ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press



遊星出版公式サイト→こちら


「遊星出版 」と銘打った架空の版元(個人レーベル)にて、主に易(易経)をテーマにした、ファンタジーやエッセイを創作しています。実際の作品は、文フリなどのイベントにて頒布しています。よろしくお願いいたします。

石が好きである。

さして詳しくもないし、マニアでもなければ、コレクターでも専門家でもない。


それでも、平たいA4サイズくらいの箱ふたつがいっぱいになるくらいには……集めるともなく集まってしまった。

最近入手した石は「レピドライト」のパームストーンだが、この石との出会いはちょっとおもしろかった。

 

レピドライトはその成分にリチウムを含む紫色の石である。

リチウム。

リチウム電池のリチウムだが、宇宙開闢の頃にできた物質だ。水素、ヘリウム、リチウム。原子番号は3。不安定な金属で、ふつう単体では存在しない。

かつて、わけあって長期間にわたって炭酸リチウムを服用(※)していたことがあった。

 

そのせいかどうかはわからないが、服用期間中にちょっと奇妙な体験をした。

 

なぜリチウムのようなものが精神や気分に働きかけるのかは知らないが、昔、オーストラリアの先生が偶然にその効果を発見した。

今はもう服用してはいないが、飲むのでなく、持ってみたらどうだろう? と思って入手したのが、レピドライトだった。

 

ネットで取り寄せたのだが、そのショップを選ぶ動機になったのが、発送元の住所だった。

 

その住所は、ほとんど自分が出生した場所だった。

だからなんだ?

そう、だからなんだ? 

So what? なのである。


なんてことはない。なんでもない話だ。ましてや、「持った」ところで、なに起こらない。

でもそこからお話がまた一本生まれそうで、去年からずっと書き続けている。

 

完走できるかどうか、ちょっとわからない。まあでも、たぶんできると思う。

 

 

※服用には医師の指導の下での、リチウムの血中濃度コントロールが必須です。

遊星出版です。

NISは100のイラストとメッセージからなる遊星出版オリジナルのオラクルブックです。半分はブランクページでユーザーが書き込めるにようになっています。以下のイベントにてリリースする予定です。
2026年9月13日 文学フリマ大阪14
2026年11月8日 文学フリマ東京43

それぞれ5冊づつお持ちする予定です。

NISについては→こちらをご参照ください。

 


2026年9月13日 文学フリマ大阪14 開催情報
◆Webカタログ
 https://c.bunfree.net/

◆配置図 (転載・加工など自由にご利用ください)
 https://bunfree.net/event/osaka14/#map

 遊星出版は「ぬ-21」です。

◆文学フリマ大阪14 開催情報
https://bunfree.net/event/osaka14/
 開催日時 2026年9月13日(日) 12:00〜17:00(最終入場16:55)
 会場 インテックス大阪 2号館 (大阪市住之江区)
 アクセス https://bunfree.net/access/osaka-intex/
 (大阪メトロ ニュートラム「中ふ頭」駅から徒歩約5分、大阪メトロ ニュートラム「トレードセンター前」駅から徒歩約8分、大阪メトロ 中央線「コスモスクエア」駅から徒歩約9分)
 出店 1539出店(1760ブース)
 一般来場 無料(予約不要)

 

よろしくお願いいたします。

 



 

ちょうど一年前の今頃、花形のかっぱえびせんに初めて出会った(「Are you happy?」)。

 

甲殻類はダメなのだが、かっぱえびせんは大丈夫で、ボリボリやりながら飲んでたら、また出てきた。

袋に「出たらめでたい♪」と書いてある。自慢げに「めでてえだろ」などというと、「あ~あ、またそんなことに『運』使っちゃって」と返されることがある。

 

やっかみ半分なのだろうが、この言葉の背後には「運」は有限であるというケチくさい前提がある。

個人的にはぜんぜんそうは思っていなくて、実質無限なんじゃないか、とさえ思っている。そもそも「運」なんてあるのかどうか知らないけど。

有限というのは「川の流れでいうと、自分というものはその流れに生じた一時的なウズのようなもの」というとらえかたとどこか根底で共通するところがある気がする。方丈記が有名だが、あれはうたかた(泡)だったか。



