最近毎日の様に多発する詐欺事件をの報道記事を読んで、余は呆れ返ると共に大変腹が立っている。
何故なら悪人に大金を渡す事は、更なる悪行を幇助(ほうじょ)するに等しいからである。
こいつらが騙し取った大金を元手に又新たな犯罪を働き、更なる犠牲者が出るのでは堪った者ではない!
警視庁の統計では今年2024年1月~4月までの全国の詐欺被害総額は278億円にもなり、既に2021年の1年間の被害総額に並んでいるのである。
此のままのペースで騙され続ければ今年は約830億円以上の被害額が出る事になるかも知れない。 詐欺の立場で見てもまさか斯(か)くも多数の日本人をいとも簡単に騙せて、此れ程の大金をくすね取れる等とは予想もしなかったのではなかろうか。
同ブログの記事「騙され易い日本人と用心深いドイツ人、そして投資の心得」に書いている様に、心理学的に考察して観ると、人間は「欲望」や「恐怖」を刺激されると、一時的に思考力、判断力が著しく低下してしまう、所謂「盲目状態」に陥っていたのではなかろうか。 其の上ある脳神経外科医の記述によると、SNSを漫然と長時間見ていると、脳の「前頭葉」の血流が停滞し、此れに依って同様に一時的に記憶力、思考力、判断力が著しく低下してしまうと言うのである。
そう言う意味では最近流行っているSNS上の「投資詐欺」、「ロマンス詐欺」は、人間の心理の隙(又は弱点)をついて人を欺いて大金を騙し取ると言う、心理学を悪用した巧妙な手口であると改めて呆れ返ってしまうのである。
これ等の詐欺の共通する手口として、先ず相手に利益になるとか、信頼出来ると思い込ませて、其れから大金を騙し取る事である。
記憶が正しければ1990年代に余は既にある心理学者が例題として書いていた以下の「投資詐欺」の事件を読んだ事がある。
「当時ある所に一人暮らしの資産家の婆さんがいた。
そこへある日、証券会社の職員を名乗る(騙る)男が訪ねて来て、「貴方のお金を2倍にして差し上げます。」と言った。
資産家の婆さんは当初、此の話を本気にしなかったが、男がせめて5000円だけ預けて下さい。必ず約束は守ります。」と熱心に言うので、そんな端金ならと思い預けた。
すると次の日、その男は1万円を婆さんの処に持って来た。
更に其れを預かり、次の日は2万円、其の又次の日は遂に4万円を持って来た。(これで婆さんは完全に男を信用してしまう。)
最後に男は「今度は貴方の全財産を倍にしたいと思いませんか?」と誘うと、婆さんは自分の貯金全てを男に預けてしまった。
其れ以来、男は姿を晦(くら)まし何処へ行ったのか分からなくなった。」 >おしまい<
↑ Théodore Chassériau : Macbeth (1855)
↑ Théodore Chassériau : La spectre de Banquo (1854)
宛(さなが)らW.Shakespeareの書いた戯曲※Macbethの中の台詞「悪魔は最初に人を甘い言葉で誘って、最期に人を欺く。」の如くである。
(※此の戯曲の中でMacbethは悪い魔女の予言通りGlamisからCawdorの領主と成る。 そして強欲な妃と共謀して従兄のScotland王Duncanを暗殺した後に王位を継ぐ。 だが最期は忠臣Macduffに打ち取られ、王位は1代で終わる。)
詐欺の中には高齢者の身内を騙って「借金」だの「賠償金」だの「示談金」等と金銭上のな困窮を訴えて同情を誘い、多額の金銭を騙し取るやり方がある。
此の様に(偽りの)身内の窮状に同情してお金を払ってしまった
人達には十分に同情の余地はあるし、何としても救済措置を取るべきであると思う。
一方で余は「色ボケ」「欲ボケ」した「激烈バカ」の被害者共に同情したり、擁護する気は毛頭無い。
最早此ればかりはドイツ語で言う"Selbstschuld"「自業自得」である!
此れには>Es tut mir leid !<(御気の毒です!)と言うより、大変意地悪で手厳しい表現だが >Schadenfreude!<(ざまあみろ!)と言った方が皮肉な戒めになるかも知れない。
だが、此れ程までに巨額の詐欺犯罪が毎日の様に多発するのは、ただ単に被害者が「欲垂れ」「馬鹿垂れ」「世間知らず」「情報弱者」であるだけではなく、最近の詐欺の手口が如何に巧妙且つ効果的であるかを思い知らされるのである。
即ち、費用も掛からず、手間いらず、身に危険も及ばず、其れでいててボロ儲け出来る、と言った具合であるから、この悪行は「止められない、止まらない」になってしまうのであろう。
(誠に以って浅ましい限りである!)
