子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい -5ページ目

診療内科【私の内観#40】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

 

前回の、母への暴力【私の内観#36】からの続きです。

 

 

 

高校浪人中から、診療内科に通うことになりました。

 
 
なぜ診療内科に通う事になったかというと、高校生の頃から偏頭痛に悩まされていたからです。
 
 
偏頭痛と診療内科とどういう関係があるの?
、と思われた人いるかもしれません。
 
 
当時は、自分の症状が偏頭痛だということは知らなかったので、脳神経外科に行ったり、眼科に行ったりしました。
 
 
なぜ眼科かというと、偏頭痛の症状として、目の周りがチカチカしてみえなくなるからです。
 
 
しかし、脳神経外科で検査してもらっても、眼科で検査してもらっても、どこも異常ないといわれました。
 
 
偏頭痛になったことある人ならわかると思いますが、ひどいときは、吐き気や頭痛、眼精疲労で活字が読めなくなったり、何も食べる事も出来ずに、寝込んでしまう事もあります。
 
 
色々な病院に行きましたが、どの病院で検査してもらっても異常なし。
 
 
そのような時、ある病院の脳神経外科に行ったら、その医師から診療内科の受診を勧められました。
 
 
白衣を着た国家資格を持つ医師の言うことです。
 
 
何の疑問も持たずに、勧められるまま、都内の大学病院の診療内科を受診しました。
 
 
まだ、未成年なので親と同伴できてくれといわれて、父親についてきてもらいました。
 
 
その診療内科では、脳波を測定してもらいましたが、検査結果はやはり異常なし。
 
 
しかし、その診療内科の先生は、「薬を出しておくので、二週間後にまた来るように」、と言われました。
 
 
相手は白衣を着た国家資格を持つ医師です。
 
 
自分は何の疑問も持たずに、言われるまま、素直に処方された薬を毎日、朝晩服用し始めました。
 
 
そして、二週間後にまた受診して、2、3分ほど先生と話して薬を処方してもらいました。
 
 
そして、また二週間後に受診。
 
 
このような生活を、4年間ほど続けたのです。
 
そして、ある時、その診療内科の先生は言いました。
 
 
「わざわざ都内まで通うのは大変でしょう。埼玉の自宅近くの診療内科の先生に、紹介状を書いておくので、これからはそちらに通いなさい。」と。
 
 
相手は白衣を着た国家資格を持つ医師です。
 
 
自分は、素直に言われるまま、自宅近くの診療内科の先生に、紹介状を持って行きました。
 
 
そこで、自宅近くの先生は驚きながら言いました。
 
「こんな紹介状を受け取ったのは初めてだ。」と。
 
「病名が書いてない紹介状なんて初めて見た」と。
 
 
今まで素直に先生の言われるまま、4年もの長い間通い、処方された薬を素直に毎日、朝晩飲み続けました。
 
 
そして、地元の近くの医師を紹介されました。
 
 
しかもその紹介状には、病名が何も書いてなかったのです。
 
 
結局、どこも悪くないのに、薬だけ処方されていたということになります。
 
 
しかも、診療内科で処方される薬は、睡眠薬や抗うつ剤などです。
 
 
全く薬を飲む必要がないのに、薬漬けになってしまいました。
 
 
そして、ここから先が大変でした。
 
 
なぜなら、もうこれ以上、薬を飲む必要ない事が分かったので、薬をやめようと思ったのですが、簡単にやめられなかったからです。
 
 
当時は、不安で不安で仕方がありませんでした。
 
 
薬をやめようと思い何回か飲まないでいると、不安感が襲ってくるのです。
 
 
そして、その不安感に耐えられなくなりまた薬に手を出してしまう。
 
 
これを繰り返してました。
 
 
完全に薬物依存になっていたのです。
 
 
全く薬を飲む必要などなかったのに。
 
 
高校浪人中から大学時代を通して、薬を飲み続けていましたが、母親からはいつも「あんたは寝てばっかりいる」と叱られてました。
 
 
それもそのはず。
 
 
何しろ、毎日朝晩、欠かさずに睡眠薬を飲んでいたので、眠たくなるのも仕方がありませんでした。
 
 
そんな状況で就職して関西に赴任。
 
 
同期入社の人と一緒にアパート暮らししてましたが、相変わらず薬をやめたり、飲んだりを繰り返してました。
 
そして、ある時、薬を思い切って大量に服用しました。
 
なぜ、そんなことをしたかというと、いつまでも、こんな事繰り返してもやめられないだろう。
 
だったら思い切ってたくさん服用して、ショックを与えることで、薬漬けから抜け出せるのではないか、と思ったからです。
 
 
でも、これはとても危険な行為です。
 
 
一歩間違えれば、あの世行き。
 
 