「クライオニクス」という技術がある。死亡宣告が出た直後、遺体が傷まないように処置をする。血液を抜いて、細胞が凍っても壊れないように特殊な不凍液(保存液)を体に循環させ、最終的にはマイナス196℃の液体窒素の中で半永久的に保存する。将来的な「復活」を期待する事業としてビジネス化されている。

これは川のたとえの「ウズ」を、ウズがほどけて消える寸前に瞬間的に凍らせて保存するようなものだと思うがどうだろうか。解凍したところで、ウズは流れに戻るだけだ。

 

万一「復活」して目覚めたところで、その自分は今の自分と同じものなのかどうか、知れたもんじゃない。

 

自分=ウズ=有限というわけだが、もし自分=川なら実質無限だ。

「運」が実質無限だというのは「運」も川の流れのようなものじゃないかってこと。

 

酒も瓶の中に残っているだけがすべてじゃない。足りなくなったら買ってくればいい。



「週末だけだっていってたよね、飲むの」
「あ? ああ……」
「今日平日じゃない」
「記念日だから」(ブレードランナー2049より。Kのマネ)
「なんの?」
「これが出たっていう記念日」
「なにこれ~!」

「ひょっとして味ちがうかもよ」

(ウソ。味は同じ)

「え?ホント? ( ̄~ ̄)」

 「あ……」


こうして議論のすり替えは成功し、冷凍保存する前に、幸運はかみさんに食われていった。

 

冷凍保存したってしょうがない。




 

山というほどではないが近所に雑木林がある。

その雑木林の中にコンクリでできた古い階段がある。かつては浜辺に降りるための階段だったろう。

階段の先に広がるのは、クルマの多い国道と林立する集合住宅で、工場に取り囲まれた浜辺は遙か遠くへ押しやられてしまっている。

階段の途中に新しい男物の革靴が一足置かれていた。


だれがなぜ、そこにそんなものを残したのか。理由はよくわからない。


よくわからない理由は占ってみるに限る。
かみさんに頼んで「小槌乃神秘」にお伺いを立ててもらう。

この占術、ぼくがやるとサッパリだからである。

曰く、『山神様の祟りがあります』。


翌日、同じ所に行ってみたら依然、靴はそこに。


 

ありえないことではないが、ふだんはあまりないこと。
祟りという表現にはなっているが、精霊の悪戯だと思うことにした。
 

「インタビューさせてください」。

珍しくアメブロでメッセージが届いた。本を出したいので著者をさがしているという。で、このブログが目にとまった、と。「やった! お座敷だ!」一昔前なら飛びついたところだが、要は共同出版のテンプレ営業メールである。

詐欺ではない。手厚いサポートを受けたという話もある。かくいうぼくも、同様の業者さんに原稿を読んでもらったことがある。「で。いくら?」ときいたら40万といわれた。そんなカネはないので、話はそこで立ち消えになった。

40万といわれた当時には意味があった。今のようなDTP環境は夢の夢だったし、製本直送もなかった。文フリも立ち上がるか立ち上がらないかの時代だった。



「執筆環境」の記事でも書いたが、原稿書きから頒布まで独りでできる時代になった。今のところ独りでやること自体が楽しいので、他者を介在させるつもりはない。だが皆が皆そうだというわけではない。

「本を書きたい!」という強い欲求はあるけど、書いたこともないし、どうやったらいいか皆目わからないし、書く以外のことはお金を払ってでも誰かに任せたいという人もいるだろう。そういう人には適したサービスだと思う。



「出版ライザップ」は、何をどこまでどのようにいくらでサポートするかを詳細かつ明確に定めたメニューがあれば、ビジネスになりそうな気はする。今はAIもある。大手はもうすでにそうしているのかもしれない。

ただ、言葉は悪いが、承認欲求をつついて釣るようなアプローチはどうかと思う。そう見えただけで、ほんとうに純粋に、共同出版の相手を探しているだけのメッセージだったのかもしれないけれど。

 

NISは遊星出版にて現在テスト中のオラクルブックです。


まだリリースしていません。

(NISについては公式サイトのこちらのページをどうぞ→こちら

NISは100のメッセージ(オラクル)とイラストのペアから、ひとつのペアを無作為に選ぶことで直観を刺激するツールです。

いくつか「このように使ったらいいんじゃないかな」という点が出てきたのでまとめておきます。



◎ 持ち歩く。なにかにつけて引いてみる。気づいたことはNIS自体にメモる。
これはガイドブックにも書いた基本の使用法です。最初はちょっとピンとこなくても、続けているとだんだんツールと「同調」が取れてきます。NISには書き込み用のページが各ペアごとに確保されています。

