美術工芸品と古書の収集と修理について | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

今年の6月21日に東京都・板橋区の仏教美術を扱う桜清流堂より黄楊の木で細密に彫刻された年代物の「宝船」を送ってもらった。
此の船には当初より、「帆」が欠落しているのを承知の上で購入した。
何故なら、自分でマストと帆を作る自信があったからである。
本業の絵画制作を一時中断して、此の「宝船」に祝箸でマストを作り、そして帆を和紙で作り真ん中には「日の丸」の上に「寶」と書いて、裁縫用の糸で「張り線」を作った。
船上の「恵比寿様」の釣竿も欠落していたので、竹箒の先で竿を作り、最も細いナイロン糸を釣り糸として取り付けた。
此の「宝船」は推定で30年程経年している故、其の他の船上の「七福神」や「宝物」を貼っている接着剤が劣化しているのを、新たに貼り直す事で全体の修復作業が完成した。


此の「宝船」は違例な程安価であったので更に3隻購入し、1隻目と全く同じ方法で、「日の丸」の上の「寶」と張り線の糸の色だけ変えて作り上げた。
此の中には「毘沙門天」の持つ「三叉戟」(さんさげき)の穂先が消失しているのがあったので、穂先をも金属パテで作って修復した。
そしていつも御世話になっている我が友人達に贈呈した処、皆大変喜んでくれたのであった。
(追伸:10月14日に桜清流堂の社長から御祝いの品物を複数頂戴し、余は大変感謝している。)


此れだけでは終わらず、7月13日には同じく東京の別の古美術店よりイタリア製の大理石とリジン(人工樹脂)で鋳造されたSt.Georginusが馬に乗ってDragonを退治している像を送ってもらった。 
此の像にも肝心の槍が欠落していたので、三度余は祝箸を柄にして金属パテで、穂先を作って像と同じ色を油絵の具で塗って仕上げた。
まさか2か月立て続けに「祝箸」で美術工芸品を蘇らせる事になるとは思わなかった。
模型製作や美術工芸品の修復は、(公共事業としての)個展の為に毎日絵画制作をしている余にとっては、結構面白い気分転換になるのである。

すると今度は同月20日頃に余が初めてドイツ(Bremen)に留学していた1989年に当市で購入した手鏡の柄が折れてしまった。
既に代わりにイタリア製のArt Nouveau様式の手鏡を購入しているので、此れを処分しても別段不自由は無いのだが、 何分思い出の品である上に余の一番お気に入りのRococo様式なので、どうしても捨てられず、何とか修理しようと考えた。
此の手鏡は錫鋳物による物で、溶接技術を持つ我が友人や知人等に何件か尋ねて見た処、いずれからも錫の溶接は不可能であるとの回答があった。
瞬間接着剤で貼り合わせても長持ちしないし、こうなったら唯一そして最後の手段という事で、折れた両方の部品の接合部分に電動(金属用)ドリルで穴をあけて、そこへ鉄の釘の頭を切り取った物を2本差し込んで、手鏡を上下両方から木槌で打ち込んでみた。
修理作業は思いの外功を奏し、直した手鏡は最早振り回しても折れない程丈夫になったのである。

 

更に8月上旬には福岡県と千葉県の古書店より明治41年(1908)から43年(1910)にかけて発行された「平家物語講義」一冊~六冊を送ってもらった。


大変安価に購入出来た割には全体的な保存状態は予想以上に良好であったが、一巻と二巻に所々(万年筆による)線引きや書き込みがあったので、これ等を消去する事にした。
紙がある程度厚いのなら「インク用消しゴム」で消去出来るのだが、今回の物は半紙の様に薄いのでそうは行かない。
今まで余は江戸時代、明治時代に発行されている書籍を幾つも購入して、汚れ、書き込み、破損した部分を其の都度修理して来ている。
最近の例を挙げると、購入した「台学入門」(明治40年、1907に発行された天台仏教学入門書)にも同様に万年筆による青インクの線引きが数頁に及んであったので、其れを消去した事がある。
其の方法とは油絵の具を本の古くなって黄変した紙に色を合わせて、其れを針の様に細い筆で引かれている線を塗り潰すと云う技法で、今回も此の技法を採用するしかなかった。
しかし今回は、黒インクで線引きや書き込みがされているので、先ずプラモデル用の油性塗料の白でこれ等を塗り潰し、更に其の上から本の紙に色を合わせた油絵の具を塗ると云う手法で仕上げた。

