとめて「ファウンデーション(基盤)」と呼んでいます。
どうしてそんな言い方をするかというと、純卦と先天大成卦をマスターマトリクス上でひろっていくと、正方形のマトリクスのちょうど対角線に並ぶからです。
このおおきなバッテン、対角線がマトリクス全体を支えているイメージです。

【fig041 マスターマトリクス上の八純卦と先天大成卦(易システムハンドブック図6.34)】
全宇宙(六十四卦)の屋台骨というわけです。
伝統では純卦を屋台骨ととらえることがあったかと思いますが、易システムではそれにさらに独自の先天大成卦というグループを追加したっていうイメージです。
今日はこのへんで。
じゃ、また。
★ことば
<易システム>
先天大成卦、ファウンデーション
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→「ans005_012 純卦」
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ミケ様
いきなりシツレイなタイトルです。
申し訳ございません。
気分を害されるとこの先遊んでもらえなくなってしまいますので、最初に謝っておきます。
お元気ですか。
にゃんこ先生です。
☆
さて前回は純卦の話でしたが、純卦であらわされる人をたとえて、こんなふうに書きました。
『自分で自分のことがまったく解っていない人、ともいえる』
なぜそういえるのか。
もちろん純卦であらわされる人をバカにしてるわけではありません。
単に記号(コトバ)上の理由なんです。
☆
大成卦は八卦ふたつ、上下卦からできています。
上下の八卦を爻ごとに対応させて観てみましょう。
プラスとマイナスと同じで、爻は異極(陰陽、陽陰)どうしで引き合い、同極(陰陰、陽陽)どうしでは反発しあう、という性質があります。
反発しあう関係を「応じていない」=「不応」といい、引き合う関係を「応じる」=「応」といいます。
そのように観ると純卦というのはすべての爻が「応じて」いません。
全不応の大成卦だということがわかります。

【fig040 上下卦の不応・応】
自分で描いておいてなんですが、上の絵は例としてはあまりよくありません。
上の絵の例は全不応(乾為天)と全応(地天泰)の例ですが、これはどちらも極端な例で、応爻と不応爻は通常ひとつの大成卦の中で混在しているからです。
さて、この意味を読み解くのが、この場合での「観たて」ということになりますが……
その「観立て」。
今回のお話ではとりあえず以下のようにしましょうということでした(前回記事「ans005_012 純卦」参照)。
大成卦=個人、
上卦=物理的身体、
下卦=魂
この観立てに依るならば、純卦であらわされる人というのは、魂と物理的身体がすべての側面で応じていない「不応の」人ということになります。
とりあえずは、プラス・マイナスの反発、引き合いにたとえて説明しましたが、応・不応というのは、単なるプラマイっていうより、「応答」があるかないか、または、答えるものがいるかどうか、というニュアンスの方が近いかもしれません。
呼びかけに応じるものがいるのが、「応」の関係。
呼びかけてもだれも応じてくれないのが、「不応」の関係。
これが、ひとりのニンゲンという複合体の、タマシーとニクタイの関係だったら……
タマシーの呼びかけに答えないニクタイ。
ニクタイの呼びかけに答えないタマシー。
でもその大成卦(人)をハタから観ると、タマシーの性質そのものが、物理的身体に現れた、純粋な(わかりやすい)人ということになります。
いい/わるいは別にして、いろんなイメージがふくらみます。
それでいいの。
そういうことなんです。
言語の役割って。
「いい/わるい」というジャッジも、結論としてはもちろん大事で、相談者もそれを求めて来るわけですが、だけどまずは、そのふくらんだ中から選び取った基盤になる「イメージ」が大事。
どれだけイメージがふくらむか。
そのバリエーションは占断の経験と……人生経験によるわけです(あ、猫生経験ね)。
基本に据えたイメージが、その先の占断の軸足になります。
☆
易は言語です。
「おまえバカだにゃあ」も、言語です。
「おまえバカだにゃあ」
どう?腹立つ?
やぶから棒に面と向かって言われたら、そりゃふつう、腹が立ちまさあね。
でもそこに、限りない慈しみと、深い愛情があったとしたら?
相手とは旧知の間柄だったとしたら?
それこそ「戦友」といえるくらいの。
ひょっとしたら、ミケさんが、何かムチャしたあとで、そのことをぜ〜んぶわかっているその人が言ったコトバだったとしたら?
シチュエーションは、ご想像におまかせしますが、おなじ「バカだにゃあ」でも、まったく意味は変わってきます。
同様に、記号上すべてが「不応」ということが、なにを意味するかということも文脈(相談者の質問、占的)によって、ガラリと変わってきます。
一概に不応だから「ワルイ」ということにはなりませんよね。
易もコトバです。
同じことです。
だから易はおもしろいんですね。
☆
言い忘れてました。
「応・不応」というのは伝統ではひとつの大成卦内の、上下卦の関係について言う用語です。
別々の大成卦どうしなんかで、たとえば、ツイストペア(「ans005_010ツイストペア」参照)に関係にある大成卦どうしの間で、すべての爻が「応じてる」とはいいません。
とってつけた最後の解説でした。
ではまた。
★ことば
<伝統>
応、不応
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