◎ メッセージの内容はできるだけ忘れる。
そうすることで、同じメッセージに出会っても新鮮な気持ちで受け取れます。

◎ 上記のため「なにかにつけて引く」頻度にも注意。

やり過ぎ注意ってとこでしょうか。そこまで使ってくれたら、作者としてはウレシイのですが。

◎ 覚えてしまったら、サイコロを使うか、索引を使う方法に切り替える。
世の中は数字で満ちあふれていますので、00~99の数を無作為に選び、対応するメッセージを確認する方法は、おそらく一番利用しやすい方法かと思います。

ただ、繰り返しこの方法ばかり使っていると、そのつもりがなくても、だんだんと数とメッセージが紐付いてきます。

そうなってくると数を選ぶとき、いくら無作為であろうとしても、理性が「光速で」割り込んできて、数の選択をコントロールしようとします。

ガイドブックでは数を使う方法以外にもメッセージを選ぶ方法を説明しています。これらの方法については、特定の方法でなければならないということはありませんので、理性が割り込むようになったら、適宜やり方を切り替えるか、あるいは一定期間NISから離れてみるのもいいかと思います。



ツールとしてはなんとか使えるかなといったところ。リリース時にはこのブログでまたお知らせします。よろしくお願いいたします。

 



遊星出版店主敬白

遊星出版です。

趣味で文章を書いています。同じような趣味の皆さんは、どのような道具なり、環境なりで書かれているのでしょうか。という前に、自分の話を。



まずはノートに万年筆で。ペンはLAMYを使ってます。スチール製ニブのカジュアルな万年筆です。非効率的と思われるかもしれませんが、「書く」という身体運動を味わいたいからです。とはいえ、それも気分で、最初からテキストファイルに打ち込むこともあります。


ノートに手書きした場合は校正しつつ、ポメラに打ち込みます。テキストを打つだけなら秀丸(テキストエディタ。シェアウエア)でもいいんですが、折りたたみの最初の形の頃からポメラを使っています。今やすっかり贅沢品。でも好きなので。




初めて文フリに出した本は、威沙(いずな)というフリーソフトで作成しました。最初にこのソフトを知ったときは驚きました。


なにこれぇ? バッチで文庫本吐くのぉ?

テキストファイルを放り込めば、PDFの文庫本をまるっと出力してくれるという夢のようなソフト。パソコンさえあれば、メモ帳アプリで原稿を打って、一切費用をかけずに文庫本(PDFファイル)がつくれます。それまでTeX(論文書くとき使うやつ。ソースはテキスト)でガリガリ作っていた本を、ちょっと修正して放り込んだら、文庫本ができました。

 

フリーです。リリース20周年だそうです。現在でも精力的にバージョンアップされています。で、カンドーのあまり、文フリに出始めました。



本格的にイベントに出るようになってからは、さらに一太郎を使い始めました。「ワープロ」です。ふつうに「ワープロ」っていうと「Word?」といわれます。同世代に一太郎というと「へえ~、まだ売ってんだ」といわれます。

売ってます。毎年几帳面にバージョンアップされています。FEPのサブスク契約が条件ですが、6000円台で買えます。応援のつもりで毎年買ってます。



このソフトもすごいです。昔ながらのMMI(マンマシンインターフェース)に、さまざまな機能が地層のように盛り込まれています。40年の歴史そのものです。

ビジネス(とっくに引退)で使っているわけではないのと、毎年のバージョンアップで、遊星出版のようなパーソナルユースにはオーバースペック気味です。しかし、日本語へのきめ細かな対応とこだわりがすばらしい。小説書きへの配慮もあります。

遊星出版、独りでやっています。編集者さんはいません。かみさんはぼくの書いたモノに1ミリも興味ありません。このような環境下で、とりわけ有り難いのは、誤字脱字、表記ゆれのチェック機能です。穴が開くほど確認しても、やっぱり出てくる誤字脱字。見直しも執拗に繰り返すと、目が慣れてしまいます。最近はAIにお願いすることもありますが、一太郎の校正機能は小説にも対応しています。それでもモレますが(笑)。