または、精神病院に入院するかも。
 
 
当時は、そんな事は考えてませんでした。
 
 
とにかく、薬漬けの生活から抜け出したい。
 
 
この不安感をなんとかしたい。
 
 
それだけでした。
 
 
幸いにも、命に別状はなく意識もはっきりしてたのですが、強烈な不安感が襲ってきました。
 
 
恐らく、このような精神状態では、自殺してしまうかもしれない。
 
 
会社の同僚と共同生活していたとはいえ、みな他人です。
 
 
人の事など御構い無し。
 
 
自分は自分で何をするかわからなかったので、実家に帰って、親元でしばらく養生しようと思いました。
 
 
精神的に不安定でノイローゼ気味なので、辞めさせて下さい、と会社の人事担当の人に相談しました。
 
すると、君がそういう状況なのは分かっていた、と人事担当の人は言いました。
 
 
この時の自分の状態を、採用してくれた人事担当の人は、研修時期から分かっていたようです。
 
 
結局、その会社を辞めて、実家に帰る事に。
 
 
 
次回、人工中絶【私の内観#39】に続きます。
 
 
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人工中絶【私の内観#39】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

 

前回、診療内科【私の内観#40】からの続きです。

 

 

 

大学卒業した後まもなく、付き合っていた女性が妊娠してしまいました。

 
 
当時、自分は関西に仕事で赴任していたので、埼玉に住む両親が、東京に住む相手の家に行ってもらい、今後の事など話し合いました。
 
 
結局、まだ結婚前ということで人工中絶する事になりました。
 
 
自分としては産んで欲しかったのですが、状況が状況だけに、希望は叶いませんでした。
 
 
そして、名前をつけて位牌を作り、鎌倉にある長谷寺で供養してもらいました。
 
 
まだ産まれる前だったので、そこまでする必要はないかもしれません。
 
 
ただ自分てしては、せっかく命が宿って、これからの人生が開けていたのに、こちらの都合でその命を絶ってしまったので、せめてもの償いの思いがあったのです。
 
 
相手にも位牌を作ったことは知らせましたが、「そんなことまでしなくてもいいのに」、という反応でした。
 
 
長谷寺に行って供養したことは、相手に伝えませんでした。
 
 
しばらくして、その彼女とも別れました。
 
 
この時もまた、両親に心配かけてしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
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母親の一言【私の内観#38】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

 

前回、薬害からの克服【私の内観#41】からの続きです。

 

 

 

 

大学を卒業した20代の頃、オウム信者から拉致されそうになりました。

 
 
当時、石川県にある工場で働いていた時のですが、たまたま知り合った友人から、「会わせたい人がいるので、一緒にいかないか?」と誘われました。
 
 
「いいよ」と返事して、彼の車に乗り込み、その人の所にむかいました。
 
道中、彼から話を聞くと、その会わせたい人と言うのは、ヨガをやっている、と言うので、もしかして、オウムじゃないよね?と冗談半分で聞きました。
 
 
なぜこの時、オウムの話をしたかと言うと、数年前に地下鉄サリン事件があり、オウム心理教について敏感になっていたからです。
 
 
すると彼は、「そうだ」、と正直に答えました。
 
彼は、続けて言いました。
 
「私は、家族がいるので、出家せずに在家信者として活動している。しかし、常に私の行動は、公安警察から監視されている。この車もそうだ。」と。
 
 
怖くなった自分は、「帰るから車から降ろしてくれ」、と頼みました。
 
 
しかし、彼は全くの無反応。
 
 
そのまま車を走らせていました。
 
 
しかたがないので、信号待ちしているときに車から降りて、そのまま歩いてアパートまで帰りました。
 
 
それから数日後、たまたま母親から電話があり、この件を話ました。
 
 
すると、母親は、「危ないから早く帰って来なさい」と。
 
 
親としては心配するでしょう。
 
 
何しろ、地下鉄サリン事件を起こした団体です。
 
 
その団体の信徒から拉致されそうになった、と息子から聞かされたわけですから。
 
 
その後、母親の言う通りに、仕事も辞めてアパートも引き払い、埼玉の実家に帰ることにしました。
 
 
そして実家に帰ると、母親に文句を言いました。
 
 
「何で、帰って来いと言ったんだ」と。
 
 
ん?
 