扨て、「平家物語講義」についてなのだが、此の書物は本来の「平家物語」(流布本)の一巻から十二巻全ての原文に当時の古典学者の今泉定介先生(1863~1944)によって解説、注釈が付けられている。
鎌倉時代に成立した文献を明治時代の文章で解説しているので、それぞれの時代の日本語を比較しながら読んで行くのが非常に面白いのである。


8月18日には10年使ったお気に入りのWhite Gold(白金)製スクリューネックレスの留め金のバネが壊れて、閉まらなくなった。
購入した大手業者に尋ねた処、此れはイタリア製なので、同じ留め金が入手不可能な故、此の品物を当社に送って、日本製の「引き輪」で代用して修理するしかないと云う返事であった。
一般の人なら宝石店に修理を依頼する処だが、余は少年時代よりJewelryが好きで、小学校の頃からNecklessを身に着けていた事もあって、当時から自分で修理までしていた位である。
早速、近所の親しいメガネ、時計、宝石を扱う店に行って「引き輪」について尋ねてみると、幸い在庫があり、古い物という事で親切にも原価で分けてくれたのである。
御蔭で余は此のお気に入りのWhite Goldのスクリューネックレスを直ぐに修理する事が出来た。 
日本女性の感覚では「男のくせにJewelryが好きだなんて!」と不思議に思われるかも知れないが、実はヨーロッパの貴族社会では中世(11世紀頃)から18世紀頃まで、貴金属宝石の装身具は専ら女より男の方が多く身に着けていたのである。
余は本来「天台宗徒」である事から、天台宗専用の「平数珠」を当然持っているが、Brandenburgの教会から大恩を受けた事と✠Deutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)への憧れがある事、そしてSaphir(サファイア)が自分の誕生石であり、キリスト教では修道士の「純潔」「貞操」「忠節」の象徴であり、「魔除け」でもある事から、Saphir、Gold、White Gold、Platina製の十字架の首飾りをいつも身に着けている。


ついでに言うなら、余の愛用するBoots(革製長靴)も同様で、本来は貴族男性、又は軍隊の将校が履く物で、19世紀以前のヨーロッパでは寧ろ女性がBootsを履く事自体、先ず滑稽で有り得なかったのである。

其の他、割れた陶磁器製の人形を修理するには、瞬間接着剤で各部品を貼り合わせ、素焼きの場合は瞬間接着剤とゴム系の接着剤の両方で貼り合わせるのが相応しい。
其の後、接合部に隙間がある場合は其の部分にパテ等を爪楊枝で埋めて、ある程度乾燥するとカッターナイフや細い鑢等で表面を平らに成形し、其の上から油絵の具で表面と同じ色を塗り、此れが乾燥すると其の上に透明のニスを塗って仕上げるのである。
あらゆる美術工芸品の修復に共通している重要事項として、如何にして破損部分を目立たない様に直すかという事と、場合によっては以前の状態よりも美しく、頑丈に修理する事なのである。
又、美術工芸品を購入、収集するに当たって余が気を付けているのは、金銭価値や一般の評判に惑わされない事である。
何故ならこれ等の要素は、しばしば人間本来の「鑑定能力」(審美眼)を狂わせる事があるからである。
実に世の中には価格だけが高い見かけ倒しの粗悪な物があれば、安価でも品質の優れた物も数多くあるのである。

日本に在住している又は長期滞在した事のあるドイツ人が皆同様に指摘しているのが、「日本人の生活は成程裕福ではあるが、余りにも無駄が多過ぎる。」と言う事である。
実例を挙げると、一部のブランド品の様に名前だけで大して価値の無い物を法外な値段で買い取る。
まだ使える物や、修理可能な物まで安易に捨てる。
食料品を余りにも多く捨てている。(呆れた事に日本国内で1年に廃棄処分される食料品はアメリカの其れより多いらしい。)
リサイクル、再利用出来る物をしない。 

政府、各自治体の予算の非合理的な無駄遣い。 等
余自身が既にドイツに足掛け13年住んでいるので、ドイツ人の合理化されたLebenshaltung(生活態度)並びに Haushalt(家計、生計)を経験して、成程多くの感心と共感を得る物があった。
人間は「裕福」に慣れ切ってしまうと、其れに対する感謝の念を忘れがちになる事がある。
「裕福」を過信して、不合理で理不尽な浪費を続けて行くと、最後には「貧困」又は「破産」にまで零落する事を心得ておかねばならない!