執筆環境としてはざっとこんな感じです。製本は製本直送のPODサービスを利用しています。徹底した省力化によって製本費用を抑えています。リーズナブルなのは助かります。もうひとつ助かるのは、基本、PDF入稿なんですが、入稿した版下を製本直送のサーバーで管理できるところです。いったん版下を登録しておけば、自分の本を買う感覚で、いつでも好きな部数、製本依頼できます。



中学の頃、きったない字できったないノートに書いた話を友達に回し読みしてもらっていた時代からは、夢にも思わなかった机上出版環境と発表の場があることに、それらを実現させるサポート、そして、イベントを成立させている、すべての人に、製品に、インフラに、サービスに、機会に、かみさんに、もちろん読者様方にも、あらためて感謝の意を表します。

 

しあわせな時代に生かされていると思います。

ありがとうございます。

礼拝。

威沙(いずな)のホームページ こちら→
一太郎のホームページ こちら→
製本直送のホームページ こちら→

 

遊星出版では今、NISというタイトルの、オリジナル・オラクルブックをテスト中です(こちら→)。




以前からちょっと興味があったので、ルノルマンカードを買いました、という話は前にしましたが……→「ルノルマンカード」


新しいデッキを使うときは、最初に一枚引いてご挨拶するのですが、出たカードが「27:手紙」でした。

 

封をされた手紙の絵です。

 

新しいルノルマンカードが、「いいたいことがあるんだよね」と言わんばかり。


このカードについて、NISにたずねてみようと、AIに00~99の中でランダムに選んでもらった数字が、また「27」でした。

 



NISの「27」は「群盲象を評す」の寓話からのイメージですが、「27」という数の一致から、ルノルマンカードもNISも、結局は巨大な流れをつかもうとするツールなんだなと感じました。



【NIS#27;Squid 象の尻尾をつかむ目の不自由な人】

部分しかわからないんじゃ役にたたないだろう、と思われるかもしれませんが、象=「大きな流れ」は、そもそもつかめないものです。

 

でも、つかんでいる尻尾は、具体的にそこにあるものです。感触も、ぬくもりもあります。




どんなデッキでもたいがい、一枚引きはもっともシンプルな入門的方法として紹介されています。

 

NISも00~99の「一枚」引きです。ルノルマンカードの場合は、複数のカードを引いて文章のように読んでいくやり方がポピュラーだそうで、このやり方、NISにも使えないかなと思いました。

このアイディアについて、ルノルマンカードにお伺いを立ててみたところ、出たカードは「30:ユリ」。

 

セクシャリティを表すカードでもあるそうですが、凜と咲くその姿から、純潔、調和などの意味があるそうですが、それとは別に孤高というイメージが出てきました。

 

崖に咲く一輪のユリです。

 

NISは現時点でほぼまとまっていますから、余所から引っ張ってきたアイディアを混ぜるのはやめました。

上の絵、パターン名のSquidはイカのことですが、ルノルマンカードには36本の足、NISには100本の足があります。

 

絵の人はそのうちの一本をつかんでいる……一枚引きが基本、というわけですね。

 


 

最後に、将来、NISを手にした人の反応はいかがなものだろうかと、ルノルマンカードにきいてみました。

 

出たのは「18:イヌ」で、これは「忠実な相棒」を表すそうです。

NISの本体は半分ブランクページで、「Notes from the Inner Story」のタイトルの通り、読者様が、ご自身のノートとして育てていくことになっています。

 

つまり、いつも一緒にいていただける相棒になればいいな、との思いを込めて作った物でもあります。

いや~、ルノルマンカード。

良い仕事しますね。

「静寂の技法」
ジャスティン・ゾルン
リー・マルツ
柴田裕之訳
東洋経済 2023



 

