ミケ様
にゃんこ先生です。
満月でしたね。
ネコがおどっちゃいけないって掟はありません。
人に見られなければね。
けど、タヌキと一緒にされるのはやっぱりやだな。
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前回のこの絵からいきます。
【fig040 上下卦の不応・応(再掲)】
前回は純卦の不応の話でしたが、純卦とは反対に、上下卦それぞれの爻がすべて応じている大成卦があります。
上の絵では「地天泰」がその例ですね。
この条件を満たす大成卦は、六十四卦中全部で8つあります。
これらの大成卦を易システムでは「先天大成卦」と呼んでいます。
「大成卦=ひとりの人」と観立てるなら、先天大成卦であらわされるような「人」というのは、いったいどんな「人」になるのでしょうか。
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応・不応は、呼びかけに対して、答えるものがあるかないかということを、上下卦間において爻の単位で観た関係です。
大成卦を一個人、上下卦をそれぞれ、物理的身体(肉体)および魂として観立てるなら(「ans005_012 純卦」からの観立ての前提)、先天大成卦の人というのは、魂と身体が「完全な」呼応関係にある人ということになります。
それってどういうこと?
シンプルに観るなら、魂の目的と、それを三次元時空(日常世界)内で実現しようとする肉体の間に、何のストレスもない……ということになります。
目に見えるその人の行為そのものは、すなわち・即・ただちに・そのまま「魂の行いたいことそのもの」である……ってことですね。
こうなると、タマシーが目に見える身体となって生きているといってもいいのかもしれません。
そんな「人」いる?
偉才、天才、立派な人や、だれもが尊敬できるような人は、もちろんいます。たしかに。
だけど、肉体と魂の間に「100パーセントの」呼応関係があるかといわれれば、それは……?……って気もします。
ていうか、そんな存在って、もう人とは言えないんじゃないでしょうか。
じゃ、なんなの?
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大成卦=一個人という前提。
でも、それが「先天大成卦」だと、人じゃない。
矛盾です。
易システムでは、先天大成卦であらわされるのは、人としての完全な姿であると観ます。
「完全な人間」なんて本当にいるのか?完全じゃないから人間っていうんじゃないのか、え、どうなんだ、おい!
といった議論は……さておきます。
先天大成卦は理想というか、「目指すところに導くもの」という位置づけです。
「導くもの」ってところがミソ。
たとえていうなら灯台のようなものです。
船は灯台を目印に暗い海を航きます。
だけど目的地は次の港であって、灯台そのものではありません。
そんな存在です。
先天大成卦の「人」っていうのは、自分でも気づかない内に、はからずもそうなってしまった「人」……といえるかもしれません。
なんせ灯台です。
黙っていてもよく目立つ。
易システムでは、この宇宙にはそんな灯台のタイプには8つあるとしています。
もしくはそんな「人」を8つのカテゴリーに区分しているともいえます。
以下にその絵を載せます。
といっても大成卦が並んでいるだけですが。
【fig039 先天大成卦】
☆
にゃんこ先生自身、あんまり使わない言葉ではありますが、易システムでは、純卦と先天大成卦、計16の大成卦をまとめて「ファウンデーション(基盤)」と呼んでいます。
どうしてそんな言い方をするかというと、純卦と先天大成卦をマスターマトリクス上でひろっていくと、正方形のマトリクスのちょうど対角線に並ぶからです。
このおおきなバッテン、対角線がマトリクス全体を支えているイメージです。

【fig041 マスターマトリクス上の八純卦と先天大成卦(易システムハンドブック図6.34)】
全宇宙(六十四卦)の屋台骨というわけです。
伝統では純卦を屋台骨ととらえることがあったかと思いますが、易システムではそれにさらに独自の先天大成卦というグループを追加したっていうイメージです。
今日はこのへんで。
じゃ、また。
★ことば
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先天大成卦、ファウンデーション
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「(1)易システムハンドブックV2.03」は猫乃電子出版の田邉さんが根性で作成してくれたRomancer版(ブラウザで読める電子本)もあります(すいませんねえ)。
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