 
あなたは、疑問に思ったかもしれません。
 
 
確かに、母親から帰って来いと言われたので、帰ってきたわけです。
 
 
でも、それは自分で決めたこと。
 
 
母親に言われたからと言って、それに従う必要ありません。
 
 
それに、この時、すでに大学卒業した社会人だったわけでしから。
 
 
なのに、母親に文句を言ってしまったのです。
 
 
「何で、『早く帰って来なさい』、なんて言ったんだ!」と。
 
 
自分は、なんでも親のせいにしていたのです。
 
 
この時も、母親は何の反論もしませんでした。
 
 
息子から、どんな理不尽なことを言われようとも。
 
 
しかし、今振り返ってみると、あのまま石川県の工場で派遣社員として働いていても、自分のやりたい事が出来ただろうか?
 
と思います。
 
 
埼玉の実家に帰ってから、将来の目標として、税理士になろうと決めて、勉強をはじめました。
 
 
結果として、母親の一言が、自分の人生の目標を決めるきっかけになったわけです。
 
 
恐らく母親は、そこまで予測して『帰って来なさい』と言ったわけではないでしょう。
 
 
息子から電話で拉致されたと聞いて、条件反射的に言っただけかもしれません。
 
 
でも、その母親の一言が、大きく自分の運命を左右することになりました。
 
 
 
 
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ある宗教団体にハマりかけた日【私の内観#37】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

 

前回、大学受験【私の内観#14】からの続きです。

 

 

大学に入学して間も無く、ある宗教団体が学校の近くで勧誘をしていました。

 

「サークルにはいりませんか?」というトークで誘ってきて、自分も大学に通い出したばかりだったので、軽い気持ちで、誘われるままついていってしまいました。

 

マンションの一部屋に入ると、数人の若い男女がいて、フレンドリーに話しかけてきました。そして、「ちょっとビデオでもみてみる?」と言われて、「あ、はい」と答えてしまいました。

 

皆、とても気さくな感じで話してくるので、警戒心もなく、言われるままにビデオを見ました。

 

 

そのビデオの内容は、アダムとイブの話でした。聖書の話です。

 

 

それまで聖書を読んだこともなかったので、新鮮な感じで知識として吸収して行きました。

 

ビデをを見終わってから「内容はどうだった?」と聞かれたので、「とても興味深かったです」と答えると、ちょっと間を置いて、「今度の週末、2dayの泊まり込みのセミナーがあるんだけど、行かない?」と誘われてしまいました。

 

みんな気さくでフレンドリーに接してくれて、とても居心地がよかったので、何の疑問も警戒心も持たずに、「わかりました」と答えてしまいました。

 

その研修がある週の金曜日、いつものように家から学校に出かけて行きましたが、母親が、自分の行動に不信感を感じ取りました。

 

なぜなら、泊まり込みなので、着替えなどを入れた少し大きめのバックを持って出かけたからです。

 

たまたま、自分の机の上に、その2dayの泊まり込みのセミナーのチラシが置いてあるのを、母親が見つけました。

 

おそらく息子はこのセミナーに出かけるつもりだ、とピンときた母親は、父に電話して相談しました。

 

父は、その主催している宗教団体について、知人に聞いて調べてもらうと、公安警察も監視しているやばいところだったのです。

 

それを聞いた父は、慌てて仕事を終えると、自分の通っている都内の学校まできました。

 

自分は普通にクラスで授業を受けていたのですが、いきなり父が入ってきて、「ちょっとこい」と呼びだされ、近くのコーヒーショップで、自分がこれから行こうとしていた宗教団体のことについて、父から詳しく聞きました。

 

 

自分も素直に父の話を聞き入れて、セミナーには行かずに、父と一緒に自宅に帰ることにしました。

 

 

父親としても、どうやって息子を説得してつれもどそうかと、色々と考えていたことでしょう。もし、息子がいうことを聞かずに、その宗教団体のセミナーに行ってしまったら、と学校に向かう電車の中で心配していたことでしょう。

 

 

でも、自分は何の反論もせずに、素直に父親のいうことを聞いたので、もしかしたら父は、拍子抜けしたかもしれません。

 