↑ 歌川国芳 作「狸の川がり」
今日の日本社会は外国の詐欺から見たら、まるで世界一格好の「漁(いさり)場」の様に思えるのではあるまいか。
宛ら餌を付けなくても釣り糸を垂らすだけで愚かな魚が幾らでも釣れ、網を仕掛けて置くだけで間抜けな魚が幾らでも引っかかると言った具合である。
「日本昔話」に喩えると、あたかも狐や狸が愚か者や間抜けを化かす様な感じではなかろうか。
ついでに書けば、日本でも世界の昔話でも善人と正直者が「徳」と「幸」を授かり、悪人や欲張りが「損」や「罰」を受けるのがお決まりの「あらすじ」である。
此のままでは近い将来、まるで19世紀末の「清」(今の中国)が欧州列強(イギリス、フランス、ドイツ、ロシア)や日本によるKolonisation(植民地化)の餌食にされていたのと同様に、日本人は邪悪で汚らわしい外国の詐欺共の餌食にされるのではないかと危惧されるのである。
故に詐欺を防止する確固たる対策ないし法律を施行する事が急務とされるのである。
(とは言え今の無能で利己的な糞政治家共には其の様な「甲斐性」等無いと思える。)
本来なら他人の災難を嘲笑う事は、人道上あるまじき言語道断の行為である。
全く以て不謹慎で大人げ無い事ながら、此度ばかりは余の頭の中で自然に以下の替え歌の歌詞が僅か30~40秒以内に閃いてしまった。
(此の様な皮肉な「戯歌」(ざれうた)でも詐欺被害への警告、そして「欲」への戒めにでもなれば良いのだが・・・・・)
*詐欺被害者の戯歌・第1番
(※童謡「手を叩きましょう」より)
「詐欺に騙された!
散々(さんざん)だー、散々(さんざん)だー。
地団駄(じだんだ)踏もう、ドンドンドン、バンバンバン。
怒りましょ、プンプンプン。 泣きましょう、エンエンエン。
プンプンプン、エンエンエン、ああ情けない!
(又は、ああ恥ずかしい!)」
※此の歌の原曲はチェコ民謡” Šla Nanynka do zelí”(ナニンカちゃん、キャベツ畑へ)で、本国チェコでも大変有名な曲である。
*詐欺被害者の戯歌・第2番
(※「狸の金玉」より)
「脳ミソ足りない金持ちは、知らない奴に金を出す。
其れを受け取る詐欺師共、腹を抱えてワッハッハー!」
「金を盗られた馬鹿垂れは、慌てて被害の届け出す。
其れを受理する警察も、頭を抱えてワッハッハー!」
「一度盗られた金は、二度と戻って来ない、
富は一時の夢。今では素寒貧。」
※此の歌の原曲はアメリカの讃美歌”Shall we gather at the River”で、1864年 Baptist派の牧師Robert Lowryによって作曲されている。 本国アメリカでも大変有名な曲である。
↑ 歌川国芳 作「狸の往来」
今までに消費者庁、警察、各金融機関、自治体、そして各マスコミが口が酸っぱくなる程までに「詐欺に気を付けて下さい!」と、過去のこいつらの手口をも公開してまで注意を促している。
にも拘わらず、最近では毎日の様にSNS上の「投資詐欺」、更には荒唐無稽な「ロマンス詐欺」等に数百万ないしは数千万円を,
極端な場合は億単位の金銭を騙し取られる事件が毎日の様に報道されている。
本来ならば人を騙して金銭をくすね取る悪党共は避難され、最後は逮捕され厳しく処罰されるのが「社会の常識」であり「道理・筋道」ある。
ところが最近ではこれ等の「激烈バカ」と呼ぶべき詐欺被害者共はウェブ・ニュースのコメント欄で、全国の国民に同情されるどころか、嘲笑されたり揶揄されるばかりである。
余は少年時代に読んでいた「がきデカ」と言う爆笑漫画の中に、「アホをからかうのは面白いが、余りアホ過ぎると逆に腹が立つ!」と言う台詞を思い出した。
同様に余の少年時代に放送されていたドラマ「暴れはっちゃく」の中で、主人公の長太郎は悪戯が過ぎて、父親から「てめーの馬鹿さ加減にゃ、父ちゃん情けなくって涙出てくらー!」と怒鳴りつけて叱られていたのを思い出した。
(「激烈バカ」の詐欺被害者共も大方、家族、身内からこんな風に𠮟り付けられている事だろう。)
これ等の社会現象から、詐欺被害者共は「被害者」を気取って、自分が騙されたと言う「自己責任」や詐欺に多額の資金を与えた「罪」から逃げてはいけない! と言う事が示唆されている様に感じられるのである。 これ等の外道の詐欺にいとも簡単に騙されて大金をくすね取られる事は、自らを破産させるのみならず、家族、親族との「信頼関係」をも破綻させ、世間の笑い者にまで成り下がってしまう事を自覚するべきである。 そして此度の取り返しの付かない大失態を猛反省し、二度と再び騙されない様に学習し注意するべきである!