余は個人的に「人生に於ける4つの無駄」を以下の通り戒めている。
*時間の無駄を省く…そもそも「人生」とは限られた時間なのだから、無駄に浪費せず有意義に使う事。
*心の無駄を省く…下世話の事に関心を持たず、又は下らない人間との関わりを断ち切り、精神を大事な事に集中させる事。
*行いの無駄を省く…何の成果も利益も得られない無駄な行動はしない事。
*物の無駄を省く…馬鹿げた遊興事には一切金を払わない事。

自分にとって無価値な物は一切買わない事。 まだ使える物や、修理可能な物は修理する事。 出来るだけリサイクル、再利用をして、ゴミを減らす事。


10月29日に茨城県の骨董屋より送られた、江戸時代前記の名工・野々村仁清の様式を受け継ぐ「京焼」の非常に見事な「鳳凰」の置物を手に入れた。 
此の作品は仁清の傑作と言われる国宝・「色絵雉香炉」を彷彿させる物があり、保存状態、絵の具の色から明治時代初期に制作されたと推定される。
「鳳凰」とは本来、古代中国の伝説に現れる空想上の奇跡を起こす神聖な鳥ではあるが、作者は想像力を生かして、孔雀と尾長鶏を掛け合わせた様な姿に造形しており、鮮やかな十二色の絵の具で細密に彩色していて、其の上保存状態も極めて良好なのである。
余も今まで日本とヨーロッパ10か国にて、多種多様の陶磁器製Figur(フィギア、像)を見て、収集して来ているが、「鳳凰」の彫像は見るのも初めてである。
京焼は信楽焼、瀬戸焼、九谷焼と並んで日本の窯業の中でも特にFigur(像)を多数制作しており、これ等の窯元では明治初期の時代には今現在の様な「七福神」「十二支」「高砂」と云った典型的な「縁起物」のみならず、他にも様々なFigur(フィギア、像)が制作されていた様である。

2019年の追伸:
余はドイツに1989年に初めてSchwäbisch-Hall及びBremenに留学して以来"Deutsche Porzellansammlung"(ドイツ製陶磁器のコレクション)を始めており、1991年~95年までKunstakademie Dresdenで学び卒業し、1994年以来、我が地元となる首都Berlin、及びBrandenburg州で公認の芸術家として2003年まで活動し、此の時代も引き続き陶磁器を収集し、日本へ帰国しても尚此のコレクションを続けている。
今まで集めて来た陶磁器の産地を挙げると、Arzberg, Berlin KPM, Bremen, Dresden, Fürstenberg, Gräfenthal, Ilmenau, Kübs, Meißen, Neuses, Nymphenburg, Plaue, Rödental, Scheibe-Alsbach, Selb, Sitzendorf, Staffelstein, Tettau, Varel, Volkstedt, Waechtersbach, Waldsassen, Wallendorf 等である。ドイツ

尚、余が個人的に収集したドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ハンガリー、デンマーク、日本、中国、等の代表的な陶磁器のコレクション”Porzellansammlung”(54点収録。解説:ドイツ語/日本語)は我がヤフーボックスの次のアドレスにて閲覧出来る。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-qlpzqscyxup5xp5cnxltptm5zm-1001&uniqid=61722d12-6186-466c-b909-5066d636c848

 

2024年の追伸:

嘗て余が学業及び芸術活動の為ドイツと日本を毎年行き来していた1991~95年頃、交通手段としてドイツのLufthansa航空、ないしはオランダのK.L.M.航空を利用していた。
当時オランダの首都Amsterdamに寄った時、同国の伝統工芸品の1つであるDelft陶器のオランダの民家を模った瓶を購入した。

此の陶器製瓶の屋根の天辺に蓋付の注ぎ口があり、蓋の内部がコルク栓で出来ている。

ところが経年劣化の為、此のコルク栓が折れてしまい、まともに蓋が閉まらなくなってしまった。

とは言え此のコルク栓を単独で入手するのは不可能なので、そこで思案した結果自分で修理する事にした。

先ず、コルク栓の残りの部分に竹ひごを差し込み適度な長さに切って接着剤で固定する。

次に竹ひごの周りに接着剤を塗った厚紙を巻き付けて固定する。

最後にガムテープをその上に巻き付けて、注ぎ口の口径に合う様に調整したのである。

此れ以外方法が思いつかないので、唯一の解決法として試みたのだが、思いの他上手く行った。


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