 

この一件から数年後、この宗教団体は、合同結婚式など、マスコミを賑わす事に。

 

 

もし、この時、母親が自分の行動に不審がらずにスルーしていたら、一体どうなっていたでしょう。

 

 

今までとは全く違う人生を送っていたかもしれません。

 

 

世間知らずの自分は、この時もまた、父母に心配をかけてしまいました。

 

 

 

次回、母への暴力【私の内観#36】に続きます。

 

 

 

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母への暴力【私の内観#36】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

前回、ある宗教団体にハマりかけた日【私の内観#37】からの続きです。

 

 

 

大学一年生の夏、家族で富士登山に行くことになりました。

 

出発の日、母親が、スナック菓子をザックにたくさん入れて持って行こうとしたので、「そんなものいらない。荷物になるだけだ」と言って母親と口論になりました。

 

それだけならよかったのですが、その時に母親の足を蹴ってしまいました。

 

 

家庭内暴力です。

 

 

そのとき、自分は母親に謝りもしないまま、家族4人は、電車とバスを乗り継いで富士登山口に到着。

 

8合目の山小屋で一泊して、山頂でご来光(日の出)を見るために、夜中に起きて、また歩き出しました。

 

山頂までは大渋滞。前も後ろも右も左も人、人、人。

 

朝の満員電車状態です。

 

しかも真っ暗なので景色は見れません。

 

夜中に起こされて歩き出したので、寝不足だし、標高も高いので酸欠で頭も痛いし、というあまり楽しくない登山でした。

 

そんな状態で数時間歩いて、やっと山頂に到着。

 

そして、ご来光を見ることができました。

 

この時は雲ひとつない快晴。

 

山小屋の人も、なかなかこんな天気でご来光を見ることはない、と言ってました。

 

富士山頂でみたご来光の感動で、それまでの山登りの辛さが吹き飛びました。

 

 

そして、砂利道を下山。

 

自分と弟は先に5合目に到着し、後から父母がおりてきました。

 

帰りの新幹線では父母とはぐれてしまうというハプニングもありましたが、車掌に頼んで後続の新幹線に車内放送をしてもらい、東京駅で合流することができました。

 

当時はまだ携帯がない時代。

 

はぐれてしまったら大変でした。

 

無事、家族4人は家につきましたが、後で大変なことがわかりました。

 

 

母親の足が紫色に変色していたのです。

 

 

その場所は、出発前に自分が蹴ってしまったところ。

 

母親は、息子に蹴られた足が痛いのを我慢して、夜中、山登りしていたのです。

 

 

なんてことをしてしまったんだろう。

 

 

母親の紫色に変色した足をみて、思いました。

 

しかし、この時の自分は、母親に素直に謝ることをしませんでした。

 

また、母親は、そのことで、自分に怒ることも責めることもしませんでした。

 

 

ただ、「夜中歩いている時、足が痛かった」とポロっと言っただけ。

 

 

親に暴力をしてもなんとも思わない、勝手わがままな息子でした。

 

 

お母さん、ごめんなさい。

 

 

 

次回、診療内科【私の内観#40】に続きます。

 

 

 

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補助教材を買いに行ってくれた母【私の内観#35】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

前回、高校受験【私の内観#13】からの続きです。

 

 

 

高校に入学したばかりの頃、母親が、学校で使う教科書の補助教材を、わざわざ電車で1時間以上かけて買いに行ってくれました。

 

自分が頼んでもいないのに、母親が必要だろうと思って買いに行ってくれたのです。

 

実際は、その補助教材は、授業で使うこともなく宿題でも使わない、参考書のようなものでした。

 

なので、わざわざ買う必要もないものなのですが、息子のためを思って、母親は両手に紙袋をぶら下げて帰ってきました。

 

しかも1冊や2冊ではありません。10冊以上もありました。

 

 

しかし、この時、自分は「ありがとう」の一言も言った記憶がありません。

 

「ありがとう」をいう代わりに、文句を言った記憶ああります。

 

「何でわざわざこんなものを買いに行ったの? これ授業で使わないよ。」と。

 

母親はこの時、自分が文句を言っても、何も言い返すことなく黙っていたと思います。

 

 

 

息子から頼まれてもいないのに、息子のためを思って補助教材を買いに行った母親。

 

そして、息子から「ありがとう」と感謝もされずに、文句ばかり言われてしまった母親。

 