著者らの定義によれば、静寂とは音がしないことではなく、騒音がないことである。

それはそうかもしれないと思う。

岩にしみいる蝉の声は聞こえる。

蛙が池に飛び込む音だって。

しかしそこは静寂で満たされている。

なにを騒音とするかは人によって異なる。

   ☆

どうもこの本は、ぼくなんかより、現役バリバリで忙しさの絶頂にあるような、働き盛りの人が読んだ方がいいのではないかと、読み始めの頃はそう思っていた。

それはそうだと思う。しかし……

じゃあ、現役をとっくに退いた、ぼくのような人には必要ないかといえば、読み進めていくと、やっぱりそうでもない。

騒音と呼ばれるものはひとつの種類だけではないからである。


聴覚騒音と内部騒音と情報騒音だ。

リタイアして、親もとうにおらず、人付き合いもなければ、物理環境的外部騒音はミニマムになる。

ではそうなると静かかといえば、今度は内部騒音が大きくなる。病気。将来。加齢……etctec……と、それにともなう情報騒音。


   ☆

この本には様々な処方箋が紹介されているが、根幹にあるキーポイントは「影響の輪」。


ぼくはずいぶん昔にスティーブン・コヴィの「7つの習慣」で知ったコンセプトだが、元ネタは数千年前からあるらしい。


自分がコントロールできるものとできないものを峻別する。

たとえば、オノレの寿命や自分以外の人の発言などは、明らかにこの輪の外側にある。気にしても仕方がない。気にしても詮のないことを気にし出すとそれが内部騒音になる。

反対に、自分が何を気にするかとか、何を言うかとか、SNSをやるかやらないかは、完全に輪の内側にある。SNSをやめてからずいぶんたつが、そうしたのは情報騒音をミニマムにするためだ。

   ☆

さらに読み進めていくと、「静寂の技法」というより、ぼくたちが今いる社会がいかに病んでいるかのレポートを読んでいるような気分になってくる。

タイトルは子供の頃に読んだ筒井康隆氏の短編から借用した。


当時はおもしろいSFだと思ったが、今となってはシャレにならない寓話である。
 

20年以上になると思うが、習慣的にジャーナリングをしている。

いつものように書いていて、ちょっとしたAIの利用法を思いついた。ジャーナリングしているノートの筆記そのままをチャットの材料として使う。書いたものを写真に撮ってアップすればいい。

 

ジャーナリングが自分との対話なら、AIを利用しての「壁打ち」も同じことではないだろうか。だがまあ、その度に書く手は止まる。「魂の文章術」のナタリー・ゴールドバーグは「ペンから手を離すな!」といったが、流れに乗っているときはそうすればいい。



 

思いついたはいいけど、いろいろ気になる。

ジャーナリングにAIを介在させるのは邪道かな?
もう皆やってるようなことなのかな?
だったらブログに書いても意味ないかな?

不安ならAIにきけばいい。
 

でもまてよ。

 

AIはもちろん、AI推進の当事者である。

 

そのAIにきいても答えは「邪道じゃないよ! いいじゃない! やれよ!」に決まっている。
 

その答えををそのままウノミにしていいのか。

こういう疑問の確認はファクトチェックによるハルシネーション(AIによる他意のないでっちあげ。別名「生成」)の回避とは異なり、どちらかというとシカファンシー(忖度、おもねり、追従)による影響の回避だ。

ブログに載せるか載せないか。
読んだ人がどう思うか。

そんなこと、やってみなければわからないのである。
先が読めないのは、人もAIも実は同じ。

AIは背後に膨大な情報を抱えていること、そしてそもそもが統計処理システムであるという優位性はありそうだが。

   ☆

しかし、どうしてこうも「正解」を求めたがるのか。

ひとつには自我には、たいがいは行き過ぎた、自分を護ろうとする強力なベクトルがあるからだ。さらに行き過ぎると喧嘩や闘争、さらにさらに行き過ぎると戦になる。

もうひとつはおそらく、良きにつけ悪しきにつけ社会へ出るために受けてきた教育の影響もあるかもしれない。

テストには「正解」があるからだ。

   ☆

昔、どうしても欲しかった本があった。「教科書ガイド」という。当時は、単元の末尾にある設問が宿題として出されることが多かったので、それさえあれば宿題なんてこわくない。設問の答えが懇切丁寧に書かれている。だが、説明なんかどうだっていい。正解さえわかればそれでいいからだ。そのまま丸写しして出せばよいのである。

そんな宿題が出ることが多かった数学の教科書ガイドを買った。宿題は丸写し。結果、なんの勉強にもならなかった。なんの勉強にもならなった上に、実際に社会へ出てみると「正解」などというものはどこにもなかった。

声高に「正解」を叫ぶ人もいるが、それは「正解」などではなく、たいがいその人が、自身の考えを強調したいがためにそういっているだけのことである。いわゆるひとつの「過度な一般化」というヤツである。

そういってるお前の話は正解なのかって?

もちろんちがいます。そんなものはないんです!

じゃ、正解はないってのは? 正解?

Geminiえも~ん! 助けて~!