そもそも最近多発する詐欺犯罪も、人間の限り無き「欲」に付け込まれて簡単に騙されて、儲けるどころか逆に金融資産に壊滅的な損害を被る結果となったのである。
古の格言に「悪人の勝利はほんの一時しかない。」と言うが、「愚人の富もほんの一時しかない。」と言うべきだろうか。
貴族出身、又は先祖代々富裕層の観点からは、諺の「下衆の後知恵」(又は後思案)とは良く言った物である。
最近毎日の詐欺事件の報道を通じて、「成り上がりの金持ち」の惨めな末路を見る思いである。
「なぞなぞ」の様な表現だが、「正しく使えば何よりも頼りになる、逆に間違って使えば何よりも恐ろしい物とは何か?」
答えは「お金」である。
正に是からの時代は「富」を獲得し、保持する為には「社会の仕組み」を利用する知恵、及び「正しいお金の扱い方」、「物の価値」への知識が必要不可欠であるとつくづく実感するのである。
今日の日本では長引く不景気の上、実質賃金の減少、物価、エネルギー代、税金、等の高騰、其の反面、国際為替相場に於ける「日本円」の価値の下落、「格差社会」の定着による貧富の差の拡大等、大多数の国民の生活は苦しく、不利になる一方である。
この様な社会状況における「閉塞感」場合によっっては「絶望感」までも漂う中で、邪悪な詐欺共は所謂「騙され易い人」を見つけては、其の心の隙をついて金銭をくすね取っている。
(「騙され易い人」の特徴については、同ブログの記事「騙され易い日本人と用心深いドイツ人、そして投資の心得」参照)
要するに人は貧富に関わり無く社会で生活している以上、いつか詐欺に遭遇する危険はあるのである。
心理学的に考察しても、詐欺ないしは悪徳業者が付け狙うのはどうしても「騙され易い人」なのである。
故に国民一人一人が、悪徳行為に対し「毅然とした態度と対応」で臨む必要があるのではなかろうか。
即ちただ単に断ったり、注意するだけで終わらず、行政及び法務機関に通報、相談するべきである。
最適な組織として消費者庁の運営する『国民生活センター』(http://www.kokusen.go.jp/)電話番号:03-3446-0999 (相談専用番号) 受付時間:平日10時~12時、13時~16時、
消費者ホットライン 電話番号:188(局番なし)
そして全国都道府県の『消費生活センター』が挙げられる。
その上悪徳業者の行為が完全に「詐欺」ないしは「詐欺未遂」と認められる場合は最寄の警察署に物的証拠を提出して通報するのが正解である。
そして、詐欺犯罪防止の為には「詐欺罪」を極刑に処する(例:騙し取った金額の弁償に相当する強制労働させる)位の刑法の改正も必要であると思われる。
とにかく最良なのは各自銘々が悪質業者や犯罪者共を撃退出来る確固たる「護身手段」を身に着けておく事である。
参考に古の諺と格言と共に詐欺に対する「護身手段」を書き記しておく。
*「備えあれば患い無し」:自分は騙されないだろうと高を括ったり油断しない事。 詐欺犯罪に対し上記の対策を備えておく事。
*「彼を知り己を知れば百戦殆からず」:詐欺の手口についてある程度調べて知っておく事。
*「泰然自若」:大抵の場合、詐欺は人の「欲望」か「恐怖」に付け込んで騙して来るので、「欲望」と「恐怖」で心を乱さない事。
*「動かざる事山の如し」:決して詐欺の言いなりになって行動してはいけない。
皆の衆! 家族の平和と財産を守る為、くれぐれも御注意あれ!
同ブログの記事「悪質業者、詐欺の勧誘、及び悪質クレーマーの撃退法」も参照されたし。
財産」でも先祖や親から伝わる物を大事にし、日頃よりRationalität(合理性)とSolidheit(堅実性)そしてMäßigkeit(節制)を以って生活していれば、失う事は決して無い。
又、仏教にも吾唯足知(吾(われ)、唯(ただ)足るを知る)と言う人間の貪欲を戒める格言がある。
此れは「物を絶えず欲しがる事を慎み反省し、自分の身の程を知り、自分に足りているだけで満足、感謝すべし。」と言う意味の教えである。
正にドイツ語の”Mäßigkeit”、ラテン語の”TEMPERANTIA”、そして日本語の「節制」に相通じる格言である。
そもそも止められない、止まらないのは人間の「欲」である。
人間の身勝手且つ理不尽な「欲」が止まらない限り、詐欺事件も止まらないであろう。
故にどこかで「欲」に区切りを付けなければならない。
仏教的な理念を述べると、「欲を捨てる事が安楽と平穏と菩提(悟り)への道である。」と言えるのである。
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