 

母親はこの時、どんな気持ちだったことでしょう。

 

 

親の心子知らず。

 

 

親から受けた無償の愛に、文句ばかり言って感謝することもできない、わがままな子供でした。

 

 

次回、忘れ物【私の内観#33】に続きます。

 

 

 

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傘を届けにきてくれた父【私の内観#34】

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

前回、父のゲンコツ【私の内観#12】   からの続きです。

 

 

 

中学生の時、傘を届けに父親が学校まできたことがありました。

 

父は自営業だったので、日中も自由に行動できたのです。朝の天気が良くても夕方に雨になることがあり、そういう時は、雨が弱まるまで、放課後、学校に残ったりしてました。

 

中には、家に電話して傘を届けてもらっていた人もいたようですが、自分はそんなことしたことありませんでした。

 

ある日、雨が弱まるのを待って教室にいた時、突然、学校の校門前で誰かが大声で叫んでいる声がしました。

 

他のクラスメートがベランダで騒いでいるので、何だろうと自分もベランダに出て外を見ると、父がいました。

 

校門前で大声で叫んでいたのは、父だったのです。

 

「おーい、傘を持ってきたから取りに来ーい!」と。

 

自分は、恥ずかしくなって教室の隅で隠れていました。

 

しばらくすると、小学生の弟が傘を持って、自分がいる教室まで持ってきました。父と一緒に弟も車に乗ってきていたのです。

 

 

なんて優しいお父さんだろう、と思った人もいるかもしれません。

 

確かに父は子煩悩で、何でも子供優先でした。

 

でも、この時は、中学生の多感な時期です。

 

父親が、わざわざ傘を届けに学校まで車で乗り込んできて、校門の前で大声で「傘を取りにこーい!」と叫ばれてしまうと、恥ずかしくて仕方がありませんでした。

 

「やめてくれ、傘なんかわざわざ届けて来なくていい」という思いでした。

 

他のクラスメートも「誰、あの人」という感じで、面白がって騒いでいましたので、なおさら恥ずかしかったわけです。

 

 

家に戻ってから、「何で傘を届けにきたの?」、と聞いても、「わざわざ傘を届けてやったのに、何だ、その言い方は」という感じでしたし、「何で、お前は傘を取りに来なかったんだ」と逆に怒られてしまいました。

 

 

父親としては、息子のためを思っての行動だったわけです。

 

 

教室に隠れていないで、素直に校門まで出て行って、傘を届けにきてくれた父に「ありがとう」の一言を言えばよかったのかもしれません。

 

 

でも、そんなことはできませんでした。社会人になってからも、たまにこの時のことを思い出して、父に文句を言ったりしていました。

 

 

父としては、雨に濡れて風邪をひいてはかわいそう、という息子への愛情表現だったのです。

 

しかも、自営業とはいえ、仕事の合間の時間を使って、わざわざ学校まで届けにきてくれたわけです。

 

 

そんな、父の想いなど全く考えずに、20歳過ぎても文句を言っていました。

 

 

次回、中三の夏期講習【私の内観#32】へと続きます。

 

 

 

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忘れ物【私の内観#33】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

前回、補助教材を買いに行ってくれた母【私の内観#35】からの続きです。

 

 

高校1年の時の体育祭での出来事です。

朝、家を出るとき運動靴を玄関に忘れてしまいました。
 
 
体育祭が行われる運動公園に着いてから、忘れてきたことに気づいたのですが、家に戻って取りに行く時間もなく、そのまま、競技に参加せずにベンチで観戦してました。
 
 
しばらくすると、母親が、自分が座っているベンチに現れました。
 
 
「何しに来たの?」 と自分が聞くと、「家に置き忘れてきた運動靴を持ってきたよ」と。
 
 
今日の体育祭に使うだろう運動靴が、玄関に置き忘れてあったのに気づいて、届けてくれたのです。
 
 
これがないと困るだろうと、気を利かせてくれて。
 
 
わざわざ息子のために、頼んでもいないのに、届けにきてくれた母親。
 
 
でも、自分はその母親に対して、文句を言ってしまいました。
 
 
なんで文句を言ってしまったかというと、「頼んでもいないし、すでに競技は終わったので必要ない」、と。
 
 
周りにクラスメートもいたので、恥ずかしさもあったのでしょう。
 
 
わざわざ息子のために、頼まれてもいないのに気を利かせて、忘れ物を届けてくれた母親。
 
その母に対して、自分は、「ありがとう」の一言も言えずに、文句を言って追い返してしまいました。
 
 
次回、学受験【私の内観#14】に続きます。
 
 
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中三の夏期講習【私の内観#32】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

前回、傘を届けにきてくれた父【私の内観#34】からの続きです。

 

 

 

中学3年の夏休みに塾の夏期講習に通いました。来年の高校受験を前にして、塾で勉強しようと思ったからです。

 
そこの塾は、成績別にクラスが分かれていて、自分は、どのクラスに入っても良いと言われました。
 
通常クラスに通ってなかったので、夏期講習だけの人は、特に成績別に振り分けられませんでした。
 
そこで、自分は特に気にせずに低いクラスに入りました。
 
普段あまり勉強してなかったので、上位クラスに入っても勉強についていける自信なかったからです。
 
しかし、この自分の選択に、父が怒りました。
 
「なぜ上位クラスに入らなかったんだ」、と。
 
毎日のように言ってきて、最後にこう言いました。
 
「この塾に払ったお金は、ドブに捨てたようなものだ」と。
 
挙句の果てに、塾まで来て塾長にクレームをしていった、と後で、他の塾の人から聞きました。
 
自分はこの時、父への反発心もあり、あえてクラスを変える事はしませんでした。
 
なぜ父が、上位クラスに入る事をここまでこだわったのかというと、まわりの生徒からの刺激を受けて勉強に身が入るだろう、と思ったからです。
 
父の言い分も、確かにもっともでしたが、自分は反発しました。
 
結局、勉強にもあまり身が入らず、父の言った通り、夏期講習の費用をドブに捨ててしまった感じになりました。
 
 
 
子供から自発的に「勉強したいから塾に通わせてほしい」、と言われたら、親はそのサポートをするだけで良いです。
 
後は、子供が自分で努力して上位クラスに入れるように頑張るでしょう。
 
親がガミガミ言ったり、塾にクレームする必要もありません。
 
この事は、自分が親になってみた実体験としても言えます。
 
 
娘が、小学受験を前にしていた時期、自発的に「勉強したいから塾に行きたい」と言ってきました。
 
自分は、娘に一言も、「勉強しろ」と言ったことありません。
 
 
でも、娘は、上位を目指して、毎日遅くまで勉強していたようです。
 
 
子供にどうしたら勉強するようになってくれるだろう、というのは、多くの親の悩みです。
 
 
この時、父もきっと悩んでいたのでしょう。
 
どうしたら、息子が本気で勉強してくれるだろうか、と。
 
その想いが強く出てしまって、逆に息子から反発されてしまったのです。
 
 
その後、担任と父と自分の三者面談をきっかけにして、勉強に本気で取り組むようになりました。
 
 
 
次回、高校受験【私の内観#13】に続きます。
 
 
 
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そろばん教室【私の内観#31】

 

 

こんにちは、斎藤宏幸です。

 

【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。

 

 

 

前回、塾の送り迎え【私の内観#2】からの続きです。

 

 

 

小学6年生の頃、クリスマスか誕生日か忘れましたが、親にプレゼントをリクエストしました。

 

自分がリクエストしたのは、当時流行っていたガンダムのプラモデル。

 

しかし、親がプレゼントしてくれたものはプラモデルではなく、そろばんでした。

 

その頃、そろばん教室に通っていて、それまで使っていた安いそろばんではなく、高級なそろばんを買ってくれたのでした。

 

でも、自分としてはプラモデルが欲しかったので、親にブツブツ文句を言いました。

 

その文句に対して、親は、何も言いませんでした。

 

自分は、家でもよくそろばんの練習をしていたので、その姿をみて、親が高級そろばんを買ってあげようと思ったのでしょう。

 

そんな親の気持ちなど考えもせずに、せっかく買ってくれた高級そろばんにお礼も言わずに、ブツブツ文句ばかり言ってました。

 

そして、中学に入った時に、そのそろばん教室もやめてしまいました。

 

母親は、「もったいない、もう少し続ければいいのに」、と言いましたが、全く気にしませんでした。

 

 

親の心、子知らず。

 

 

そろばん教室に通わせてもらい、高級そろばんも買ってくれたのに、文句ばかり言って、やめてしまいました。

 

 

 

次回、父のゲンコツ【私の内観#12】に続きます。

 

 

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